02-04


「人間なんて、結局ひとりぼっちだな」


 中学のとき、ハカセは俺に言った。

 俺が一年、彼が三年。対等な友人同士として生活するには、あまり釣合のとれていない関係だ。

 もっとも、俺たちは友人なんかじゃなかったし、もともと周囲とは距離を置きがちだったので、釣合はあまり関係がなかった。


 彼のそのときの言葉は、今となっては、鼻で笑いたくなるほど思春期らしい言葉だ。

 けれどそのときの俺には、その言葉はとても納得がいくものだった。

 

 合点がいく、とでも言うのだろうか。俺は大いに納得したのだ。


 そうだ、人間なんてひとりぼっちだ。結局、誰も彼も孤独なのだ。

 上手いこと誤魔化しているだけだ。孤独なのだ。孤独なのだ。みんなそれをごまかしているのだ。

 だましだましで生きているだけなのだ。


 俺はそうやって納得した。

 思春期にありがちな斜に構えたものの見方のひとつだ。


 もちろん、孤独という言葉の定義によって、「人間は孤独」と言えるかどうかも変わる。

 人間は完全に理解し合うことができない。だが、それも「理解」の定義によって結論が異なる。

 同時に「完全」という言葉も定義しなくてはならないだろう。

(まさしく児戯に等しい考えごとだ)


 人間は、たしかに孤独らしい。そこはハカセの言った通りだ。

 でも、それはあげつらう必要があるほどの問題だろうか?


 人間は芯のところでは分かり合えない。結局のところ孤独かもしれない。

 だからといって、もし孤独だったとしたら何の問題があるのだろう?


 仮に孤独でも、友人や恋人を作って寂しさを紛らわすことはできるはずだ。


 少なくとも世間一般で言われる"孤独"という状態が悪いものとは、俺にはまったく思えない。

 孤独であるということを悲しむのは、「孤独でない」ということにある種の優越感を抱いているからではないのだろうか。


(もちろん、この世には友人や恋人どころか家族すらいない本当の孤独というものもあるのだろうし、

 こんなことを考えても平気でいられる時点で、俺は本当の孤独とは無縁の、やはり恵まれた人間なのだろう)






「関係ないわよ」


 女は溜め息をついて言った。

 喫茶店のカウンター席に、俺と彼女は並んで腰を下ろしている。


「いい? 一度しか言わないからよく聞いて。そんなことはね、関係ないの。あなたがどんな人間でもね」


 彼女ははっきりと言い切ると、煙を吐き、灰皿を煙草で叩いた。彼女の指に挟まれたパーラメントの先が静かに崩れ落ちる。

 灰を落とした吸いさしは、ぼんやりと笑うような赤色に、鈍く輝いた。その色は溶岩に似ている。


 その光は、かすかに俺の心をとらえた。それは些細な変化だったが、それでも無遠慮に俺の頭の中を荒らして回った。


 焼き尽くしてしまいたいのかもしれない。


 溜め息をついて、コーヒーに口をつけた。カウンター越しの店主が、うらぶれた風采をなんとか整えたような薄幸そうな表情で笑う。


「ところで、俺たちは何の話をしていたんでしたっけ?」


「何だったかしら?」


 女は笑わなかったが、俺は笑った。


「私、あなたと話していると、とても疲れる」


「どうして?」


「分からないけど、腹が立つの。無性に。たぶん嫌いなの。あなたみたいな人が」


「きっぱり言いますね」


「そういうところよ。どうしてそんなに平気そうなの?」


 俺は少し考えて、答えた。


「別に平気じゃありませんよ。人並みに傷ついたりもします。でも、誰かに嫌われたところで問題はないじゃないですか。

 嫌な気持ちになったりもしますけど、だからどうなるというわけじゃない。

 結局のところ、他人が自分にどういう感情を抱いているかなんて、気にしなければ存在しないのと同じですよ」


 彼女は「そうかしら」とでも言うように眉をひそめた。


「他人の感情が、自分の居場所を失わせることもあるわよ。嫌われ者は職場に居場所がないの」


「居場所がないからどうなるってわけでもないでしょう」


 彼女は鼻で笑った。きっとこの人は俺のことなんてすべてお見通しなのだろう。


 俺はいつも、人と出会うたびにこう問いかけたいのを我慢している。


「貴方はなぜ働くのか?」


 こう聞くと「趣味に使う金が欲しい」だとか言う人もいるが、大抵は「生活のため」だと答える。

 食っていくためには金がいるというのだ。


「ではなぜ食べるのか?」


 更にこう問いかけると、大半の人間はバカバカしいとでも言いたげに、もう半分はそんな問いにはもう飽きたとでも言いたげに、


「そうしないと生きていけないからだ」と答える。


「ではなぜ生きるのか?」


「なぜそうまでして生きるのか?」


「何のために?」


 ――惰性じゃないのか?


 別に積極的に死にたくもない。だから生きる。そう言うのだ。


 生きるに足る理由を持つ人間は少数派だ。

 そして彼らは、理由について考えることは不幸の種であると考える。


「そんなことを考えたところで、分かったもんじゃないさ。いいから少しでも人生を楽しむのがいい。

 好きなことをやって、好きなように生きて、美味いものを食って……そういう生活を一秒でも多く送れればいいさ」


 その考えはきっと正しい。

 正しいのだ。おそらく、正しい。 


 ……きっと正しい。間違っていない。まったく間違っていない。完膚なきまでに正しい。

 そのはずだ。そうでなくては困る。そうであってほしい。


 だが、そうやって生きた人は、もし、いま死ぬというまさにその瞬間、最期のときに、


「俺は何のために生き、何のために死ぬのか?」


 という疑問が頭に沸いてきたらどうするつもりなんだろう。


 俺はそのことがとてもおそろしい。

 自分というものが途方もなく無意味な存在だと、そう気付かされることが、とても怖い。


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