02-02


 俺は夕方の昇降口で立ち尽くしていた。そのことに、ふと気が付く。

 時間の流れをおそろしく緩慢に感じた。今日はいったい何日で、自分は今まで何をしていたのか。


 今日は一日を屋上で眠って過ごし、放課後になってから部室に顔を出した。

 誰もいなかったので、図書室で本を返して、帰ることにした。


 不意に、雨に気付く。音がまったくしなかったので分からなかった。もうほとんど霧雨のようになっていた。

 湿った空気が辺りを覆っている。


 このまま帰る気にはなれず、俺は屋上に向かうことにした。

 天気は悪いが、だからといって何かが変わるわけでもない。


 気分次第だ、全部。思うがまま。自由気ままに過ごしている。

 誰も隣にはいない。ひとりぼっちだ。それが自由ということなのだ。


 階段を昇る。いままで何度この階段を昇っただろう?

 もう数えきれないほどの時間、こんな生活を繰り返している気がする。


 いつまでこんなことを続けたらいい?





 屋上にはスズメがいた。


 彼女は俺に気付くとこちらを振り向き、いつもの微笑を浮かべる。


「どんな具合?」と彼女は言った

「さあね」と俺は答える。


「これで満足?」


「何の話?」


「分からないならいい」


 彼女の話はいつも要領を得ない。

 意味深にも聞こえるし、意味なんて何もないようにも聞こえる。

 どちらにしても、意味が分からないのは同じだ。

 

 フェンス越しに見る街は、いつの間にか深い霧雨に覆われている。

 なにかが、この霧雨のように、俺の生活に忍び寄っている。


「私はどうでもいいんだけどね」


 とスズメは言った。


「いいかげん、帰った方がいいよ」


「俺の勝手だろう?」


「君の勝手だから言ってるんだよ」


「何の話?」


「分からないならいい」


 俺が溜め息をつくと、スズメはおかしそうに笑った。


「みんな帰っちゃうね」


 彼女の声は、霧の中で澄みわたるようにくっきりと聞こえた。


「そりゃ、時間が時間だし」


「そうじゃなくて」


「……さっきから、何の話?」


「分からないならいい」


「分からせる努力をしてないじゃないか」


「理解するつもりもないくせに」


「決めつけないでくれる?」


 心底おかしそうに、スズメは笑う。何度も笑う。まるで案山子と話をしているような気分だ。

 こっちが何を言っても取り合うつもりはないらしい。

 

 居心地の悪さに、俺は舌打ちした。


「ねえ、こんなふうに話をはぐらかすのは、君が普段していることと、どう違うのかな?」


 彼女はぽつりと言う。

 街は霧に、空は雲に覆われていく。何も見えない。何も聞こえない。


 さまざまな感触が失われていく。 





 家に帰ると、妹がリビングのソファで眠っていた。何も言わず部屋に戻る。 

 鞄を机の上に置き、制服を着替えた。

 

 キッチンに入って、炊飯器で白米を炊く。時間は十分にあった。

 冷蔵庫の中を確認し、あまっていた野菜とベーコンを使い、野菜炒めとスープを作ることにした。


 頭が熱に浮かされたようにぼんやりとしていたが、作業には支障がなかった。


 準備ができた頃には六時半が過ぎていた。中学のジャージを着たまま眠る妹を起こして夕飯にする。


 会話はほとんどなかった。いつからかは分からない。

 

 両親は帰ってこない。仕事だ。"仕事"? そう、仕事だ。

 彼らが仕事だと言っているのだから、仕事には違いないのだろう。それがどんな内容なのかは知らない。


 とにかく仕事だと言ったら仕事なのだ。疑う理由なんてない。俺は言われた通りに家の中の雑事をこなせばいい。

 何も考えるべきじゃない。……嫌なことなんて考えない方がいいのだ。


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