第11話 解呪成功……?


「ほ、蛍……?」

「綾坂先輩……?」

「言ったでしょう? 私は馬の被り物如きにファーストキスをあげるつもりは毛頭ないのよ」


 綾坂先輩の腕が、速水先輩の馬の被り物に伸びる。


 そして——……。




「え、」

「へあ!?!?!?」

「ンンッ!? ンッ!」


 俺も久瀬も、速水先輩ですらも驚愕に満ちた声を零す。


 だって衝撃的だったのだ。この目の前に広がる衝撃的な光景を驚かずにいられようか。少なくとも俺は無理だ。無理だった。多分きっと十中八九他の人も無理だ。断言しよう。


「せ、綾坂先輩が馬に食べられてる!?!?」

「……この場合、先輩が自ら食べられにいっただろ」


 先輩方を指さして絶叫する久瀬に、茫然とした声でいらえる俺。


 久瀬の言葉通りだった。綾坂先輩の首から上が馬の被り物の中に消えていったのだ。


 速水先輩に馬乗りになった綾坂先輩は馬の被り物に手を伸ばすと、左手を馬の被り物の口の部分の上に、右手を下に置き、力づくで馬の被り物の口をこじ開けた。歯を食いしばる先輩。先輩のあらんかぎりの力である程度広がった口。馬の被り物がゴム製だった故にできた荒業であると言えよう。


 ファーストキスにこだわりすぎではないか? と、思ったが、それを口に出すと多方面からからかわれることは目に見えているのでやめておく。だが、綾坂先輩のファーストキスへのこだわりは群を抜いていると思った。


 速水先輩(馬の被り物なし)にファーストキスを捧げたいからというだけで、馬の被り物の口をこじ開けて、その隙間から自身の頭を突っ込み、中の速水先輩とキスをしたのだ。


 ……見えないので、本当にキスをしたのかはわからないが。あの様子だと間違いなくキスをしているだろう。現に速水先輩と綾坂先輩の声が全く聞こえないのだから。


「先輩すっごい……!!」

「すごいな」

「速水先輩への愛がすごい伝わってくる……!!」

「ファーストキスへの執着しか伝わってこねぇよ」


 馬の被り物を外すため。外すためなのだが……。


「絵面がヤベー……」


 馬の被り物の口に無理やり頭を入れた先輩。傍から見れば先輩が馬に食べられているようにしか見えない。


 すると、速水先輩の体からだんだん力が抜けていくのが見えた。僅かに起こされていたからだが重力に従って床の上へと沈んでいく。


「は、速水先輩!!」

「先輩!?!?」


 俺と久瀬が焦った声を上げる。


 次の瞬間。


 速水先輩の体が完全に床に沈み込むのと同時に、馬の被り物が引っこ抜ける。文字通り、引っこ抜けたのだ。速水先輩の髪が揺れていた。そして先輩に生えていた翼も床に広がって落ちる。地に落ちた翼は徐々に薄くなっていき、最終的に羽を一枚も残さずに消えていった。まるで最初から翼などなかったかのように、綺麗にすべて消えていった。


「なっ、」


 そう驚きの声を上げたのは誰だっただろうか。


 俺かもしれないし、久瀬かもしれない。はたまた、速水先輩か綾坂先輩かもしれない。


 当事者以外、その光景を凝視していた。


「え、あ、嘘」

「マジかよ……」


 馬の被り物が外れ、速水先輩の顔が出現したのだ。


 馬の被り物をずっと被っていたせいか、短かった髪は少し伸びていた。しかし、洗うことはできなかっただろう顔は何故か綺麗なままである。どういう原理なのかはわからない。


 今、喜ぶべきことは、そう。


「呪いが解呪されたな!」

「凄いです、凄いです、凄いです!!!!!」


 俺たちは歓喜の声を上げた。先輩の奇行により、呪いを解くことに成功したのだ。これを喜ばずにはいられようか。いや、いられない。いままでのことを考えると喜ぶ以外の選択肢はなかった。


 浮ついた心のまま綾坂先輩の方を見やる。


 そして俺たちは言葉を失った。上がっていた気持ちも一気に落ち着く。


 速水先輩は静かに穏やかな笑みを浮かべたまま床に全身を投げ出しており、たいして綾坂先輩は頭を馬の被り物に食べられたままだった。


「せ、先輩―――――っ!?!?」


 久瀬が絶叫する。久瀬が絶叫してなかったら俺が叫んでいたかもしれない。


 久瀬は大股で綾坂先輩に駆け寄ると、先輩の周りをあたふたしながら回った。犬か。


「どうしましょう、どうしましょう!!」

「落ち着け久瀬」

「そうよ、落ち着きなさいいのりちゃん」


 馬の被り物の中から先輩の声が聞こえる。くぐもっていて聞き取りづらいが、聞こえないほどではなかった。


「先輩は早くその馬の被り物を取ってください」

「取りたいのだけれど、力が出なくて……」


 その言葉に幼児向けの国民的アニメが脳裏を掠める。


「頭を取り替えたら力出ますか?」

「か弱い女子は顔を取り替えたぐらいで元気にはならないわ。私の力の源は愛よ」


 それならさっき補給しましたよね??


 未だに床に沈んだままピクリとも動かない速水先輩に目を向ける。その顔はひどく安らかだった。我が一生に悔いなし、という言葉が似合いそうな顔である。


 俺は床に転がったままの速水先輩の近くに腰を下ろし、先輩の肩を叩きながら声をかけた。


「速水先輩、速水先輩。速水先輩、起きてください」


 唸り声をあげるものの起きる気配がない。


 俺はため息をついてから先輩の耳元に口を寄せた。


「綾坂先輩がピンチです」

「蛍!? 無事か!?!?」

「見ての通りよ」

「ほ、蛍――――!!!!」


 俺の言葉に腹筋だけで起き上がった速水先輩は、馬の被り物に頭を食べられている先輩を視界に入れるなり、叫んで再び床に沈んだ。気絶したのだ。


 白目を向いて意識を飛ばす速水先輩の反応は妥当なのかもしれない。


「稲葉君、速水君の事起こしてくれないかしら? この際、鼻をつまんでも引っ叩いてもキスしてもいいから」

「最後の選択肢可笑しくないですか?」

「安心してちょうだい。私は男同士の恋愛に偏見なんてないわ。思う存分キスしなさい」

「そういう話じゃないです」


 そもそも速水先輩は綾坂先輩の彼氏だろ。彼女としていいのかそれは。


 俺は人の彼氏を取る趣味も男同士とキスする趣味もない。それに俺には好きな奴がいる。好きな奴の目の前で他の人とキスつもりはない。


 ちらりと横目で久瀬を見る。


 彼女は満面の笑みでサムズアップしていた。


 この!! この、恋愛脳がっ!!!


「冗談よ、稲葉君。……この状態、首が締まって結構苦しいから早く速水君を起こしてくれない?」


 怒りと悲しみが入り混じる気持ちを掌に込めて先輩の頭を打つ。子気味良い音が鳴った。


「いった!?!?」

「おはようございます先輩」

「稲葉はなんで怒ってんだよ」

「今はどうでもいいでしょう。そんなことよりも早く綾坂先輩の頭から馬の被り物を引き抜いてください」

「うおっ!?!? ほ、蛍―――!?!?」

「その反応はもういいです」


 腰を上げてから先輩に手を差し出す。先輩は

「あんがと」

 よ、一言言って俺の手を取った。そして掛け声と一緒に立ち上がる。



「さてどうすっかな」


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