第7話 馬の被り物を探して


「ここ、だな……」


 “演劇部”と書かれたプレートがかかっている扉の前に、久瀬と並んで立つ。


 扉の向こうからは劇の練習だろうか。男女が声を張り上げて会話している声だけが聞こえてくる。


 一度彼女と顔を見合わせてから、俺は意を決して、扉を力強く叩いた。


「はーい!」


 扉の中から快活な声が聞こえると共に足音がだんだん大きくなる。


 ガチャリと控えめに開けられた扉から出てきたのは日に焼けた肌を持つ赤色寄りの茶髪の男だった。着崩された制服と、人工的な色の髪に、耳につけられたピアス。見た目は完全に深夜のコンビニの前にたむろっている不良である。うちの学校は規則とか殆ど無いようなものだから、男の恰好を咎めるものはいない。


男は俺と久瀬を交互に見ると、

「あれ、もしかして綾坂の後輩?」

 と言い放つ。


 瞬間、扉の向こうの声が止み、静寂に包まれた。


 綾坂先輩の名前だけでも駄目なのかよ……。


「はい。実は頼みたいことがありまして…………」

「綾坂は連れてきてないよな?? いないよな??」

「はい」

「よかった!! なら大丈夫だ! ほら、入ってきてくれ!!」


 男に手招きされて演劇部の部室に足を踏み入れる。そこでは予想通り、男女が台本片手に向かい合うようにして立っていた。そして他の人たちは台本を持ちながら男女二人の周りに座っている。


 俺たちが部室に入るとその場にいた全員が俺と久瀬に注意を向けた。


 すっげー見られてんな。


「お前たちは劇に集中しててくれ! 綾坂はいないから!!」


 男の声が部室に大きく響く。


 男の言葉を聞いた部員たちは盛大に胸をなでおろし、安堵の息を吐いた。そして、止まっていた時が動き出すように、皆は口々に言葉を発する。

「綾坂先輩はいない、いないんだ……!!」

「良かった俺たち、生きてる」

「遺書書いたっけって心配しちゃった」

「空気うめー!!」


 綾坂先輩……。しっかりトラウマ刻んでるな。


「皆大げさだよな~。んで、文芸部。今日はどうした?」


 男が歯を見せて笑いながら言う。


 あの事件を“大袈裟”の一言で済ますのはヤベーよ。あの時の先輩の迫力は背中しか見てないけど、ヤバかった。


「えっと、今日は馬の被り物を借りたくて来ました」

「馬の被り物を借りに?? あれ? 蛍が被ってなかったか?」

「……速水先輩の事情を知らないんですか?」

「あー……、知ってるっちゃ、知ってる感じ?」

「どっちですか」

「…………ごめんなさい、あんまりよくわかりません」


 綾坂先輩のことを呼び捨てにするあたり先輩だろうか。多分先輩だろう人に思いっきり不機嫌な声を出してしまった。


 男は梅干を食べた後のように、顔をしぼめて項垂れる。


 チンピラみたいな外見なのに、中身は素直だった。これがギャップ萌えか? 俺は求めていないけど。


「どこまで知っているんですか?」

「蛍がうちの部室にあった馬の被り物を被ったまま、日本列島を彷徨ってるってことくらい」

「だいたいあってるね!」

「合ってはいるけど、合ってはいない」

「どっちだよ!」


 眉間に皺が寄った気がして、たまらず眉間を揉む。


 なんで、知らないんだ? 演劇部は綾坂先輩にトラウマ植え付けられたはずだろ。


「先輩、綾坂先輩が部室に乗り込んだ時にその場にいなかったんですか?」

「いなかったね~。いやぁ、あの時さ? 俺、授業中にやってる小テストの再試験受けてたんだよね。だから、ガチギレ綾坂が部室乗り込んで暴れまわったのを見てないのよ」


 いや~残念! と、大きく口を開けて笑う男に頭が痛くなってくる。


 トラウマを植え付けられたかったのか? そうしたら、相当の変人だぞ??


「怒った綾坂先輩のこと見たかったんですか?」


 久瀬が頭を傾けて男に尋ねる。


「見たかったに決まってんじゃん!」


 決まってねーよ。


「だってあの綾坂だよ? 中学の時に裏番を張ってたあの綾坂が! 一般生徒にガチギレしたとか、チョーウケる」

「ウケません」

「ほへー……」


 綾坂先輩の過去が唐突に判明してしまった。綾坂先輩本人からではなく、第三者から先輩の過去を聞かされ、知ってしまったのに罪悪感が芽生える。


 確かに裏番を張っていたなら、包丁片手に校長室に乗り込んで、説得という名の脅しをかけることも出来ちゃうよな……。


 ああ、でも、「姐さん」って呼ばれる綾坂先輩は予想できる。


「えー、なんでよ! 超絶ウケるだろ!!」

「……本題に入っていいですか?」

「綾坂の後輩、めっちゃ冷たいじゃん。スーパードライ君って呼んでいい?」

「稲葉です」

「久瀬です!」

「おっけー! スーパードライ君とカワイ子ちゃんね!」

「頭湧いてます?」

「辛辣すぎね? もっと優しくしてくれたっていいじゃん。ほら、おむつで包むみたいに」

「おむつで包めるのはケツだけです」

「先輩はおむつを卒業していなかったりします?」

「あっはっはっは!! カワイ子ちゃんも言うね~! 二人とも最高すぎ!! 演劇部おいでよ~」

「遠慮します」

「やめときます!」


 俺と久瀬の拒否の言葉が重なる。


 男はケラケラと笑いっぱなしだった。見下しているとかそういう笑いじゃなくて、ただただ面白いって感じの笑いだ。かなり失礼なことを言ったと思うが、男が怒る気配はなかった。


「あっはっはっは!!! 滅茶苦茶笑ったわ!! ……そんで? スーパードライ君、本題って何? どうした?」


 慈愛に満ちた瞳が俺に向けられる。その瞳は、たまに綾坂先輩が俺と久瀬に向ける瞳にどことなく似ているような気がした。


 少し居心地が悪くなって、視線を逸らした。


「馬の被り物を貸していただきたいんです」

「なんで?」

「綾坂先輩が速水先輩とキスするためです!!」

「なんて????」


 久瀬の言葉に男は笑いも驚きも通り越して、真顔で聞き返す。


 俺は今までのことを男に丁寧に説明した。


 この話は簡潔に説明することは難しいのだ。簡潔に説明したら説明したで、もっとわからなくなるのだから。


 演劇部の助っ人に呼ばれた速水先輩が、演劇部の部室にあった馬の被り物を被ったところ、実はそれはいわくつきで、馬の被り物が脱げなくなってしまったこと。速水先輩が呪われたと知って動揺した綾坂先輩が家庭科室から包丁を拾って演劇部の部室に行ったこと。そこで演劇部員にトラウマを植え付けたこと。呪いの馬の被り物は校長先生の所有物だったことを知った綾坂先輩が校長室に乗り込んで、校長先生をおど……説得して、速水先輩が解呪のために学校を休んで寺や神社を巡る許可をもらったこと。そして呪いの解呪方法がわかったために学校に戻ってきた速水先輩のこと。速水先輩によると解呪には“愛”がキーワードであること……などなど。


 一つ一つかみ砕くようにして説明すると、男は頭を抱えて天井を仰いでしまった。


「スーパードライ君、いろいろツッコんでいい??」

「キリがないのでやめてください」

「え、じゃあ、もう一回聞かせてくれない?? 俺、理解できなかった」

「……久瀬、任せた」


 やはり一回で理解するのは難しいようだ。


「任された!」


 久瀬が得意げに鼻を鳴らして、胸を張る。


「つまりですね! 速水先輩にかかっている馬の被り物の呪いを解くためには、綾坂先輩が速水先輩にキスする必要があり、そのために呪われていない普通の馬の被り物がいるんです!!」

「前半はなんとか理解したけど、後半がマジ意味不明。日本喋って?」

「日本語です!!」

「あー……、ウン……」


 少し時間頂戴、と、男は言うなり、両手で顔を覆ったまま気の抜けるような声を出しながら動かなくなった。多分パソコンの処理落ちを人間に真似させたらこうなるんだろうなって思う。男は情報を整理しようと全力で頑張っていた。


「あー…………俺の脳みそが理解することを拒んでるー……」

「理解しなくていいんで、現実を受け入れてください」

「おっけー」


 覇気のないいらえが来る。


 男は天井に向いていた顔を真正面に戻すと力いっぱい自分の頬を、顔を覆っていた両手で打った。子気味良い音が鳴る。男が頬から手を離すと、そこにはうっすらと赤い手形が残っていた。


 どんだけ、強い力で頬をたたいたんだよ……。


「おっけい。俺は考えるのを止めて受け止めることだけに全力を注ぐわ。とりま、スーパードライ君とカワイ子ちゃんに馬の被り物を貸すってことでいいんだよね?」

「はい」

「そうです!」

「ちょいまち。…………山﨑ー!」

「はーい!」


 男が呼ぶと、演劇を見ていた人たちの中から一人の少女が立ち上がった。おろされた黒髪が特徴の小柄な少女は小走りで男の元に駆け寄ってくる。その手にはボロボロになった台本が握られていた。


「部長、どうかしましたか?」


 あ、この男、部長だったのか。


「部室のどっかにさ、馬の被り物あったよね? あれを取ってきてくんない?」

「わかりました!」


 少女は元気よく返事をすると踵を返して部屋の奥へと消えていった。


「先輩、部長さんだったんですね!」


 少女がいなくなったところで久瀬は口を開いた。


 男——演劇部の部長は久瀬の言葉を聞くなり、目を瞬かせて首を傾げた。


「ありゃ? 俺って自己紹介してなかった?」

「はい」

 答えると、

「メンゴ!」

 と、少しも心が籠っていない謝罪が投げられる。


 演劇部部長は身だしなみを整えると(といっても、制服を着崩しているので制服の皺を祓う程度の事しかしていないが)、俺たちと向かい合うようにしてしっかりと背筋を伸ばして立つ。今まで猫背だったせいもあってか、背筋を伸ばすと頭一個分弱くらい身長が伸びた。演劇部部長は俺よりも身長が高く、必然と俺が見上げる形となる。


 でっか……。


「俺は演劇部部長の日下部春哉、三年生だよ。綾坂と速水とはクラスメートで、二人と同じ中学校出身! よろしく~!」


 自己紹介と一緒にウィンクを飛ばされる。


 日下部先輩のウィンクは異様にうまかった。こっちに星がとんできたかと思った。


「よろしくお願いします!」

「……」


 久瀬の挨拶と共に軽く頭を下げておく。正直言うと、日下部先輩はあまり関わりたくない人種だ。必要以上に仲良くなる気はない。


「せんぱーい、ありましたよー」


 間延びした声と共に先ほど奥へと姿を消した少女が戻ってくる。その手にはしっかりと茶色毛並みをもつ馬の被り物が握られていた。少し灰色がかっているのは、埃だろうか。少女の手から日下部先輩の手へ馬の被り物が渡る。


「ありがとな、山﨑」

「いえいえ~」


 少女は失礼します、と、言ってすぐに先ほどいた場所へといそいそ戻っていく。

 今度は日下部先輩の手から俺の手へと馬の被り物が渡された。やはり、灰色は埃らしい。ずっと奥に置いたままにされていたのだろう。茶色の毛並みは若干くすんでいた。


「ありがとうございます。助かります」

「ありがとうございます!!」

「おー、いいよいいよ! 綾坂と速水によろしく~! あいつら色々と規格外だし、最強カップルだから、なんかあったら俺の事頼っていいからね」

「善処します」

「考えておきます!」

「スーパードライ君とカワイ子ちゃん、ひどくね??」


 日下部先輩に見送られながら演劇部の部室を後にする。


 廊下に出ると、日は沈み切ったようで窓の向こうは瞑色の空が広がっており、蛍光灯の光がとても輝いていた。


 俺たちのやるべきことは終わったので、あとは文芸部の部室に戻るだけだ。ただ馬の被り物を取りに来ただけなのに、すごい疲れた気がする。


「それじゃあ、部室に戻ろうか! 先輩たちもきっと部室にいるはずだろうし!!」

「ああ、そうだな」


 俺たちは並んで来た道を戻っていく。



 この後、衝撃的な展開が待ち受けているとは知らずに…………。


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