第6話 憧れるその理由


 蛍光灯がついた廊下を久瀬と二人で歩く。


 通り過ぎる教室や外からは、笑い声や叫んでいる声、合唱や楽器の音などが聞こえてくる。放課後の部活動の時間帯ということもあってか、どこも賑やかだ。


 あ、今ちょっと甘い匂いがしたな。そういえば今日は料理研究部の奴らがお菓子を作るって言ってたな。


 演劇部の部室は四階建て校舎の四階の一番端に位置する。文芸部の部室は三階の端かつ、演劇部の部室の真下にあるので、演劇部の部室に行くためには廊下を歩いて、階段を上り、また廊下を歩く必要がある。遠くも近くもない道のりだ。


 俺たちの間に会話らしい会話は生まれてこない。いつもは綾坂先輩がいるので二人っきりになったことなど数えるほどしかないのだ。なんの話をすればいいのかわからない。


 隣を歩く久瀬に視線を向ける。


 平均より高い身長の俺と、平均より低い身長の久瀬。その差は頭一個分以上。


 視線を向けたとしても、彼女がこちらを見上げない限り、顔は見えない。見えるとしたら彼女のつむじだけ。この身長さが今だけ憎い。


 さて、何を話そう。演劇部の部室まではまだ距離があるし、このまま何もしゃべらないままというのは、気まずい。久瀬も気まずいと思っているかは知らないけど。……ここは無難に質問でもするか。


「久瀬はさ、」

「ん~?」


 俺の言葉に彼女が気の抜けた返事をする。久瀬は歩きながらも器用にこちらを見上げて、まっすぐな瞳を向けてきた。


 髪色よりも濃い茶色の瞳に、パッとしない顔の俺が映り込む。


「どうして綾坂先輩のことをあんなにも好いているんだ?」

「あんなに? と、いいますと??」

「あー……ほら、若干崇拝してるだろ」

「んんん? ん~??」


 無自覚なのか? あの対応は無自覚なのか??


「崇拝しているように見えてるの? なんか恥ずかしいな」


 久瀬にも恥ずかしいとかいう感情あるんだな。


 久瀬は綾坂先輩を視界に入れるなり、人目もはばからず先輩の名前を大声で呼ぶから、羞恥心なんてないと思っていた。


 彼女が俯き、足を止める。


 遅れて俺も足を止めた。


 俺と久瀬の間に数歩程度の距離が生まれる。


 窓から差し込む沈みかけた夕日の光が彼女の顔を隠していた。


「私はね、綾坂先輩のことが好きだよ」

「……」

「でもそれは恋愛じゃなくて友愛。……いや、敬愛のほうがあってるかな? 私は先輩の事、尊敬してるから。私にないものをいっぱい持っている格好いい先輩が好き」

 久瀬が顔を上げる。ミルクチョコレート色の髪が揺れて、彼女の愛らしい顔が出てくる。夕日の光が丁度彼女の上半身に当たっていた。ミルクチョコレート色の髪が夕日の光を浴びてさらに明るく見える。

「持ってる?」

「そ! 先輩はねー、綺麗で美しいし、頭も良いしー、誰とでも仲良く出来るし、……あと、自分の中に揺るがないものを持ってる」


 先輩が持っているものについて短い指を折り曲げながら上げていく。


 久瀬だって持ってるだろ。愛嬌のある小さな顔とか、誰とでも隔てなく接することができるコミュニケーション能力とか。俺からすれば、十分すごい。


「私ね、ずっとふらふらしてるの。ふらふら、海月さんみたいに。周りに合わせて、自分の考えとか気持ちとかすぐにひっくり返しちゃうし。だから、自分を貫く綾坂先輩のことすっごく尊敬してる」


 整えられた細い眉が八の字になる。久瀬の顔は笑っているけど、苦しそうな顔だった。


「……俺は」


 一度口を閉じる。


 息を吸った。


「俺は久瀬の事を、尊敬している」

「へ?」

「他人と合わせることって難しいんだよ。少なくとも俺はできないな」

「あははっ、稲葉はできなさそう」

「一言余計なんだよ。……だからさ、そんなに自分のこと卑下すんな」


 自分でもなんでこんなこと言ったのかわからなかった。


 ただ、久瀬のことを悪く言われるのは、たとえ本人でも、なんか、嫌だった。


「…………あはは、」


 久瀬は俺の言葉を聞くなり、瞠目した。そうして、手で口元を覆い、掠れた声で笑った。笑い始めると止まらなくなってしまったらしい。口元を覆っている手とは反対の空いた手を自身のお腹に回し、体を屈ませて笑い続けた。笑い声は抑えているようで、人通りの少ない廊下に反響することはなかった。


「笑うなよ」


 らしくないことを言ったのは自分でもわかっている。わかってはいるが、そんなに笑われるとさすがの俺でも傷つく。


「そっか、……そっか! うんうん! ありがと、稲葉!! ちょっとスッキリした!」


 ひとしきり笑った彼女は、先ほどとは打って変わって、満面の笑みを浮かべた。いつもと同じ、うれしい時に見せるきらきらした笑顔だ。


「そりゃよかった。なら、行くぞ」


 前を向き、止めていた足を前に突き出す。


「あ! こら、置いてくな!!」


 小走りで久瀬もやってきて俺の隣に並ぶ。


 俺たちは他愛のない話をしながら、演劇部の部室を目指した。




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