第5話 ファーストキスは譲らない
「でも先輩。そうなると、馬の被り物を外さない限り、先輩は一生速水先輩とキスできませんよね?」
俺がそういうと、その場の時間が止まった。綾坂先輩も速水先輩も久瀬も動かなくなってしまったのだ。
俺は、何か間違えただろうか? 綾坂先輩は速水先輩(馬の被り物を外している)とキスがしたい。でも、速水先輩は呪いによって馬の被り物を外すことができない。馬の被り物を外すには、キスをしなければならない。ってことは、先輩のファーストキスは速水先輩(馬の被り物装備)にできるけど、できない。……あ? わかんなくなってくるな。
確定事項なのは、先輩の呪いを解くには綾坂先輩がファーストキスを馬の被り物に捧げなければならないということだろうか。
初めてのキスはレモンの味とかなんとか聞いたことあるが、綾坂先輩のファーストキスの味は馬の被り物になるってことだよな? 馬の被り物はゴム製らしいから、ゴムの味……? 学校一の美女のファーストキスが馬の味とかパワーワードすぎやしないか??
「私の初めてのチュウは、馬の被り物の味なのね……ふふっ、うふふ、あはは!!」
「先輩、笑っている場合じゃないです」
「でもっ!! うふ、うふふ、あははっ、これを、んふふっ……これを笑わずには、んくくっ、いられないわっ!! あはははは!!!」
「自分の話ですよね??」
「ええ! 私の話だから笑えるんじゃない! うふっ、あはは!!!」
「笑ってる先輩も美しい……」
「ブルルル……」
「おいそこ、現実逃避するな」
綾坂先輩は平生のお淑やかな雰囲気を殴り捨てて、お腹を抱えてからから笑う。元が白い肌であることもあって、笑いすぎて熟れた林檎色に染まる頬は、とても目立っている。目尻には生理的な涙さえ浮かんでいた。
綾坂先輩は濃い紫色の眼鏡を外して涙を拭う。それから、眼鏡を元通りに掛けなおすと同時に笑いを落ち着かせた。全力疾走した後のように肩が上下している。
「……ふぅ。いっぱい笑ったわ。こんなに笑ったのは久しぶりじゃないかしら? 稲葉君、お笑いの才能があるわよ」
「先輩が勝手にツボに入っただけでは??」
「稲葉君の存在自体が面白いわ」
「それは最大の悪口ですよ」
「あら、褒めているつもりよ?」
「誉め言葉だよ、稲葉君!」
「ヒヒーン!!」
「あー。ハイハイ、ソウデスネー」
先輩は俺をいじらないと生きては生きていけないのか?
「……話を戻しますよ。……それで先輩はどうするんですか?」
「ん?」
「速水先輩とキスするんですか?」
綾坂先輩のことをじっと見つめる。
先輩は笑みを浮かべていた。先輩らしくないあくどい笑みだ。三日月を形どる口に、細められた瞳。効果音をつけるとしたら、ニンマリというのが正しいだろう。先輩の顔はチシャ猫を彷彿させる。
「私の唇は安くないの。馬の被り物如きにあげてやらないわ」
「じゃあ、」
「私も馬の被り物を被ればいいのよ」
「何て????」
反射で聞き返してしまう。予想外の回答すぎて脳が理解することを拒否する。
誰が?? 何を?? どうするって????
「稲葉、先輩の言ったことくらい一度で聞かないと!! ……先輩、もう一回言ってくれませんか???」
「お前もか」
「ヒヒ~ン! ヒヒン!!!」
「速水君まで……。いい? ちゃんと一語一句もらすことなく聞き取るのよ?」
先輩は一度言葉を切る。そして今度は、ゆっくりとそれでいてしっかりとした発音で丁寧に言葉を紡ぐ。
「私も、馬の被り物を被って、速水君と、キスをします。…………今度はちゃんと聞き取れたかしら?」
得意げな顔をする綾坂先輩。
聞き取れたには聞き取れたが、内容が全くもって一切合切理解できない。俺は試されているのか??
「えっと、つまり……?」
「解呪のキーワードは“愛”であり、キスが効果的。キスに関しての指定は言っていなかったから、多分馬の被り物同士でも問題はないと思うわ。私の愛が馬の被り物如きに負けるはずないでしょう?」
「ということは、綾坂先輩は速水先輩とキスするんですね!! わーー!!」
喜びはしゃぐ久瀬。まあ、うん、その解釈であっているよな。……合っているよな??
つまり。綾坂先輩は速水先輩(馬の被り物なし)に自身のファーストキスをあげたい。でも、呪いのせいで速水先輩(本体)とキス出来ない。馬の被り物を外すためにも、キスはしなければいけない。そうだ、馬の被り物同士でキスしよう。
先輩の思考回路がぶっ飛びすぎていて、理解が追い付かない。
横目で速水先輩の様子を見てみる。
嬉しそうに目を細めてから、綾坂先輩に抱き着いていた。
俺は考えるのを止めた。
「でも、馬の被り物ってもう一つあったりするんですか?」
「あるわよ。演劇部の部室に」
刹那、脳裏に浮かぶ演劇部員の怯え切った顔。
包丁片手に部員たち全員を土下座させた事件は、演劇部員たちの心に大きな傷を残している。ここで綾坂先輩が速水先輩を連れて演劇部に行ったら、皆のトラウマを呼び起こすに違いない。最悪、死者がでるぞ。
……これは、俺が何とかするしかないな。
「あー……、俺が取ってきますから、先輩たちは部室にいてください」
「あらそう? じゃあ、いのりちゃんと一緒に行って来てくれる? その間、私は速水君とやりたいことがあるの」
「はーい!」
やりたいこと……? なんか、すげー嫌な予感がするんだが。
綾坂先輩に対するこの嫌な予感はだいたいあたっていたりする。特に、俺や久瀬には関係ないけれど、周りの者たちには多大なる迷惑をかけるような予感は必ずと言っていいほどあたる。外れたことはない。残念なことに。
「私は速水君と校内を一周か二周してくるわ」
「は?」
「ほら。今、速水君は白い馬の被り物をしているじゃない? これって、リアル白馬の王子様よね」
「ちがっ、え、ちが、違わない、です…………?」
「速水君は私にとって王子様なのよ。……人生に一度くらいは、白馬の王子様と風を感じてみたいでしょ?」
「ヒヒーン!!」
「わかりますよ、先輩!!!」
「……」
童話とかでお姫様を迎えに来るのは白馬に“乗った”王子様であって、白馬“の”王子様ではない。お姫様を迎えに来る王子様が馬の被り物をしてやってきたら、お姫様は絶叫して白目をむくだろ。
久瀬は何でもかんでも先輩を肯定するな。あれ、この台詞はデジャヴか??
「そういうことで、稲葉君、いのりちゃん。あとは頼んだわ」
困惑する俺をよそに、先輩方は椅子から立ち上がる。速水先輩が慣れた様子で屈み、自身の背中を綾坂先輩に向ける。綾坂先輩は躊躇なくその背に飛び乗った。速水先輩が綾坂先輩を背負った状態のまま、部室の扉の方へ足を進める。その間に綾坂先輩は自身の腕を速水先輩の首に巻き付けた。
「一通り楽しんだら戻ってくるわね。それじゃあ!」
「ヒヒーン!!」
甲高い声で速水先輩が鳴く。
廊下へと出た先輩方は一瞬にして姿を消した。
遠くの方からかすかに聞こえる、誰かの叫び声。俺は聞かなかったことにして、腰を上げた。
「俺たちも行くか」
「そうだね」
静かになった部室を二人で出る。廊下には先輩方が去っていた方向をみて固まっている者たちが数人いた。
あの人たち、時を止めることってできたっけ?
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