第1話 文芸部全員集合
「……いやいやいやいや!! 全く状況がわかりません!!! 誰か説明してください!!!」
俺——稲葉奏太の隣に座っていたミルクチョコレート色の髪の少女——久瀬いのりが、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がって叫んだ。あらんかぎりの力で振り下ろされた彼女の手が机とぶつかり、大きな鈍い音を鳴らす。
悲鳴に近い声だった。頭が痛くなるような高さではないが、耳がつんとするほどの声量ではある。
久瀬は声が高く、クラスの合唱コンクールなどではソプラノ以外担当したことがない。そんな彼女の叫び声は文芸部の部室によく響いた。何なら若干木霊していた。
まあ、そうだよな。白い馬の被り物を被った男子生徒がいきなり部室にやってきたと思ったら、大好きな先輩——綾坂蛍先輩と熱い抱擁を交わしているんだもんな。久瀬は先輩のことを尊敬の域を超えて崇拝している感じだから、あの反応は何も可笑しくはないだろうもし、俺が久瀬の立場だったら、椅子から転げ落ちていたと思うし。……そう考えると、久瀬の反応は可愛いほうかもしれない。
綾坂蛍先輩。
俺と久瀬より一つ上の先輩。学校一の美女と謳われるほどに、美しい先輩だ。毛先まで整えられた紫がかったストレートの髪に、アメジストを連想させる澄んだ瞳。立ち振る舞いも洗練されている先輩は、容姿だけでなく、頭も良い。定期試験では学年一位を取り続けている。綾坂先輩のテストの結果については馬の被り物を被っている人から過去に嫌というほど聞かされたので知っているだけだ。別に変な意味はない。
自分の美貌も頭の良さも鼻にかけることなく、皆と平等に接するために、先輩を天女だとか天使だとか聖母だとか何とか言って、信仰する奴らがいる。久瀬も多分そのうちの一人だ。……平等に接するというのは、文芸部に所属する俺や久瀬、馬の被り物を被っている人は例外だったりする。俺たちは先輩に可愛がられている方である。
俺は、馬の被り物を被って登場した男子生徒のことも、その男子生徒と自分の先輩の綾坂との関係も、ずいぶん前から知っているから驚きも叫びもしなかった。なんなら、驚く方が逆に失礼にあたる。
俺は、立ち上がったまま固まる久瀬を見上げて言う。
「落ち着け。話はそれからだ」
「落ち着けないんだけど!?!?!? 先輩と馬が抱き合っているんだよ!?」
「まだ馬じゃないだろ」
「頭馬じゃん!!」
「被り物だ」
「頭が馬だろうが下半身が馬だろうがこの際どうでもいいの!!」
「いいのか」
「いいの!!」
まるで小型犬のようにキャンキャン吠える久瀬。彼女の視線は俺ではなく、綾坂先輩たちの方に向けられたままだった。
ミルクチョコレート色の髪が彼女に合わせてゆらゆら揺れている。
「先輩と馬がぎゅってしている状況が、ほんと、もう、なんかよくわかんない!!」
久瀬が手足をバタつかせて声を上げる。
俺には興奮状態にある久瀬を落ち着かせる術はない。そうなると……。
未だに馬の被り物を被った人と抱き合っている先輩に目を向ける。
久瀬のことを落ち着かせてください。そんな思いをこめて視線を投げるが、先輩はこちらを見る素振りも見せない。先輩はあの馬の被り物を被った人が絡むと周りを遮断して二人の世界に入ることがあるからな……。今が多分そうだ。
「綾坂先輩。そろそろ収集つかなくなるんで、どうにかしてください」
そう声をかけてやっと先輩の濃い紫色の瞳がこっちを見る。
「…………あらあら、ごめんなさい。そういえば、いのりちゃんは転校生だから速水君のこと知らないのよね」
先輩は俺たちに注意を向けたが、まだ馬の被り物を被っている人と抱き合ったままだ。先輩の細い指がしっかりと馬の被り物を被った人の腰に回されているのが見える。
「この人は、私のクラスメートの速水蛍君よ。蛍と書いて『けい』。私は『ほたる』だけどね。……そして、速水君は私の彼氏よ」
「ヒヒーン!! ブルルルル!」
馬の被り物を被った男子生徒——速水蛍先輩が一鳴きして、荒々しい息を吐く。大きく見開かれた馬の目がこっちを向き、被り物の耳がせわしなく動く。……被り物のはずなのに、目の動きはまるで本物の馬の様である。
俺は先輩たちから目を離し、立っている久瀬に視線を向ける。
座っている俺からでは久瀬の顔色は見えなかった。でも、彼女の体が小刻みに震えているのはわかった。
憧れの先輩が速水先輩(馬の被り物を常時被っている訳あり)と付き合っている事実は衝撃だよな。
「久瀬……」
口を開くがいい言葉は一つも浮かんでこない。
ああ、もっとここで俺の頭が上手く回っていい言葉が浮かんでくれば。
「綾坂先輩……」
久瀬の声は震えていた。
「うん。どうしたのかしら?」
「先輩、」
「はあい」
久瀬はその場に崩れ落ちる。久瀬の膝が床に勢いよくぶつかり、鈍い音が鳴る。
「結婚式には呼んでくださいね!!!!!!!」
「勿論よ。可愛い後輩を呼ばないわけがないでしょう?」
床に向かって叫ぶ久瀬。
俺は思わず頭を抱えた。
そうだよな……お前はそういうやつだったな……。
一に先輩、二に先輩、三に先輩。先輩至上の残念な女の子だったな、お前は。綾坂先輩の幸せを誰よりも願う久瀬が、速水先輩を否定するわけがないよな。
俺の心配を返せ。
「私、久瀬いのりは!! 綾坂先輩と速水先輩のことを応援します!!!」
「CМかよ」
「ありがとう。持つべきものは可愛い後輩ね。ね? そう思うでしょう、速水君」
「ヒーン!!」
速水先輩が高い声で鳴く。
あ?
「……あの~、先輩。速水先輩は何で馬の鳴き声しか話さないんですか? 前までは普通に喋っていましたよね?」
ふと、気になったことを口に出す。
速水先輩は文芸部に所属している先輩で、いろいろ(このことは後で説明しよう)あって、馬の被り物を被せられ、学校を休んでいた。……事実を言っているはずなのに、すげぇ変な感じだな。
久瀬は転校生で、速水先輩が学校を休んだ後くらいに文芸部に入部したから速水先輩のことを知らないのだが、俺は速水先輩に可愛がられていたからよく知っている。
速水先輩は短髪で太陽みたいな輝かしい笑顔が特徴の元気で明るい先輩だ。そして運動部、といわれたほうが納得してしまうような筋肉質の体であるために、よく他の部活の助っ人に呼ばれていた。体格関係なく、速水先輩はその人懐っこい性格もあって、助っ人に呼ばれることもあったらしい。助っ人うんぬんの話は多分彼女である綾坂先輩のほうが詳しいだろう。
そんな速水先輩だが、綾坂先輩が絡むと別だ。速水先輩は綾坂先輩のことをこの世界中の誰よりも愛している。心酔している、という方があっているかもしれない。こちらが引くほどに、綾坂先輩に惚れ込んでいるのだ。デレデレである。まあ、綾坂先輩も速水先輩と似たような感じだが。
それはさておき。
馬の被り物を被ってしまったときの速水先輩は普通に喋っていた。でも今は鳴くだけ。言葉は一切話さない。どういうことだ……?
綾坂先輩はやっと速水先輩から離れた……が、その手はしっかり速水先輩の手と結ばれていた。
この先輩方は人目もはばからずにいちゃつきだすからな……。
「そうね。二人にはいろいろ話さなければならないことがあるの。だから一度席に着きましょうか」
綾坂先輩の一言で俺たちは席に着いた。
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