第7話 見せ札と昔話と自慢の孫
モノポール騒ぎの数日前。角一がホテルから抜け出した角一は、土産物屋の裏にあるバズ・クワジット老の自宅に忍び込んだ。
老人は独居。独りで私室にいた。部屋には多くの書籍と実験資材が詰まれていた。壁の一面は水槽になっており、そこにはモルモが浮かんでいた。
忍び込んできた角一に対して、クワジット老は特に驚いた様子を見せなかった。
「コーヒーでいいな」
老人は眉間にしわを寄せた気難しげな表情のまま、しかし席を進め、コーヒーを淹れる。来るのが分かっていたのかと角一が問うと
「若い頃、帝都で研究助手をしていた頃、調査局に調べられたことがあった。ずいぶん昔だがはっきり覚えている。あんたらは意識も技術もプロだ。こんな田舎の探偵ごっこなぞ歯牙にもかけないだろうし、昼間みたいにあからさまに怪しい私に、なんのアクションもしないほど甘くはないはずだ」
老人は自分で入れたコーヒーを一口。口を潤した後、何気ないような口調で切り出した。
「あの河原には死体が埋まっている。奴らはそれを巡って騒いでいるのさ」
そんな混沌とした、しかし活力に満ちた荒っぽい時代の最中。惑星セントエルモⅢに鉱山開発の話が舞い込んだ。
「当時は今最近にやりあってるアレと違い、本格的な住民発の開発派と反対派の衝突が起きていた。
ちなみに、その時はモルモの保護は一応話題にはなっていたが、本題じゃなかった。あくまで旗頭、お題目の一つだった」
開発反対派は農業や漁業への悪影と、余所者が入ってくることへの忌避による反対。
開発肯定派は鉱山開発による雇用を期待しての賛成だった。
「それで、まあ、時代ゆえにというべきだな。
その紛争は相当荒っぽかった。リンチや脅迫状。軽車両が相手の事務所に突っ込むなんていうのも稀に見られたものだ」
「わーお。任侠映画かな?」
惑星開発と人口増加によって、変革と拡大を続ける社会に対し、行政は常に後手に回らざるを得ない。その結果、自然と地方は自治色、自力救済の傾向を強める。
得てしてそういう経緯で発生した自治組織は、荒っぽい性質を持つ傾向にある。
「警察も基本は見てみぬふりだ。
鉱山開発の話が来る前から、利水権だの漁場だので集落同士が暴力沙汰になるなどもよく見られていた時代だからな。その延長として見られていたのだろう。
今時分では想像もつかん話だろう?」
「いやあ……実は今でも超田舎だったり、他所の国だとそういうノリの場所もあったりするんですよねえ」
「おおっと、銀河を股にかける調査局員殿には釈迦に説法のようなものだったか」
肩を竦めて笑うクワジット老に、角一は愛想笑いを返す。
「とはいえ、流石に殺人事件などになれば警察の介入される。だから住民間でのその手の暴力事件はある程度の手加減や自制が効いてた。極稀に“事故死”が起きる程度だ。
だが、MINという余所者が入ることで、そのローカルルールに基づいた均衡が崩れた」
暗黙の了解に基づいた安全装置やマージンは、それがないプレイヤーの参入により無意味になる。
「断っておくが、MINの技師や派遣されてきた労働者達が暴力的だった、というわけではない。むしろ普段のノリでやらかした地元のゴロツキがいて、それに対して向こうが真っ当な、しかし当時のセントエルモⅢの基準では過剰な報復が行われた」
その結果が“事故死”では説明しきれないほどの、犠牲者の発生だった。
それは開発肯定派にとっては元より、反対派側にしても隠したい事件だった。
「だから、全員が共謀した、と」
「そうとも。当時は戸籍の管理すらも杜撰だった。関係者が口を拭った上で、死体さえ見つからなければ、後は移民したことにするなりでなんとでもなった」
「で、その隠し場所に選ばれたのが、モルモの生息域であるあの河原だった、というわけですか」
モルモの生息域となっている河原が選ばれたのは、モルモの研究者であるクワジット以外が特に出入りすることもなく、また公園として整備する予定もあったからだ。
クワジット研究員さえ見てみぬふりをすれば、死体を埋めてもバレにくく、公園とすることで景観などを理由として、河原を掘り返すことも禁止できる。
「結局、双方の妥協と諦めとがあり、鉱山開発は成された。
現金なもので、一度開発が始まってしまえば地元の連中はそれに適応して、荒事はぱったり止んだ。
帝国法における時効も迎え、私達当事者もいい年になったところで、今回の騒動というわけだ」
「若手が過去のスキャンダルを告発して長老派閥を追い落とすために―――ってわけじゃないですよ、ね?」
角一が引っかかっていたのはそこだ。
単純に告発することが目的ならば、死体の存在を疑惑でもいいので大々的に言い立てながら河原を掘ればいい。しかし若手派閥もまた、死体を掘り当てようとしつつも、その存在を隠そうとしている。
なぜそういう面倒なことをしようとしているのか?
「それは、若造共としては切り札ではなく、あくまで見せ札として死体の存在を抑えたいからだ」
「あー……なるほど。時効を迎えてるけど、企業や政治派閥としてのイメージにとって致命傷になりかねないですからねえ」
全ては自分達より上の世代がやったこと、とはいえ、企業や地域その物の評判には大きな傷がつく。法的なペナルティこそないにしても、世評などによる社会的ペナルティは大きなものとなるだろう。
だからあくまで見せ札。切る、あるいは切るかもしれないというブラフとして手元に置いておくのが目的なのだ。
「あるいは、死体を見せ札として確保しようとしている、ってこと自体もブラフ?」
「可能性はあるな。今回の事で若造が手を引く代わりにジジイ共に何らかの譲歩を迫る、というのも考えているかもしれん」
「そこら辺の情報は知らんのですか?」
「知らん。私は関係者とは言っても、あくまで見て見ぬふりをしただけ。つまりは目撃者にすぎず、当事者とは言い難い。当時も、そして今も、あくまであいつらの言い分をまとめて推測しているに過ぎない。それにそもそも興味もないからな」
老人はコーヒーカップを手に取った。最初の一口以来、一切飲んでいなかったコーヒーはすっかり温くなっていた。半世紀に
「――ふむ。もっと何かを感じるかと思ったが、実際には大した感慨もないな」
コーヒーを一気に飲み干し、深いため息をついた後、老人はそう呟いた。
角一は頬杖を突きながら
「とはいえ、後生大事に守ってきた秘密でしょ?なんであっさりゲロってくれたんですか?」
盗聴のギミックは松田が解除して、偽のデータを送っている。だがそれはあくまでクワジット老に「秘密を喋ることができる環境」を与えただけだ。「秘密をしゃべる理由」にはならない。
「それも調査の一環として必要な情報かね?」
「いえ、興味本位です。埋まってる仏さんの中にお友達とかがいて、その無念を晴らす好機だから、とかですか?」
「フンッ!友人!友人ねえ」
クワジットは顔を顰めて続ける。
「確かに子供の頃のクラスメイトや学年が1,2個違うだけの顔見知りはいたとも。そして、彼らもこちらを友人と認識していたようではあるな。
しかしだ―――話は変わるがね、調査局員殿。
私が子供の頃、このセントエルモⅢのこの居住区は、農地と漁村が点在するだけの、粗っぽい田舎でね。
そんな田舎に生息する山猿共が、科学雑誌が好きなやせっぽちのチビに対して、どいう扱いをするか想像できるかね?その少年は眼鏡をかけていて運動神経も悪ければ足も遅いと来ている」
「まあ、間違いなく雑誌を取り上げられますね」
「ついでに眼鏡やズボンまで取り上げられたとも。中学に上がってこの星を出るまでね」
その後、大学の分子工学部に進学。大学院にまで駒を進め、博士号をとるとしていた時、教授から声がかかった。
「セントエルモⅢで持ち上がった鉱山開発が、モルモに与える影響を調査して欲しい。地元に錦を飾る良いチャンスじゃないか」
その頃には幼い頃の苦痛の日々も、遠い過去の事と冷静に距離を取って思うことができるようになっていた。些か憂鬱ではあるが、恩師の勧めを断るほどでもないし、モルモについては幼い頃から興味があった。
そういうわけでバズ・クワジット青年はアパートを引き払い、当時まだ健在だった両親の待つ家に戻った。そこで待っていたのは、成長した山猿共が鉱山開発派と反対派に分かれて争う光景だった。
関わる気にもなれん。8割の無関心と2割の軽蔑を以て、距離を獲ったクワジットだったが、
「よう!バズ!久しぶりだな!」
後ろ暗さを一切感じさせない顔で、奴らは押しかけてきた。
愛想笑いで対応するクワジットに、奴らは思い出話と称して、苦痛でしかない子供の頃のエピソードを無神経にわめき散らした後、それぞれの所属した派閥に従って、どちらかの台詞を言うのだ。
「科学者として鉱山開発がモルモに悪い影響を与えると言ってくれ」
または
「科学者として鉱山開発がモルにも悪い影響を与えないと言ってくれ」
そしてまた、最後に皆一様にこう続ける
「俺達、友達だろ」
自分の発言に一切疑いや疑念を持った風もなく、そう言うのだ。
「彼ら山猿共の文化だと、読みかけの科学雑誌を取り上げて木の上に引っ掛けるのも、眼鏡を取り上げて取り戻そうとするのも、多人数で押さえつけてズボンを引っぺがして泥水に投げ込むのも、全ては親愛の表現だったらしい。
だとしたら、毎日のようにそれらの行動をしてきた彼らは実に友情に熱い生き物だと言える。
惜しむらくは、私は人類だったという点かな」
老人の目には怒り、そして軽蔑の色すらも見えなかった。あったのは駆除の難しい害獣や害虫などの、迷惑な生き物に向ける嫌気と諦観の色だった。
「言っておくが、彼らが“行方不明”になった時、喜んだりはしなかったとも。そこまで倫理観を捨ててはいないさ。悲しいとも感じなかったが」
「けどお高いお酒は空けたでしょ?」
「故人を偲んだのだよ」
角一の混ぜっ返し老人は陰気に笑った。
だが
「じゃあ、なんであっさり答えてくれたんですか?」
疑問を繰り返す角一。
クワジットはしばらくの無言を置いてから
「孫だよ。孫のためだ」
うつむき加減に、老人は言う。
「孫は――ジンは私とは違う。
快活で、如才なく、友達―――本当の意味で友達と言える者が多い。
私にとっては研究対象であるモルモ以外に価値を見出せないこの星やこの町を、ジンは深く愛している。
故郷に馴染めず、疎んで、逃げ出して、そして軽蔑しながらも戻ってくるような私なんかと違ってね。私に似ず、良い子だ。
だが、あの子は今、このバカ騒ぎで悲しんでいる。
煽られた山猿共が、二つの群に分かれて、その板挟みになってな」
自分ならば、きっと厄介事と考えて距離を取り、
「ジンは、どうにかして取り持とうとしているんだ。調査局員殿、君を連れてきたのも、その一環だ。
私にはできないーーーしようとも思わないことだ。立派なことだよ」
明らかないじめを受けていた自分と、周囲から受け入れられている孫。前提条件がそもそも違うのだから、単純比較に意味はない。
だが、それでも思うのだ。
友だった者達が争おうとしているのを止めたい。止めようとする。
その行いは、きっと人として正しい物であり、尊重されるべき物である。その行いは群れて流されるだけの山猿のそれでもなく、適応できずに群れから逸れた一匹オオカミのものでもない。
自分にはできない、人間の行いだ。
「だからまあ、何とかできるものならしてやりたい。
少なくとも、原因となってるこの政治ゲームを何とか終わらせてやりたい。そう思うのだよ」
「だから、積極的に情報提供をしていただけた、と」
「情けないことだ。
孫の7倍ほども生きてきて、しかし思いつく解決策が、孫と同じ『突然来た映画のヒーローに助けを求める』だけなのだから」
そう言って笑ったのは、自分への嘲り故か、孫の誇らしさ故か?
おそらく本人にもわからならないだろうと、角一は思った。
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