第6話 こうして天使は半身を取り戻す
Tk-g11に向かう航路上に、一台のカーゴタイプの宇宙船があった。帝立調査局第十室の所有する小型ドッグ船だ。そこに信号が届いた。
発信源はアマンダモルゴ内部。角一がアマンダモルゴ内部の電子機材に、通信端末を接続したのだ。
「っしっ!お仕事お仕事!」
カーゴタイプの宇宙船の一角。コンピューターの詰められた電算室で、松田が軽く伸びをして、能力を発動させる。
電子的につながっているネットワークからなら、パスワードも暗号化も無視をして、その情報を閲覧できるようになる能力だ。そして彼自身も一流のクラッカー。相手のファイヤーウォールを内側か覗き込むことができるのなら、その解除など赤子の手をひねる様なものだ
数分程キーボードを叩いた後、スピーカーから角一の声がした。
『お、まっつん、つながった?』
「感度良好ッスよ~。こっちはあと2,3時間くらいでそっちにつきそうッス
そっちはどっスカ?」
『二人とも無事。とりま一通り暴れて、追って撒いて、適当な端末につなげたところ』
「
『サンキュ~。っと来た来た』
送ったのはアマンダモルゴの内部図に人の生体反応を重ねたものだ。
今、角一がいるのがアマンダモルゴ左艦の真ん中程。そこに2つ、角一とレベッカの反応がある。その外には艦の前方、左右艦をつなぐ架橋部にあるブリッジにいくつかと、左艦の後ろ側、角一達がもう少し進んだ所にいくつか。そして―――
『な~んか艦内にいる人間の大半全員がこっち来てるっぽいんだけど』
「レムスの特殊部隊の連中ッスね」
50近い光点が、いくつかのグループに分かれて、レベッカ達のいる方に向かっている。
『こっちの後ろにいる連中んとこにいるのがシェリーね』
「レベッカさんの相棒、人質にとかはしないんスかね?」
『冷血非道な帝国のエージェントだからなあ、俺らってば。
人質なんて効くはずもないし、余計な荷物背負って戦場に来るほど甘くないってことだよ、きっと』
実際は超有効そうッスけどね、と松田はレベッカの顔を思い出す。
(あの美人さん、ここでどう行動することやら……)
さて何をどう言おうか。通信につながっている3人の、わずかな逡巡の隙間に、
「コード0、あなたが足止めと追撃の排除を。コード
通信に三枝が割り込んだ。
『それって……』
『ミツエさん!それちょっと無茶振り酷くない!?』
「あら?そうかしら?
あなたなら単独でどうとできるわね、“
それに救出前に敵を撃退した時、捕虜の能力者を奪還されるくらいなら、と、最悪の選択をされかねません」
『まあ、うんそれは確かに……対人で“
―――おっし!おーけーおーけー!それで行きましょっか!仕方なし!』
『……いいの?』
やや戸惑いがちのレベッカに三枝はあえて厳しい口調で
「ミス・マージン、コード
―――ですから、遠慮なくあなたの半身を助けにいきなさい」
そして最後に、少し口調を和らげて言った。
「さってと……」
遠ざかるレベッカのバイクのエンジン音聞こえなくなった頃、角一は隠れていた場所から這い出してきた。
売店のレジ裏。松田との通信の為に利用した端末はレジの物だった。
ここは船員たち向けの生活空間、商業施設なのか、3層建ての吹き抜け構造。本来ならば店舗などが入るであろう空のブースが、寒々しく空っぽの軒を連ねている。
「まっつん、こっからこの船のコントロール奪えたりしない?」
『大分無理だし無駄ッスね。
大半までは掌握出来るっすけど、航行系とかの船の基幹部分は完全に独立してるッス。
そっち系の端末は艦橋や機関部にあると思うっすけど、そこにつなげてもクラックするのに時間がかるッスし、そこ物理的に抑えられるんならクラックする必要ねえッス』
「上手くいかんもんだよなあ」
などといってるうちに、角一の宇宙服の表面に、赤い点が生まれた。
一つ二つ、十、二十。レーザーポインターだ。
角一が立っているのは、吹き抜けの広間の中央。
そこにいくつもの銃口が向けられている。
いきなり撃たれないのはこちらの能力がわからないから。
撃ち込まれた銃弾をそのまま反射する能力、などを持たれていたら大惨事だからだ。
そろりそろりと、包囲を狭めてくるレムスの特殊部隊員達。
一方の角一は
「―――我らは独りにあらず、
言葉が角一の口からこぼれた。
つぶやくような、小さな声で発せられた言葉は、しかし彼を囲む敵たちの耳にやけにはっきりと聞こえた。
彼らは思わず足を止める。
それに気づかないかのように、角一は続ける。
「陰陽ありて太極あり
梵我ありて宇宙あり
天地ありて世界あり
正誤ありて真理あり
双つありて一つあり
―――故に、双の無くて一のなし。
引いとけよ、追わないから」
降伏勧告だ。
無数の銃を突き付けられ、囲まれている者が、囲んでいる者に対して、勝負から降りろと告げる。
明らかに常識とは真逆の光景を、しかし囲んでいる彼らは疑問に思わなかった。
レムスの特殊部隊。彼らとて一流の兵士であり、戦士だ。
彼らの経験と才能に裏打ちされた勘は、目の前の青年の言葉がハッタリの類ではないと全力で警鐘を鳴らしていた。
だがそれでも逃げないのは、兵士としての矜持―――祖国と任務への忠誠があるからだった。
恐怖と矜持と。
二つはしばらくの間つり合い、やがて矜持が勝った。
彼らは一歩踏み出し――――金属をこすり合わせるような音が、空間を震わせた。
敵、残り4人。
相棒が囚われている部屋を前にして、レベッカはそれ以上進めずにいた。
(ちっ!流石にバレてきたか、あたしの炎がそんな熱くないってことは!)
囚われの相棒を救出まであと1区画というところで、レベッカはレムスの特殊部隊の生き残り、最後の4人に足止めをされていた。
能力の特性や癖に、対応され始めたのだ。
レベッカの能力“智天使”は炎を操る――というのは、あくまで表面上のこと。
彼女の能力を厳密に定義すると “任意の対象が火に触れると水素に変わるようにする” 能力だ。
具体的にはこうだ。まず目の前の物体Aにその能力を使う。そこに火を押し付ける。すると火が触れた部分が水素に変化。その水素は周囲の酸素を取り込み、押し付けられた火によって発火。さらに物体を水素化、燃焼していく。
範囲は30メートルほどで視線が届く範囲。体積や質量の上限は、レベッカ自身の肉体の10倍程度まで(詳細はトップシークレット)が無理のない範囲。それ以上は
“なんでも燃やす炎を作り操る
これがレベッカ・マージンの “
(矢の速さや精度、縛りも読まれてきたか!)
銃弾を避け、通路わきの部屋に飛び込み、壁を焼き破って隣の部屋へ。
撹乱し、間合いを図りながら、レベッカは何とかして突破を試みる。
彼女のメインの武装である火矢は、ほとんど適応されつつあった。
火矢は“
レベッカの能力は、火に触れないと意味がない。火種自体は何でもいい。ライターでも、マッチでも、宇宙船のイオンスラスターでもいい。
なので相手のすぐそばに火種があるなら問題ないがそう都合よくはいかない。喫煙者は数千年の健康増進運動との闘いで絶滅寸前だし、
ではどうするか?
能力者として駆け出しの頃、まだ相棒ではなかったシェラザードと作り上げたのが、 『相手までの間に能力で導火線を作る』 という手段だ。
まずは相手に能力を適応。次に自身と相手をつなぐ紐状の空間をイメージし、そこの気体に対して“
余人が『火で作られた矢』として認識しているのは、空気でできた導火線の火なのだ。
元々レベッカが使っていた 『棒状に能力を適応した空間を作り、空気を水素化して燃やしながら振り回す』 という技の応用である。
そうして開発されたこの技は使い勝手がよく、自在に火矢を飛ばし、火のこん棒が炎剣ともいえる程度に洗練された頃には、彼女は第四室のエースとなっていた。
だがこの火矢も万能ではない。
(視線が切られたら能力が切れる!
クッソ!シェリーに言われた通り、さぼらず新しい技でも覚えとくんだった!)
“
ガラス越しは問題ない。鏡越しも、
智天使の障害が物体の水素化であることまではバレていないにしても、レムスの特殊部隊員達は、仲間の犠牲と引き換えに、その運用上の縛りを理解し、対策を立ててきた。
あえて軌道を曲線にしてみたりして、誘導性があるかのように見せかけたが無駄だったようだ。
彼らはレベッカの視界から外れれば導火線はそこで途切れて火矢は消える。それは彼女自身が遮蔽物に隠れ、設定した導火線が視野から外れた場合でも同様だ。
「クッソ!丁寧に攻めてきやがるわね」
2,3人が牽制し、残りが近づき射線と遮蔽を確保。この基本的なフォーメーションで、押しつぶすように迫ってくる。
火矢を撃とうにも呑気に導火線をつなげようとしていたら頭が弾ける。鏡を使っての射線の確保は精度が落ちるし、そのための鑑すらもご丁寧に打ち抜いてくる。
近づかれては引きながら戦うレベッカだが、集中力が削られていくのが自覚された。典型的なじり貧である。
(切り札もあるにはあるけど……!)
スーツのバックパックに入っている、いくつかの円筒を確認する。
これが彼女の切り札だ。
だが、それを上手く使うにはいくつか条件がある。
どうするか、と思った時、被ったヘルメットに通信あり。視野に被るように図面が出る。
艦内構造の拡大図だ。その一点にマークとメモ書きがある
“ご注文の部屋、あったッスby松田”
「でかしたギーグ!」
小さく喝采をあげてレベッカは身を隠していたドアを閉め、その奥に。
隣の部屋と隔てる壁を炎剣で切り抜く。
炎剣が触れた部分が一瞬で水素に、次の瞬間には火炎となって燃え切れる。そこをレベッカは
「ぅおらぁっ!」
蹴りつけ倒してできた穴を通り、壁を挟んだ隣の部屋に。
背後で前にいた部屋の扉が開く気配。そこに向けて火矢を放つ。
入ろうとしていた特殊部隊員は危なげなくそれを回避。しかしレベッカを撃つタイミングを逸する。
レベッカは廊下に出てダッシュ。弾丸は扉を抜け対面側の廊下の壁を穿つのみ。
それを追って特殊部隊員は廊下に出て、レベッカはまた近くの部屋に逃げ込み、遮蔽と視線を確保。両者は撃ち合いを再開する。
それが先ほどから何度か繰り返されている流れだが、しかし今回は少し違った。
撃ち合いになるとき、まずはレベッカが大量に可能な限りの数の火矢を撃ちまくって、制圧を目指そうとするのがパターンだった。
しかし、今回はそれがなかった。
何発か火矢を敵に撃ちながらも、部屋の中を気にしている様子だった。
はて、あの部屋に何があったか。
特殊部隊員の一人がライブラリから情報検索。情報はすぐに出てきたが、何を自分達の目標が気にしているかわからなかった。
部屋に特別なものは何もない。
強いて上げるなら彼女が滑り込んだ部屋は将校用の当直室で、小さな
一方レベッカは、扉から入ってすぐの所にある、その個室風呂(ユニットバス)を見て小さく笑った。
「水まで張ってるなんて気が利くじゃない、ギーグ」
売店の末端からでもそのくらいの掌握はできたのか、個室風呂の扉は開かれ、そこから見える風呂には、すでに水が半分以上張られていた。
それで十分だ。
レベッカはスーツの収納から、円筒状の物体を取り出す。
照明弾だ。真空や水中でも燃えるように、酸化剤の入ったタイプ。
手持ち3本を全て、水の張った風呂桶の中に投げ込んだ。
風呂の扉を閉める。都合のいいことに扉は全面すりガラス加工のアクリル板。ギリギリ、視線が通り能力が使える。
特殊部隊に対して牽制を行いつつ、風呂の水に対して能力を発動した。
その次の瞬間から、大量の泡―――水素が風呂から湧きだした。
レベッカの能力は、“任意の対象が火に触れると水素に変わるようにする”能力だ。
交換比率は原子1molに対しおよそ水素原子1~0.1mol程度。比率はレベッカの加減次第。質量保存の法則もあったもんではないが、それが
この
変換効率自体はレベッカ自身である程度調整できる。そのため、一気に対象を変化させ爆発的に燃やすことも、逆に変換効率を下げてゆっくり燃やすこともできる。
そして今、レベッカは浴槽の水に対して、全力で能力を使っていた。
照明弾はその内部に仕込まれた酸化剤との反応で火が起きている。そのため水中――酸素のない環境下でも火が起きる。そして火に触れれば、レベッカの能力下では水を構成する酸素すら水素に変換される。だが空気中とは違い、燃焼に必要な酸素は照明弾の酸化剤が供給するものだけ。大半の水素は燃焼できず、周囲の水によって冷やされ、泡となり水面へ。そして浴室内部に貯まっていく。
搭載されている
貯め過ぎれば、あるいは予想以上に気密がなければ、漏れた水素はレベッカが使っている炎や、敵の跳弾による火花で引火してしまう。
(こっからはチキンレースよ!)
敵を牽制しながら、同時に風呂の具合を気にしながら、レベッカはタイミングを計る。
今か?
いや、まだだ
あと少し……
何度かの強気と弱気、無謀と慎重が心を過ぎた時
「―――今!」
レベッカは、部屋の奥に能力を発動。壁に四角い枠を描くように能力を線状に適応。そこに火矢を撃ちこむ。切り取られたように壁に穴が開いた。
果たして――――爆発は起きない。
レベッカは浴室の扉を開け放つと、部屋の壁に開けた穴に飛び込み、隣の部屋へ。そしてそこからさらに廊下に。
何度も繰り返した流れだ。
足音や気配から、まず二人が入り安全を確保、続いて2人が個室風呂のある部屋に入った気配がした。
そのタイミングで、レベッカは一本の火矢を撃つ。
狙いは
空気の導火線は一直線に天井と、そこに貯まりつつあった水素の層に届き―――
―――閃光と轟音が駆け抜けた。
レベッカの相棒、シェラザードが囚われている部屋の扉が開いた。
レベッカだ。スーツは若干焦げ付いてはいるが、無傷。
部屋ごと敵を水素爆発で仕留めたのを確認し、ようやくレベッカはここにたどり着いた。
相棒はタンクベッドに寝かされていた。円筒状の、半面が透明になったベッド内。ジェル状の保護液の中に浮かんでいる。強制休眠モードだ。
本来は重症者の収容、医療機関へ移送するまでの状態保持の為に使われる装置だが、今のように、傷つけず、しかし意識を喪失させたまま捕虜を護送するのに使われることもある。
姿は最後に見た時そのまま。
パーソナルカラーである黒の宇宙服。ヘルメットは外されている。細く滑らかな黒髪と、ダークブラウンの肌。すっと通った鼻梁と長いまつげ。サファイヤのような青い瞳は、目が閉じられていて見ることはできない。よく見れば肩に応急処置用の医療パットが張られていた。
捕縛されたとき、抵抗して撃たれたのか?
「雑な処置しやがって……!」
レベッカは歯噛みしながらコンソールを操作。緊急覚醒シークエンスを開始する。
本来ならば然るべき施設で行うべき行為だが、残念ながら今来て居る人手でレベッカと角一だけ。装置毎シェラザードを運び出すのは困難だし、迎えを待っている間に何か状況が変わったらマズイ。
わずか数分の後、ジェルが抜かれたタンクベッドの中で、シェラザードの低下していた体温も呼吸も、心拍数も平常の物に戻りつつあった。
だがその数分が、レベッカにはやけに長く感じられた。
「シェリー、目、覚ませよ。な?」
大丈夫、だとは思うが緊急覚醒には万が一もある。それにメディカルチェックには目を通していたが、休眠させる前に眼に見えない重傷を負っていて、それに気づかなかったとしたら……。
「―――っ、かっ、ゲホッ、ぁっ!」
「シェリー!」
シェラザードは目を開けた。
何度か喘ぐようにせき込み、残ったジェルを機関から吐き出し……
「―――ねえ、レヴィ。私、まだ人間の形している?瓶詰の脳みそになってないかしら?」
「ばっきゃろぉ……」
いつものように、平坦な口調でいう相棒を、レベッカは力いっぱい抱きしめた。
Tk-g11まであと少し、という地点を第十室のカーゴは飛んでいた。
「しつちょー、レベッカさん―――コード-29がコード+29を確保したッス」
「そう、順調ね。コード0は?」
「こっちは、当然のように心配ないっすよ」
松田が指す画面には、角一がレムスの特殊部隊を迎え撃った場所の地図だ。そこには生体反応を示す光点が1つと、そして、かつてあった生命反応がその地点で消えたことを示す薄暗く光る丸印が、無数に散らばっていた。
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