第3話 帝立調査局第十室
後ろに角一を乗せて路肩に止まった態勢のまま、レベッカ達は第十室の事務所にいた。もちろん角一と、そしてバイクごとである。
レベッカはまず時計、次に窓に目を向ける。
外は全体的には暗く、下方に青と白を主体としたマーブル模様。惑星アマツだ。確かにここは第十室の事務所――軌道エレベーター基部の最上階付近だと、レベッカは確信する。
底径10㎞、高さ30㎞の漏斗を逆さにした形状の軌道エレベータ基部構造体は、行政機関や軍事施設、商業施設まで組み込まれた地形規模の複合施設だ。行政上厳密に定義すると、帝国政治首都蒼京とはこの施設そのものを指す。帝立調査局第十室は、その中でも一等地である最上階付近に事務所を置く。
この高さはもはや宇宙との境目で有り、地平線は明らかに丸く、空は暗い。窓から見える景色はまさにそれだ。間違いなく、ここは第十室の事務所。
そして腕時計が示すのは、バイクを止めた時に確認したのと同じ時刻。せいぜい、十数秒しか経過していない。
バイクを止めたのは、基部ビルから10㎞程の場所だったはずだ。
水平方向に10㎞、垂直方向に30㎞の距離を、わずか一瞬。
「――これが、あんたの
窓から次に視線を動かした先は、掴んだ手の主。
相手の外見は、布の塊だった。毛布やタオルケットを巻き付けたような物体から、2本の白くて細い手が突き出ている。右手はレベッカ、左手は角一とつないでいる。
わずかに覗く目元からは緩くカールした金髪と、二重の、少しとろんとした印象の碧眼が見えた。
10歳もなってないような子供だ。髪も長いし顔のパーツの作りも細かい印象。何となく女の子かも、とレベッカは思ったが、自信はない。
彼女はレベッカと視線が合うと
「―――っ!」
まるで弾かれたように二人の手を離すと、回れ右をして逃げだす。逃げる先には発泡スチロールやウレタンのといった緩衝材が乱雑に積み重ねられた山があり―――
ぼふん、と、ヘッドスライディング気味にそこに突っ込んで、そのまま埋まった。
どうやら、あそこが彼女の巣らしい。
「んまあっ!あんなかわいい子を虐めるなんてこれだからヤンキーはってごめんなさい虐めないでください」
「いじめてねーしいじめ殺すわよ」
「―――悪く思わんでくれ、ミス・マージン。あの子も悪気があるわけじゃないんだ。そっちの馬鹿は知らんし悪く思ってもらっても結構だが」
落ち着いた低音が投げかけられる。
背の高い、黒人の中年だ。青い作業用のつなぎを着て、タオルで手を拭きながらこちらに歩いてくる。
「おいおい、俺に悪気がないことは確かだけど、カトレちゃんのことをバカ呼ばわりとかひどくない?誹謗中傷じゃない?」
「酷いのはお前だ馬鹿者。本当に急用ならカトレの
「そッスよー。おかげで変な負荷かかってあの後、カトレちゃんお熱出したンスからね」
「あ~……うん、それについてはごめん。反省するし、反省したからカラオケ以外じゃちゃんと出るようにしてるじゃん」
「カラオケでも出ろッスよ、センパイ」
少年からも言われ、流石の角一も減らず口を閉じる。一方の少年は、毛布の塊の推定少女―――カトレの巣に、椅子に胡坐をかいた状態のまま器用に移動。
「は~い、ご褒美ッスよ~。魔法将校ファシストミギーのウグイスナッツバー~」
緩衝材の山にアニメ調のパッケージがされたスティック菓子を差し出す。
もぞりと山が動くと、恐る恐るといった態で腕が出てきてくる。白い子供の手はスティック菓子をつかむと素早い動きで引っ込む。その後数秒。再びもぞもぞと山が動きおずおずと手が出てくると、遠慮がちにサムズアップ。
気に入ったらしい。
その様子をなんとなしに眺めながら、レベッカは自分の身に起きたこと―――カトレという少女の
(手を握った相手と、その付属品を呼び出す、って感じの
例えば、液体を操る能力。彼にとって水や油は労せず自在に操れるものだ。だがタールのような個体に近い粘性を持つ対象は、水や油を操るより大きな体力的負担を得る。ガラスのような「分類上は液体」を操るには更なる多大な労力を必要とする。
そういった運用を
(けど、この能力なら―――)
「残念だけど、あの子の
心を読んだように、言葉が投げかけられる。
眼鏡をかけた中年の婦人だ。ふくよかな、人のよさそうな女。地方の役場の事務員、といった風な装いと雰囲気だ。
つい2時間ほど前、レベッカが第十室に乗り込んだ時には見なかった顔だが、しかし彼女には見覚えがあった。
「しつちょー。進路使用許可、出たッスか?」
「ええ。五十嵐少佐に掛け合ってやっと、割り込みさせてもらえたわ」
第十室室長。それが彼女の役職だ。
「佐官級まではまだ情報が下りてきてないけど、聡い人は何かあったってくらいは感づいてるみたい。
賽河原くん達には20分後には出てもらうわ。ハラフィさん、クルーザーのセッティングは?」
「ほぼできている。あとは乗り手を乗せてセッティングを確認するだけだ」
「松田くん、ユニオンとレムス側の裏取りは?」
「ユニオン側はぼちぼちッスけど、レムス側はまるっと見えましたッス。
王太子とその側近の線。射出前にブリーフィングでざっと説明するッス」
「詳細はレポートで提出してね」
「
「カトレはお休みしてなさい。ないとは思うけど、またあとで力を借りることになるかも。
寝る前に歯は磨くのよ」
「――」
緩衝材の山の奥から、声ともいえない声が聞こえた気がした。
雰囲気からして了承、ということだろう。
そして、次に三枝はウレタンの山の隣でしゃがんでいた角一に向く。彼はカトレのご機嫌を取ろうとしていたようだ。菓子を買ってくるという、非常に稚拙な甘言でどうにか反応を引き出そうとしていた。その返事として、山の中から白い手がそっと紙片を差し出した。
「あの、カトレさん。俺でも知ってるお高い系スイーツがずらっと並んでるんですが?最近舌肥えすぎじゃない?コンビニスイーツでテンション上げてた純真な心を忘れちゃったの!?」
「今回の任務で手当てがでるはずだからそれで買ってあげなさい、賽河原くん。
―――いけそう?」
「やるっきゃないんですよね?じゃ、やりますよ、ミツエさん」
「あら?意外とやる気ね」
「軍部がどーたらとかそういうのは、まあ気乗りしませんけど―――」
ちらりと、角一が所在なさげにしていたレベッカを見てから
「相棒を助けるためとかそういうの、まあ、嫌いじゃないんで」
「そう。
―――ミス・マージン」
最後に三枝はレベッカに向き合い
「改めて、初めましてコード
私たち第十室は任務に就きます。第四室のトップエースであるあなたの協力に感謝と、そして期待をします」
「―――OK、ボス。短い間だろうけどよろしく」
そう言って二人は握手を交わした。
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