第24話 入口

 進んでも進んでも代わり映えのしない樹木だらけの景色。何故かこの世界に来てから喉の渇きも空腹も感じないのがせめてもの救いだろうか。




 しかしこんなに一本調子な景色だと退屈してしまうというものだ。もしかしたら先ほどの騎士達の喧嘩が終わるまで待っていた方がいくらかマシだったかもしれない。 




 終わった事を嘆いても始まらない。とにかくこの方向感覚が狂うような森の中をデタラメに進むしか私に選択肢は残されていないのだ。




 しばらく森の中を進んでいると目の前に丸太で組み立てられた簡素な山小屋が見えた。なんだか食欲をそそる良い香りが辺りに漂っている。




「あの家に行くのかいアリス?」




 家に近寄ろうと歩を進めると背後からからかうような声音の言葉が聞こえた。




 振り返ると何も無い宙にぽっかりと耳から耳まで届くような笑いを浮かべた口が浮かんでいるのが見える。




「”笑わない猫” ならぬ ”猫の無い笑い” だ。洒落てるだろ?」




 そう言ってゆっくりと姿を現したのはチェシャ猫だった。彼は高い木の枝にしだれ掛かってニヤニヤと笑いながらこちらを見下ろしている。




「あら久しぶりねチェシャ猫。今回は何か用かしら?」




 私の問いに、しかしチェシャ猫は答える気は無いようでジッとこちらを爪先から頭のてっぺんまで見ると口を開いた。




「ああ、良い剣を持っているね。おおこれは噂に聞く ”ヴォーパルの剣” かな?」




「・・・そうよ、これは ”ヴォーパルの剣”。ジャバウォックを殺すためにハートの女王から借りてるの」




 そう説明した時に私はそういえばチェシャ猫がジャバウォックの居場所を知っているかもしれないと思いついた。




「そうだチェシャ猫。アナタはジャバウォックの居場所を知らないかしら?」




 私の質問にチェシャ猫は口元にニヤニヤ笑いを浮かべながらゆっくりと瞬きを二回した。




「ふむ、ジャバウォックの居場所か・・・一つ聞くけどアリス。俺がその居場所を知っていたとして、それを聞いた君は何をしに行くんだい?」




「この剣を見たらわかるでしょ? ジャバウォックを殺しに行くのよ」




「殺す・・・ほほう」




 チェシャ猫は興味深そうな顔をして私をじろじろと見つめた。




「ぶっそうだね。君は何故ジャバウォックを殺す?」




「帽子屋に教えて貰ったの。どうやらジャバウォックを殺さないとこの世界はいずれ終わってしまうらしいじゃないの。ソレを殺すことがアリスの使命だと言われたけど?」




「殺すことが使命・・・ね。もしソレが本当なら ”アリス” とは何かを殺すために存在することになる。何とも悲しい話だね」




「・・・何が言いたいの?」




「いんや、何も。俺の言葉に意味なんて無いさ。君が勝手に意味を求めているだけだ」




 どこかで聞いたような言い回しだ。




「・・・何でも良いけど結局アナタはジャバウォックの居場所を知っているの?」




 その質問にチェシャ猫は大きく目を見開いた。




「おお知っているとも知っているとも。ジャバウォックの寝床につながる道は君のお察しの通りこの先の山小屋の中だ」




 意外にも彼は素直にジャバウォックの居場所を教えてくれた。私は礼を言って山小屋へ向かおうとするが、その前に卵男に去り際に言われた事を思い出す。




「・・・そういえばアナタが前にくれたナイフなんだけど、コレを見た卵男がこのナイフは良くないモノだって言ってたわ」




「ハハッ、確かに彼にとっては良くないモノだろうね・・・それに帽子屋にとってもそうかもしれない。しかし君にとっては役に立つモノだと思うよ。無くさないように持っているんだ」




 卵男や帽子屋にとって良くないモノで・・・私にとって役に立つモノ?




「それはどういう・・・」




 問いかけようとするが、もうその時にはチェシャ猫の姿は消えていた。




 何が何だかわからないが・・・とりあえずナイフはこのまま持っているとしよう。特に邪魔になるようなモノでも無さそうだし。




 私は気を取り直して山小屋に近寄ると、その小屋が思っていたよりもだいぶ大きい事に気がついた。


 その巨大な扉を遠慮がちにノックすると中から「どうぞ」と透き通った女性の声が聞こえてくる。




「・・・お邪魔します」




 ゆっくりと扉を開けて中に入る。




 小屋の中では人間とは思えない巨大な女性が何やら大きな鍋でスープを煮込んでいる姿が眼に入った。外にただよっていた良い香りはこのスープの香りだったのだろう。




「ちょっと待っていてねお客様。もう少しで極上のスープができるよ」




 そう言って振り返った女性は顔にしわが目立つが整った顔をした中年だった。透き通ったソプラノボイスが耳に心地良い。




 女性は「胡椒が足りない」と呟きながらこれまた巨大な棚を漁ると、ミルク色の陶器で作られた胡椒の瓶を取り出した。




 ルンルンと鼻歌でも歌い出しそうな陽気さで鍋の元へ戻った女性はたっぷりと鍋の中へ胡椒を振りかけた。




 パッと虹色の光りが鍋から溢れ、部屋中に強烈なお腹の減る良い香りが充満する。




「ほぉら出来たよ。アタシ特性の極上スープだ」




 スープをお玉で皿によそう女性。スープで満たされた木製の皿を中身を溢さぬようにゆっくりと私の元へ運んできた。




「さあ召し上がれ」




 私は目の前のテーブルに置かれた皿の中を覗き込む。中には何の具材も入っていない良い香りのする透き通ったスープで満たされている。




 スープは光を反射して覗き込んだ私の顔を鏡面のように映し出している。皿のそばに置かれた木製のスプーンを手に取りスープの中にそっとスプーンを沈めた。




 なめらかな鏡面のようだったスープに小さな波紋が浮かび、水面がゆらゆらと揺れる。




 ゆらゆら




 ゆらゆら




 初めは小さく、だんだんと大きく。




 水面に映った私もゆらゆらと揺れて・・・。




 視界がだんだんと暗くなっていく。






























――― ああアリス。何故君はここにたどり着いてしまったのだ・・・













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