第21話 バンダースナッチ
おお勇者よ
ジャバウォックと戦うのなら
腹を空かせたジャバジャバ鳥に気をつけろ
猛り狂ったバンダースナッチにも
近づいてはならぬ
奴らはきっと君を殺すだろう
◇
「はぁっ・・・はぁっ・・・」
荒い息を吐き出しながら私は走る。
時々背後を振り返って奴が付いてきていないかを確認する。
視認は出来ないが明らかに背後から聞こえるタッタッタというリズミカルな足音。それはつかず離れず一定の速度を保って私の恐怖を煽るようにこちらを追いかけてくる。
奴との出会いは突然だった。
森で言い争いを繰り広げる白と黒の騎士達と別れてからしばらくの時がたち、薄暗い森の中行く道もわからぬまま適当に進んでいると奴と出くわした。
ソレは今まで見た事も無いほど醜悪な怪物だった。
体長は二メートルほどだろうか?
二足歩行のその怪物は、大きな背丈とは裏腹にガリガリにやせ細り極端な猫背と相まってあまり強そうには見えなかった。
ネコ科の動物を思わせる縦に割れた瞳孔とピンと立っている耳。見事な茶色の毛皮には黒色の斑点がポツポツと付いている。
細い両腕の先には鋭いナイフのような鉤爪。
奴は私を確認するとやけに人間くさい様子でニヤリと笑い、耳まで届きそうな大口をカパリと開いた。
唾液に塗れたぬらぬらと光る犬歯が覗き、一瞬の間を置いてその大口から大気をビリビリと振るわせる獣の方向が放たれる。
「きゃあ!?」
奴の口内から生理的嫌悪感を催すような濃い腐臭が漂ってきて私は思わず短く悲鳴を上げて後ずさった。
目の前の怪物がどういう存在だかは知らないが、友好的な生物で無いことは明らかだった。私はくるりと身を翻してその場から逃げ出す。
嫌らしい笑みを浮かべた怪物も私を追ってかけだしたのだった。
この地獄の鬼ごっこが始まって早数分。
明らかに手加減をされている。
野性の獣ならば私が全力で逃げたとしてもすぐに追いついてくるだろう。つまり奴は獲物をじっくりと追い詰めて狩りを楽しんでいるのだ。
私は唇を噛みしめてちらりと腰に差した ”ヴォーパルの剣”を見た。ジャバウォックを倒すためのこの剣ならば奴を撃退できるかもしれない。体力が残っている今のうちに賭けに出るべきだろうか?
そう考えていると不意に目の前に一件の丸太小屋が見えた。
入り口の側に作られた小窓からは何度か道中で見かけた白磁の仮面を被った少女がジッとこちらを見つめていた。
あの少女は得体が知れない。
しかし明らかに今追いかけてきている怪物よりはマシな筈だ。
「追われているの! 中に入れて!」
私がそう叫ぶと窓から外を覗いていた少女の姿が中に消えていった。
やはり駄目だったか・・・。
落胆していると小屋の扉が内側から開かれて中から仮面の少女が無言で手招きをしていたのだった。
小屋の中に私が駆け込むと同時に少女が何かをサッと玄関の外に撒いてから扉を閉めて閂をかける。
「・・・ありがとう。でも・・・奴がくる」
小屋は簡素な造りだった。奴がどの程度の力を持っているのかは知らないが、私の目には逃げ込んだこの小屋が脆く頼りなく思えたのだ。
咆哮。
小屋の外から聞こえる怪物の咆哮に私はその身をぶるりと振るわせた。しかしいつの間にか私の側に近寄っていた仮面の少女が優しく私の肩を叩くと、静かにと言わんばかりに左手の人差し指を自身の仮面の口元にあてがった。
そして少女はそっと小窓の近くまで移動すると私に向かって手招きをする。
恐る恐る近づいて静かに窓の外を覗いてみると、やはり小屋の前に奴が仁王立ちをしているのが見えた。
しかし妙な事に奴は一向に小屋に近づいてくる様子が無い。何か恨めしそうな表情をして足下を見つめていた。
その視線の先にあったのは先ほど扉を閉める前に少女が地面に撒いていたモノ・・・何かの木の実だろうか、ここからだとよく見えない。
あれは何なのかと問いかけようとした次の瞬間、奴のうなり声を遙かに上回る大きな音でバザバサと何か鳥が羽ばたくような音が聞こえてきた。
その音を聞いた瞬間、奴が明らかに怯えたような態度でキョロキョロと上空を見上げる。
そしてソレはやってきた。
見上げるほど巨大な一羽の鳥・・・鷹を思わせる獰猛なその視線は真っ直ぐに奴を睨み付けて急降下してくる。
鋭い爪が怪物の肩を抉った。
怪物も自身の鉤爪を振り回して反撃するが、空中からの容赦ない攻撃にじりじりと追い詰められていき、やがては身を翻して逃げ帰るのだった。
「クケェー!!」
怪鳥は一声勝利の雄叫びを上げると翼をはためかせてどこかへ去って行く。
危機が去った事にホッと息を吐いた私は無意識のうちに拳を硬く握り締めていた事に気がついた。
よほどの緊張感で強く拳を握っていたのだろう。その拳は血の気が引いて白くなっているようだった。
「・・・今の鳥は一体・・・」
少女に怪物を追い払った鳥の正体を聞こうと振り返ると、そこには既に誰もいなかった。無人の小屋はまるで初めから白磁の仮面を身に付けた少女など存在しなかったかのように無言を貫いている。
『彼女たちは何でも無い・・・この世界に置いて役割を与えられなかったモノ達だ』
帽子屋の言葉が思い浮かんだ。
「白磁の仮面・・・役割を与えられなかったモノ・・・」
私はそっと呟いて小屋を出る。
言いようのないもやもやとした気持ちを抱えながら一度だけ小屋を振り返った。扉の横の小窓から一瞬だけ白磁の仮面が覗いたように見えたのはきっと気のせいだろう。
◇
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