第19話 ハンプティダンプティ

「ジャバウォックは鏡の国の最奥で眠っている・・・でもねアリス、鏡の国は入る度に構造が変わってしまうから残念ながら道案内をすることができないんだ」




 帽子屋がすまなそうにそう言った。




「入る度に構造が変わるですって?」




「その通り。鏡そのモノに意味は無いだろう? 鏡は何かを写し出すものだ。その国に足を踏み入れた瞬間、鏡の国はその人物の心を写してその姿を変えるのさ」




 分かるような分からないような不思議な理屈だったが、とりあえずジャバウォックの場所は自分で探さなくてはいけないのだろう。




「入り口までは案内できる、でもそこから君は一人で行かなくてはならない」




「一緒についてきてはくれないのかしら?」




 私が尋ねると帽子屋は手癖でちょいと被ったシルクハットを触ってから気障な仕草で答えた。




「ご一緒したいのはやまやま何だけどね。残念ながら私が一緒に行っても足手まといにしかならないだろう・・・それに少し野暮用もあるしね」




「・・・わかった。とりあえず鏡の国の入り口まで頼むわ」




 私の言葉に帽子屋は満面の笑みで微笑む。




「もちろんだとも」













 たどり着いた場所には何も無い草原にデンと大きな姿見が一つ不自然に置かれていた。大きさは私の身長よりも少し高いくらいだろうか。近づいてみるとその姿見の木枠にずいぶんと凝った装飾が施されている事に気がつく。




 互いの尻尾にかみついた二匹の蛇。




 それは嫌に精巧な彫り物で、今にも木枠に彫り込まれた茶色のそれが目を開いて動き出し牢に思えたのだ。




「ここが鏡の国の入り口だよ。さあアリス、鏡に手を伸ばして」




 今更鏡の中に入るくらい驚くに値しない。




 しかし鏡の中に手を伸ばすといういかにもな行為に興奮している自分がいる事も事実なのだろう。




 私はそろりと姿見に手を伸ばしそのつるりとした硬質な鏡面に触れる。ヒヤリと冷えたその鏡面は触れた場所からまるで水面に石を放り投げたように波紋が発生し、硬いはずの鏡面が波打つ。




 初めは小さく徐々に大きく。




 それはやがて私を飲み込むほど大きく揺らぎ・・・やがて何も見えなくなった。















 そこはあまりにものどかな草原であった。




 私の住んでいた日本の住宅街では決してお目にかかれないような広大な草原・・・そこには何も無く、ただ優しい風がふわりと頬を撫でる。




 とりあえずジャバウォックを探すための手がかりを見つけなくてはならない。私は意を決して適当な方向に向けて歩き出す。




 ここが鏡の国なのだろうか? 一面に広がる草原以外なにも無く、鏡の国と言われてもいまいちしっくりこない。




 しばらく歩いていると前方にポツリ一件の家が見えてきた。赤い屋根が素敵な小さな一軒家だ。




 近づいて様子を見てみようと歩き出すと突然背後から声がかけられた。 




「やあごきげんいかが? かわいいお嬢さん」




 それは奇妙な生物だった。




 大きな卵に細い手足が生えている。そうとしか表現できないソイツは快活な男性の声で私に挨拶をしてきた。




 卵のくせに生意気に上等なチョッキと目出し帽をかぶっているソイツは、どこにあるかも分からない顎をつるりと撫でるのだった。




「・・・こんにちは。アナタは何なの?」




 とりあえず挨拶を返しながら私は恐る恐るソイツに近寄る。どうやら体のバランスが悪くて自分では立ち上がれないのか、腰の高さに積み上げられた石垣にちょいと座ったまま動こうとしない。




「奇妙な質問をするな。見ての通りただの卵だよ。君は卵を見たことが無いのかね?」




 エラそうな声でそう言う卵男に、私は少しムッと腹を立てながら返事をした。




「もちろん見たことはあるわ。でも私が知っている卵はしゃべらないもの」




「むむ、そうか。じゃあきっと君の見たことのある卵達は皆恥ずかしがり屋だったのだろう。もしくは居眠りの最中だったのさ」




 本当にそうだろうか。 




 馬鹿げた会話だ。私はそう感じながらも適当に話を合わせる事にした。もしかしたらこの奇妙な卵男がジャバウォックの居場所を知っているかもしれないからだ。




「ところでお嬢さん、君は何者かな?」




「アリスよ・・・たぶんね」




 私の答えに卵男は興味深そうな声を出した。




「ほほう、”たぶん” とは?」




「この世界に来てからみんなが私の事を ”アリス”と呼ぶの。だからたぶん私はアリスなんでしょうね・・・でもいまいち実感がわかないのよ」




 その言葉に「なるほどなるほど」とどこか楽しそうな声音で呟いた卵男はやはり何故か上機嫌な声で言葉を続ける。




「なるほど、いいだろう。君が何者かはなんとなくわかった。それでは ”たぶん” アリスよ。君はここに何をしに来たのだろう?」




「ジャバウォックを探しに来たの。アナタはその場所を知っているかしら?」




 やっと本題に入れそうだとホッとしながら答えるアリス。




「ジャバウォックか・・・探してどうするんだい?」




「殺すのよ」




「ハハ、君は面白いことを言う。ジャバウォックとはこの世界における ”終焉”という概念そのものだ。君は概念をどうやって殺すと言うんだい」




 アリスは無言で腰に差したヴォーパルの剣を抜き、その鋭い切っ先を卵男に突きつけた。そして冷たい目線で男を見下ろしながらポツリと呟く。




「この剣で殺すのよ」




「・・・なるほどヴォーパルの剣、か。これは恐れ入った」




「場所を知っているなら早く教えて、知らないならアナタに構っている暇は無いのよ」




 アリスの言葉に、しかし何故か卵男は目出し帽をちょいとずらすといきなり大きな声で歌を歌い出した。












 おオ、恐ろしきジャバウォック


 その一鳴きで生あるものスベテ震え上がる




 あア、ジャバウォッキー


 尾揃しきかの災厄は


 今日も鏡の台座に眠る




 おオ ジャバウォック ジャバウォッキー


 その一鳴きで事なきを得るのさ 














「・・・その歌にはどんな意味があるの?」




 私が尋ねると卵男は馬鹿にしたように口を開く。




「歌に意味なんか無いさ。意味を見つけるのは聞いた君自身なのだから」




 もう我慢の限界だった。きっとこれ以上粘ってもこの卵男から有益な情報は得られないだろう。




 アリスは剣を納めるとその場から立ち去ろうと身を翻した。




「ん? ちょっと待ってくれ君。その腰のナイフは何だい?」




 背後から聞こえた卵男の不思議そうな声に少し引っかかりを感じて振り返る。




「何って・・・ここに来たときにチェシャ猫から貰ったのだけれど」




 その返答に卵男は少し黙ると今までの快活な口調とは打って変わった真剣な声で語り出した。




「チェシャ猫が・・・ね・・・・・・これは善意で忠告しておくけど、そのナイフあんまり良い物じゃないよ。彼が何を思って渡したかわからないけど、気をつけた方が良い」




「・・・一応忠告は受け取って置くわ」




 そして再び歩き始める私。




「お嬢さん。もし君が本当にアリスなら道案内なんて必要ないだろう? だってアリスとジャバウォックは出会う運命にあるのだから」




 背後から聞こえてくる卵男の言葉に、私は今度こそ振り返る事は無かったのだ。






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