08-04


 翌週のある日の放課後、いつもどおりにバイトを終えて店を出ると、軒先の車止めに腰掛けて、ツバキが待っていた。

 

「や」


 と彼女は言う。俺は頷きを返して、とりあえずそばに近付いた。


「用事?」


「ん。あのさ……」


「なに」


「センパイの学校に、相羽ってやつがいるでしょ」


「……相羽?」


 ツバキからその名前が出ることを少し意外に思いながら、俺は頷いた。


「二個下」


「知ってる?」


「たぶん。思ってるやつと同じなら、文芸部の新入部員」


「じゃ、そいつだ」


 とツバキは言って、手に持っていたものを俺に差し出した。

 それは便箋のようだった。


「なに、それ」


「ん……」


 彼女は何かを言いかけて、結局やめた。

 そして、


「渡しといて」


 とだけ言う。


「……」


 どんな知り合いなのかとか、知っている相手ならどうして俺を経由するのかとか、聞きたいことはあった。

 けれど、そこで聞いてしまったら、ツバキはその便箋を引っ込めて、すぐに踵を返してしまうような気がする。


 だから俺は何も聞かないことにした。


「わかった」


「ん。お願い」


「ラブレター?」


 それくらいは聞いてもいいだろうと思って尋ねると、ツバキは困ったみたいに笑った。


「そんなようなもん」


「ふうん」


 嘘だという気もしたし、本当だという気もする。

 どっちでもいいやと思った。


 それからツバキが店にやってくることはなくなった。


 しばらくして、道塚は時給の低さを理由にバイトをやめた。それから俺は、道塚にもギンジにも、ツバキにも会っていない。いずれまた会うことがあったとしても、今のところは。


 シフトの穴埋めは、普段なら平日の夜に入ることが少ないユウがこなすことになって、急にシフトを増やされた彼女は道塚に軽い恨み言を吐きながらも、いつもどおりの愛想のよさでレジを器用に回していた。




 大澤と西村が別れたという話を聞いたのは、更に次の週のことだった。その日からふたりは、当然のように毎日部室に顔を出すようになった。大澤は相変わらずの様子だったし、西村も当たり前に顔を出していたので、俺はふたりが別れたなんていう話を聞かされてもうまく信じることができなかった。それでもふたりが別れたというのはたしかな話らしい。なにせ俺は大澤からそう聞いたし、枝野も西村からそう聞いたと言っているのだから、本当なのだろう。


 当然のように振る舞うふたりの態度に、むしろ俺や枝野や藤見のほうが戸惑って、「まあ、とりあえず本人たちの事情ですから」という共通認識を確認したあとは、その話題にはあまり触れないことにした。大澤は俺に何の説明もしなかったし、その義務もない。枝野のほうは西村からなにか聞いているかもしれないが、俺がそれを枝野から聞くこともない。


 たしかなことは、大澤は西村と別れてからの一週間で十本以上の短編を書きあげ、五本の中長編の構想をまとめはじめたということくらいだ。


 西村は、ただ一言、


「負けず嫌いなんだよね」


 と俺に言ったけれど、誰が、とは言わなかった。





 ある日廊下で遠野とすれ違った。

 また漫画を描いていると彼は言った。そのうち読んでくれ、と。


「おまえもどうせ書くんだろう?」と言われて、俺は少しだけ困った。


「そのうちね」


 と返事をしたけれど、以前似たようなことを言われたときとは、少し気分が違っていた。




 

 俺がツバキからの頼まれごとをしっかりとこなしたとき、相羽はなにか奇妙な表情をした。

 いつも笑顔を浮かべている彼が、どこかが痛むような顔のまま俯いてしまったのだ。俺は自分が何かを間違えたような気がした。

 

 けれど彼は、「ありがとうございます」と言った。


 べつに関係ないやと思って、俺は詳しく事情を聞こうとは思わなかったけれど、相羽のほうもなにも聞いてこなかったのが、少し意外な気もした。

 

「そういえば」と彼は言った。


「このあいだ自転車を貸してもらったお礼をしてませんでしたね」


「いいよ、そんなの」


「そうはいきません。コーヒーをおごればいいんでしたよね」


「……じゃあ、それで」


「それなら」と彼は言った。


「土曜に駅前で会いませんか? 美味しい店があるんで」


「……」


 缶コーヒーくらいのつもりで言っていたのだが。


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