05-02


「何読んでるんすか、先輩」


 相羽に声をかけられて、俺は表紙を彼に見せた。


「……」


 彼は一瞬、変な表情をした。妙なものを見たみたいな、そんな顔を。

 相羽の隣にいた彼もまた、表紙をちらりと見て鼻で笑うような仕草をする。


「女みたいな本」


 と、ボソリと呟いた。「まあな」と俺は適当に返事をした。


「……」


 ちらりと見ると、彼はやっぱり不満そうな顔をしている。何がそんなに気に入らないんだろう。


「気にしないでください」と相羽が言った。


「……なにが?」


「……えーっと」


「せんぱい、新入生怖がらせちゃダメですよ?」


「……いや、そんなつもりは全然ないんだけど」


 困ったように笑う藤見にそう返すと、彼女はうーんと首を傾げた。


「そもそもなんですけど、せんぱい、新入生の顔合わせのとき、いましたっけ?」


「……」


「……」


「……さあ?」


「さあ、って……」


 ああ、いや、相羽の名前は、名乗られる前から知っていた。ということは、たぶん、


「いや、居た。たしか。たぶん」


「たぶん、なんですね」


「……まあ」


 藤見は複雑そうな顔をした。


「……一応、紹介しておきますか?」


「……ああ、うん」


 名前なんて知らなくても会話はできる、ということは知っている。そういう種類の我を通したところで仕方ない。

 

(本当にそうか?)


「……」


「えっと、順番に」


「あ、俺のことはわかりますよね」


 相羽が声をあげる。俺は頷いた。


「何度か会ってるからな」


「……せんぱい、名前言えます?」


「相羽」


「……下は?」


「……」


「……せんぱいって、変わんないですよね」


 藤見が心底呆れたというふうに溜め息をつく。不意に吐息のような笑みの声が聞こえて顔をあげると、枝野がくすくす笑っている。

 珍しいものを見た。

 

「変わんないことは……ないと思うが」


 一応、言葉の上で否定しておくけれど、やはり説得力に欠ける。


「じゃあ、相羽くん以外のふたりですね」


 と、藤見はひとりひとりを示し、


「染谷くん」


 と、明るい髪色の垢抜けた男子を示す。彼は特に何も言わない。


「と、立川さん」


 立川は、「ども」と短く頭を下げた。やけに瞳が特徴的に見える。大きな瞳。切りそろえた前髪の下の、印象的な瞳。どうしてだろう。……ほんの少し、青みがかっているように見える。


「はあ。佐伯です」


 頭を下げると、三人は変なものを見るような顔をした。


「知ってます」と相羽が言う。


「初対面じゃないですから」


 と言ったのは立川だった。染谷は相変わらず黙っている。


「……そっか」


 ええと。


「……もう本読んでていい?」


「……」


 藤見は「処置なし」という顔をした。




 

「花束のつくりかた」は、思春期の人間関係や自意識や苦悩を瑞々しい文体で切り取った青春小説であるという。解説を信用するならそういうことになる。五十ページほど読み進めて、この評価を訝しく思った。「瑞々しい」? そうだろうか。瑞々しさという言葉の意味はよくわからないが、どうも違うような気がしてならない。けれど、描かれている内容に関しては、たしかに思春期の人間関係を題材にしていた。


 周囲に打ち解けずにいる「わたし」と、人気者の「彼」を中心に、いくつかの人間関係が描かれていく。そこにはとても微妙な空気があった。「打ち解けずにいる」といっても、友達がいないわけではない、ただ目立たないグループに属しているという雰囲気が正しい。そして「彼」は男女別け隔てなく接する人間として描かれているが、その「隔たりのない男女」のなかに「わたし」は含まれていない。そこには明確なスクールカーストが、その断絶が存在している。よって「わたし」は「彼」を見ているだけであり、「彼」は「わたし」を背景としてとらえている。


「瑞々しい」?


 解説には「思春期特有の思考がよく表現されている」とか、「著者の実体験かと想像してしまうほど具体的な表現」とか言われている。


「……」


 ページを繰りながら、俺は、ひなた先輩の言葉の意味を考えた。


 ──なんとなく、修司くんがそれを読んでるのは意外だけどねー。


 どうしてあのとき、ひなた先輩はあんな微妙な反応をしたんだろう。その答えが、なんとなくつかめた気がした。読めば読むほど確信に近付いていく。


 一見すると、著者の実体験をもとに高校生活を描いただけの、単なる自伝小説のようなものともとれる。あるいは、そのなかで夢想された恋愛を描いたような、少女漫画のような恋物語にも読める。それを「瑞々しい」と呼ぶことはおそらく可能だ。こういったものを「若さ」と呼ぶ人間を俺は知っている。けれど……。


"配置が巧妙すぎる"。

"比喩が適切すぎる"。

"含意があまりに大きすぎる"。


 そしてそれらが、気付かれないように、それとなく置かれている。


 瑞々しいと誰かが呼んだ、一見素朴で飾り気のない文体の中に、はっきりとした意図を感じる。その全容を俺はまだ掴めていない。


 苦い汁でも無理やり口に流し込まれたような気がした。今なら、ひなた先輩が微妙な顔つきをした理由がわかりそうだ。そして、ページをめくる。ひょっとしたら深読みのしすぎかもしれない、ひょっとしたら勘違いかもしれない。そんな気持ちでページをめくる。そしてはっきりと分かる。"間違いなくひとつの意図の元にそれらは配置されていた"。そう気付かなかったとしたら、この小説は稚拙にも凡庸にも映るだろう。

 けれど……。


 ……なるほどな。


 ──ん。意外じゃないと言えば意外じゃないけど、意外と言えば意外。


 不意に、一節、目を引く一文を見つける。目を引く? 違う。「見覚えがある」、だ。


 とりあえず本を閉じ、瞼を閉じて息をつく。


 なるほどな、ともう一度思う。


 不意に周囲に視線をやると、さっきの一年がこっちを見ていた。たしか、染谷って言ってたっけ。


「……なに」


 訊ねると、彼は首を横に振り、何も言わなかった。


 ふう、と溜め息をつくと、今度は藤見がこちらに視線をよこす。


「なんだよ」


「なんでもないです」というような身振りを、彼女は声をあげずにした。

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