05-01


 放課後、屋上に向かう途中で、相羽に声をかけられる。


「今日は部活出るんてすか?」


 俺ははっきりと首を横に振った。相羽の傍にはふたり別の生徒がいる。片方は男で片方は女だった。たぶん新入部員のふたりだろう。相羽以外のふたりの名前は、今は思い出せない。


「何かやることがあるんですか?」


 と遠野は問いを重ねた。


「部長、困ってますよ」


 苦笑いを浮かべる相羽に、とりあえず頷きだけを返して、俺は屋上へと向かった。


 扉を開けると、誰もいない、何もない空間が広がっている。


 俺はフェンスへと近付いて、しばらく街を眺める。


 何もせずに立っているのにも疲れて、ぱらぱらと手帳をめくってみる。それにもやがて疲れ、本を取り出して読み始めた。なんとなくうまく入り込めないでいると、不意に背後から扉の開く音がした。振り返ると待ち人ではなかった。知らない女子生徒だった。


 まっすぐに、こちらを見ている。背の低い、髪の長い女の子だった。気の強そうな目をしている。その目が俺をじっと見ている。笑いもせず、怒っているみたいな表情で。


「佐伯修司?」 


 と彼女は言った。それが確認だと気付くのに結構な時間がかかった。


「ああ」


「遠野から伝言」


「遠野から?」


「"今日は帰る"って」


「……」


「それだけだから」


「そう」


「確かに伝えたからね」


「ああ」


「……それ」


「ん」


 彼女は俺が手にした文庫本に目を止めた。


「『花束のつくりかた』?」


「……ああ。知ってるの?」


「……趣味悪い」


 俺は少しだけ驚いた。


「嫌いなの?」


「……甘ったれで、嫌い」


「……」


 それだけ言い残して、彼女は踵を返して屋上を去っていった。





 それ以上屋上に居続ける理由もなく、俺はその場を後にする。けれどそのあとどうすればいいのかわからなかった。キッチンで湯を沸かしていたあの女の子はどうなったんだろう? あの子を苛んでいた不安とはいったいなんだったんだ? そんなことをぐるぐると考える。今日はバイトもない。何もすべきことがない。家に帰って勉強でもするべきだろうか? でも、そうじゃない気がする。


 俺の中のよくわからないもの、蓋をして閉じ込めていたものが急に溢れ出しそうだという気がした。それが何なのかを俺は知らないけれど、その蓋を外してしまうと何かよくないことが起きるような気がする。

 

 何か、何か、よくない。


 俺は、階段を降りる。そしてふと思い立ち、そのまま校舎を出ようとする足を止めた。


 部室の扉を開けると、みんなが一斉に俺のことを見た。


 部室には全員が揃っている。大澤、枝野、西村、藤見……。それから、相羽と、さっき会ったふたりの新入部員。


「……せんぱい」


 と、声をあげたのは藤見だった。


「……何しにきたんですか?」


 ひどいな。


「……帰る」


「あ、待ってください!」


 パイプ椅子から立ち上がって、藤見は俺の近くまでやってくる。それから俺の腕のあたりを引っ張った。


「そういう意味ではないです、そういう意味では」


「どういう意味だったんだよ」


「純粋に疑問だっただけです」


 なおさらひどい。


 藤見は俺の腕をぎゅっと引っ張ったあと、俺の手から鞄をひったくるように取り上げて、いつも俺が座っているあたりの机の上に置いた。それからそこにパイプ椅子をおくと、「さあ」といわんばかりに手でそれを示す。


 俺は周囲の視線を感じながら、なんとなくいたたまれない気持ちでその椅子に近付いた。


「……」


「……」


 しばし藤見と睨み合うような形になる。やがて根負けした。


「……どうも」


「いえ」


 藤見はずっと真顔だった。


 俺がパイプ椅子に腰掛けると、部室内の緊張が不意に緩んだ気がした。


「ふむ」


 と、新入部員の女のほうが声をあげた。


「……藤見先輩って、佐伯先輩がいると微妙にキャラ違うんですね」


 藤見は「そんなことないと思うけど」と苦笑した。


「俺もそんなことないと思う」


 適当なうなずきを返しただけだったのだが、


「あんたがいないときの藤見さんのキャラをあんたが知ってるわけないでしょう?」


 と、枝野がやけに尖った口調で言った。


 なんとなく息が詰まって周囲をまた見渡す。相羽は俺を見て、困ったように笑っていた。その隣に腰掛けるもうひとりの新入部員は、やけに機嫌悪そうに見えた。藤見は何かをごまかすみたいに自分の席に戻っていく。西村は、少しだけほっとしているように見える。


 大澤だけが、まだ何も言わない。目が合うと、彼は静かに口元を緩めた。


「書くのか?」


「……」


 その問いに、みんなが黙った。

 

「……いや」


 大澤は、


「そう」


 とだけ言った。


 藤見も、枝野も何も言わない。

 西村が取り繕うように、


「……まあ、気が向いたらね」


 とだけ言った。


 いつもならそれで終わりだった。


「……だったら」


 黙っていた新入部員のひとりが、不意に声を上げる。男子生徒の方、機嫌悪そうに見えるやつ。

 期限が悪そう?

 

 どうやら違うみたいに見える。


 俺を睨んでいるみたいに見える。


「だったら何しにきたんですか?」


「……」


 少しだけ明るく染められた髪、長い手足、座っているのを見ただけでも、背が高いのが分かる。彼は不服そうに頬杖をつき、俺を見ている。


「おい」と、隣に座っていた相羽が諌めるような声をあげる。もうひとりの新入生(女子の方)も、そいつの方を見ている。


「……何しに?」


 ──じゃあ、どうしてここにいるの?


 不意にツバキのその言葉が頭をよぎり、

 俺は思わず頭を振って考えを振り払った。


(おまえには無理だよ)


「……本読みに、かな」


「……」


 いかにも不服そうな顔をされてしまった。虫の居所でも悪いんだろうか。


「気が向いたら書いてね」


 と、西村がそう言った。俺はとりあえず頷いた。


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