04-03



 俺は結局一曲も歌わなかった。歌っていないやつと適当に喋りながら、どうにかその場に居続けた。空気を悪くしていないかだけが心配だったけれど、誰もそんなことは気にしていないみたいに見えた。


 車に乗り込んだあと、「んじゃ、次はどうする?」と言ったのは、さっきも助手席に座っていたギンジの弟だった。


 まだどこかに行くつもりなのか?


「ダーツ?」


「だりい」


 と後部座席の男が言った。


「疲れた」


 と後部座席の女が言う。


「ええ」とギンジの弟が声をあげた。


「じゃあ帰んの?」と道塚が言う。


 それはそれで少し違う、というふうに、後部座席の二人が唸った。


「どうすんよ」とギンジが言った。俺はぼんやりとそのやりとりを聞いていた。


 誰もが数分間黙り、どうでもいいような話を始めた。さっき歌った歌がどうだとか、バンドのツアーの開催地がどうとか、共通の後輩の話だとか。

 後ろの席で何かを話している間、ギンジはずっと黙っていた。


「城」


 と道塚が不意に言った。


「城行こう」


「……城?」


 思わず繰り返すと、隣に座る道塚がにやっと笑った。


「城行こうぜ」


「ええ」と後ろの女が言う。隣の男が「何のために?」という。


「いいじゃんべつに。ドライブ」


「んん」と女が呻くような声を上げた。


「城ってどこ」


「んじゃ、城行って解散するか」


 俺の質問を無視して、ギンジはエンジンをかけた。俺は携帯を開く。時刻は二時。これからまだどこかに向かおうとしたら、帰りは何時になるんだろう。

 メールが着ていることに気付いて、ボックスを開く。


 ひなた先輩から。


「今日はありがとう ばいとおつかれさま 無理しないでね」


 ありがとうございます、と俺は打った。

 大丈夫ですよ。


 大丈夫ですよ、という文字を数秒間眺めてから、俺は送信ボタンを押した。




 二、三十分車で走って辿り着いたのは、市内の有名な城址公園だった。もちろん城址であって城なんか存在していない。ただ高台にある公園というだけだ。かろうじて残っているのは石垣と脇櫓くらいのもので、あとはせいぜい江戸時代の藩主の銅像や、資料館や護国神社があるくらいのものだ。この時間は当然資料館も閉館している。もともと地元の若者が来ても特に面白くもないような場所だ。それでも、高台にあるだけあって、この公園はけっこう有名な夜景スポットになっている。

 

 もっとも、それについても、地元の人間としては首を傾げざるを得ない。まあ、それに関しては、単に俺が夜景を楽しむような精神的な成熟を持ち合わせていないだけのことなのかもしれない。


 雑木林の間を抜ける道を歩いて、銅像やら何やら歴史的なものらしい塔やらを見上げながら進むと、開けた場所に出る。果てには手すりがあり、見晴らしのいい展望台になっているわけだ。


 夜の街とその灯りが見える。こんな夜には星も見えない。


 さて、かつてここに立っていた城からはやはりこの街が見下ろせたのだろうと考えると、まあ奇妙な感慨のようなものは沸かないでもない。

 連中はぼんやりと夜景を見下ろしたあと、とくに何を考える様子でもなく引き返し、近くにあった自動販売機で缶コーヒーを買った。ギンジはそれに口をつけて逆さにするようにして飲み切ると、缶を灰皿にして煙草を吸い始める。喫煙者というのは厄介なものだ。みんながギンジの缶を灰皿に煙草に火をつけた。


 俺も奴らももう疲れ切っていて、頭は回っていなかった。何人かは眠そうだったし、何人かは口数が少なくなっていた。徐々に誰かが喋ったときの周囲の反応も鈍くなっていった。煙草の煙だけが夜の闇に溶け込んでいく。


「トイレ」


 と道塚が言った。


「俺も」とギンジの弟が言う。


 ギンジはあくびをひとつしたあと、缶をその場に残したまま展望台の手すりの方へと近付いていく。俺はその姿をぼんやりと見送ったまま、自販機にもたれてその場で息をついた。

 残された俺ともうふたり……後部座席に乗っていたふたり……は、特に会話もなかった。やがてそのふたりも煙草を吸い終えると、ギンジのところへと歩いていく。ようやくひとりになれたという不思議な安堵が生まれる。


 大丈夫ですよ、と俺は思った。


 やがて道塚たちが戻ってきて、彼らは俺のところを通り過ぎてギンジたちの方へと歩いていく。俺はそれを見送る。

 

 しばらく彼らの後ろ姿を眺めていると、そのうちのひとりの影がこちらへと向かってきた。


 例の茶髪の女だった。


「センパイ眠いの?」


「べつに」と俺は答えた。茶髪の女の目は疲れているみたいに見えた。


「きみは眠そう」


「きみ?」


 彼女は一瞬きょとんとして、バカにするみたいに笑った。


「ツバキ」


「ツバキ?」


「名前」

 

 ツバキ。

 

「ツバキ」


「うん。ツバキ」


「よろしく」


「うん、よろしく」


 そう言ってから、馬鹿馬鹿しそうにツバキは笑う。

 それから彼女は俺の目の前にやってきて、まっすぐに俺を見た。


 にんまり、面白そうに、眠たげな目で笑う。


「……センパイってさ」


「……」


 怪訝に思いながら、彼女の瞳を覗く。どうでもよさそうな目だと思った。

 なににも興味がないような。


「──ぜんぜん、笑わないんだね?」


 俺は、その言葉に、口を閉ざすしかなかった。

 体を何かで叩きつけられたような気さえする。


 ツバキはそう言っただけで、また立ち上がって俺のもとを去っていった。

 

 まただ。

 また、羞恥に似た感情が押し寄せてくる。消えてしまいたいと思うような、なくなってしまいたいと願うような。


 自販機にもたれたまま、しゃがみこんで顔を手のひらで覆った。


 違う、と俺は思う。


 こんなはずじゃない。





 結局そのあと、朝日が空を白ませるまで俺たちはそこにいた。くだらない話をしたりしなかったり、離れたり一緒にいたりしながら。時が経てば経つほど、誰もがまともな言葉を話せなくなっていっているような気がした。朝が来て、俺たちは言葉少なくその場所を後にした。灰皿代わりになっていた缶を誰も気に留めていなかったようだった。


 ギンジは俺の家の近くまで車を走らせて送ってくれた。ひとりになった俺は、まだ少し薄暗い家の中を歩き、着替えをもって浴室に向かった。服を脱いだとき、自分のからだから煙草の匂いがすることに気付いた。視界がひどく、ひどくぼんやりとしていた。


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