03-04


 結局その場で買うことはせずに歩くのを再開し、一通り気になるものを見終わってから、コーヒーショップに入って休むことにした。


 話題は、大学でのひなた先輩のこと、最近の俺の周辺の様子、最近読んだ本や観た映画について、そういうものに触れることが多い。もともと俺は話上手な方じゃないから、自分からなにか楽しい話ができるわけでもない。その点ひなた先輩は話し上手と言ってもいいくらいで、不思議と無理もなく会話が続いた。でも、彼女のほうがかなり気を使ってくれているというような気がする。


「小説は……」


 と、やはりその話題になった。


「やっぱり、書けない?」


 困ったみたいに、彼女は言った。まるで、なんでもないことだと思わせようとしているみたいに聞こえた。


「そう、ですね」

 

 そう頷くことくらいしかできなかった。俺は書けていないし、書いていない。ひなた先輩は、一瞬だけ何かを言いたげな顔をしたけれど、すぐにいつものように笑った。何かをごまかしたみたいに見えた。


「どうしてなんだろうね?」


 と彼女は言う。俺は考え込む。


「どうしてなんでしょう」


 ──つまり……ものすごく身も蓋もない言い方をすると、せんぱいは、ひなた先輩と付き合い始めたわけじゃないですか。


 ──それで、せんぱいはある程度、精神的に満たされたわけじゃないですか。


 藤見にそう言われたことをひなた先輩に話せないのは、ひょっとしたら、自分でもそう思っているからかもしれない。けれど、それを言ってしまったら、すぐに直視したくない結論が目の前にやってきてしまう。でも、そんなバカな話はない。


 ──もしも自分が、自分にとっていちばん大切なものがなにかってことを見誤っているとしたら、それは不幸なことなんだろうね。


 そう言ったのは枝野だった。そのくらいのことは、俺だってちゃんと覚えている。


「……うちの高校に」


「ん?」


「漫研、あるじゃないですか」


「漫画研究会?」


「はい。わかりますか?」


「ん。あったね。研究っていうより、描く人が多かった気がするけど」


「ですね。そこの部員のひとりに、原作のアイディア出しを手伝ってくれって言われたんです」


 ひなた先輩は感心したような声をあげた。


「すごいね」


「すごいんですかね」


「声がかかったんでしょう?」


「まあ」


「じゃあ、すごいよ」


「……そうなんでしょうか」


 あまり、そういうふうには思えない。遠野は俺の書いたものを、過大評価している気がする。


「手伝うの?」


「そもそもの話なんですけど。……自分の書く話のアイディアも出てこないのに、他人のものを手伝うっていうのも変な話じゃないですか」


「ん、んー、まあ、そっか」


 ひなた先輩は、また何かを言いあぐねるような顔をする。俺は、どうしてもそれについて訊ねる気になれない。そうするのがひどくおそろしいことのように思える。

 去年までの俺は、ひなた先輩と書くことについて話しているとき、いつも最終的には安心できた気がする。そこまではいかなかったとしても、少なくとも、何かしらの指針のようなものを見つけられた気がする。それなのに今は、ひなた先輩と書くことについて話していると、どうしようもなく不安になってくる。それは、ひなた先輩の表情がどこか不安げに見えるからかもしれない。


 彼女もまた、何かを恐れているように見える。


「でも、そういうところから何か活路が開けるかもしれないよ」


「活路?」


「うん」


 活路……。


「……やってみても、いいと思う」


「……ですかね」


「うん」

 

 どうしてなんだろう。

 ひなた先輩は笑っているのに、頷いているのに、本心を話していない気がする。その疑いには根拠がないのに、そういうふうに感じてしまう。


 本当にそう思いますか、と、どうしても聞くことができない。そう言ったら、俺は、彼女の口から一番聞きたくない言葉を、彼女から言われそうな気がする。


 俺とひなた先輩は、そのあと映画の上映時間に合わせて映画館にむかい、一緒に映画を観た。おもしろいかと聞かれたらまあおもしろいと答えられるような映画だった。その後少し休憩し、感想を少しの間交わしたあと、俺のバイトの時間の都合でそのまま別れた。


「またね」とひなた先輩は言った。


「はい、また」と俺は答えた。


 ひなた先輩といるのは楽しい。そして俺は、楽しんでいる俺に焦りを覚えている。それは少なくとも事実のように思えた。



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