02-06



 翌朝、学校についたときに、俺の教室の俺の席に、森里悠真が座っていた。


「よう」


 と彼は手をあげた。


「ああ」


 と俺が頷きを返すと、彼は特に思うところもなさそうに顔を下げた。


 何をしているのかと手元を見ると、どうやら文庫本をめくっているらしい。


「なんでわざわざ人の席で読むんだ」


「いや、読むつもりはなかったんだ」と森里は言う。


「これ、おまえがうちに忘れてったやつ」


「え?」


 文庫本を音を立ててたたみ、森里は俺の前に表紙を突き出した。


 覚えのないタイトル、覚えのない作者、覚えのない表紙。

 

「……勘違いじゃないか?」


「いや、たしかにおまえのだよ」


「……」


 手渡され、思わず受け取る。

 でも、俺はこの本を買ったっけか?


「おもしろかったよ」


「読んだのか?」


「そんなつもりはなかったんだけど、試しにめくってみたら止まらなくてな。昨夜一気に」


「珍しいな」


「ああ。良い本だった」


「……ふうん?」


 ホントかな、と俺は思った。


 受け取った文庫本を開き、タイトルをもう一度眺める。


「花束のつくりかた」、と、そうあった。

 

 作者名は、「高宮さゆ」となっている。


 聞き覚えのない作家だ。


「……変な顔してるな」


 森里にそう問われて、俺は思わず考え込んだ。


「いや、ほんとに俺が買ったのかな」


「だろうな。俺の部屋に本がある理由が他にない」


「……まあ、そうか」


 たしかに、森里はあんまり本を読まない。自分で買うこともめったにないだろう。

 だとすれば、俺が持ち込んだという可能性のほうが高い。


 同じく森里の部屋によく出入りする大澤は、めったに本を持ち歩かない。


「花束のつくりかた」


 と、俺はタイトルを読み上げてみる。


「いい本だった」


 と森里が繰り返した。それで俺は、試しに読んでみることにした。






 昼休み、いつものように屋上に出て、本を読み始めた。


 本の袖に、作者の経歴が簡単に書かれている。


 生年と、出身地。作者名にピンと来なかった理由はすぐに分かった。


 どうやら、この小説で地方文学賞を受賞し、デビューしたらしい。


 驚いたのは、生まれ年と出身地だった。

 同い年の高校三年生、しかも、同県出身。


 受賞したのは、一昨年。つまり、二年前、高校一年生のときに受賞し、それが文庫化されたわけだ。


 二年前。

 高校一年生のとき、俺は何を書いていただろう。

 

 あの頃も俺は、書けない書けないといって、ひなた先輩に相談ばかりしていた。

 そして今もまた、書けない書けないと、誰にも相談できずにうだうだとしている。


 何をやっているんだろう。

 

 一行目を読み始めてからも、自分が本当にこの本を買ったのかどうか、確信が持てない。

 

 数ページ読み進めたところで、不意に鉄扉が軋む音がした。


 遠野が立っていた。


「よう」


 と彼は言い、


「やあ」


 と俺は返事をした。


「読んだか?」


 その問いが、昨日渡された漫画のことだと気付くまで、ちょっと時間が必要だった。

 俺は栞を挟んで文庫本を閉じ、頷きを返した。


「読んだ」


「どうだった」


「悪くない」


 悪くない、と俺は言った。遠野の漫画は悪くなかった。

 悪くない? その言い方では不十分だ。


 けれど遠野は気にしたふうでもなく、「それはよかった」と返事をよこした。


「五篇目」


 と、俺は声をあげる。


「ああ」


 遠野は短い頷きを返してよこしただけだ。


「五篇目は……あれは」


 口に出すのを躊躇う。


 しかし、遠野はやはり頷いた。


 五篇目は、『彼女は退屈していた。』から始まり、『だから彼女は出かけることにした。』で終わる、何気ない物語だった。


「そうだよ」


 俺はさすがに何かを言いたくなったけれど、自分でも何を言いたいのかわからない。


『彼女は退屈していた。』『だから彼女は出かけることにした。』


 これは、俺が何本も何本も書いていた小説の、書き出しと終わりのフレーズだ。

 書き出しと終わりだけがさだめられた小説を、俺はずっと書き続けていた。


「パロディだ」


「……」


 べつに、文句を言うつもりはない。これが俺の専売特許だと思ったことは一度もない。

 ましてや目新しいわけでも、独自性があるわけでもない。


 とはいえ、問題はべつにある。


「どうしてなんだ?」


「なにがだ?」


「どうして、あんなものをパロディする必要があるんだ?」


「あんなもの?」


 遠野は座ったままの俺を見下ろしながら、静かに歩み寄ってくる。俺はほんの少し警戒した。


「まあ、そうかもな。とにかく、手伝ってくれる気にはなったか?」


 言われたくない言葉を言われなかったことにほっとする。

 けれど結局、返事には困ったままだ。


「わからない」


「じゃあ、相談に乗ってくれよ」


「相談、ね」


 ……乗れるような、立場ではない、けれど。


「まあ、話を聞くくらいなら、いい」


「ああ。どうも最近、頭がこんがらがってきてな」


「大変だな」


「……なあ、佐伯」


「ん」


「『おもしろさ』って、なんだ?」


 俺はさすがに困ってしまった。


「さあ?」


 途方に暮れて手を挙げるしかない。

 遠野はまた、同じように繰り返した。


「物語のおもしろさって、なんなんだろう?」


 それを俺に聞かれたところで、返せる言葉はほとんどない。

 とはいえ、これは一応「相談」だ。


「……一般論でいいか?」


「……ああ」


 慎重そうに、遠野は頷いた。


「普通に言えば、単純に笑えるとか、手に汗握るとか、ハラハラするとか、続きが気になるとか、あるいはドキドキするとかだろうな」


 いわゆるエンターテイメント作品については、物語そのものにそうしたダイナミズムがある。


「……そう思うか?」


「感動するとか、心に沁みるとかな」


 そして、純文学と呼ばれる作品については、そういうイメージを持たれる場合が多いだろう。

 もっとも、括りが雑すぎて、それに内含できないものもあるけれど。

 

「あるいは、痛快であったり、考えさせられたり、ってところか?」


 俺が言葉を重ねるたびに、遠野は深く考え込んでいった。

 当たり前と言えば当たり前だ。


 言葉は意味を矮小化させる。

 言葉は意味の上澄みに過ぎない。


「昔考えたことがあった。『おもしろさ』ってなんだろうなってこと。そのときに思いついたのは、映画のジャンルだった」


 俺がそう言うと、彼は俺の方を見た。目が合うと、続きを促すように頷きをよこす。

 俺も頷きを返し、言葉を続ける。


「コメディ、ドラマ、サスペンス、ホラー、ドキュメンタリー、ラブロマンス。まあ……けっこう雑な括りになるけど、感情に結びついてる」


「……感情?」


「笑い、楽しさ、悲しみ、喜び、友情、不安、驚き、恐怖、好奇心、愛情」


 ある意味では歴史映画もサスペンスやドラマだと言えるし、SF映画の場合もそうだ。

 通り一遍の言葉になる。だからこれは、一般論だ。


「人は、なんらかの感情を揺さぶられたとき、その物語をおもしろいと感じるんじゃないかと思う」


「……一般論だな」


 と、やっぱり遠野もそう言った。


 それは、なんでもいいのだ。

 憧れでもノスタルジーでも、怒りでも軽蔑でも、共感でも他者への憧憬でもいい。

 美に対する感動であってもいい。醜さに対する憐憫であっても、鬱屈であってもいい。


 心を揺り動かされること。


 どこにでも書いてありそうな答えだ。

 

「でも……」


「ん」


「俺が書きたいのは、そうじゃない」


 どうだろうな、と俺は思う。

 やっぱり、俺も遠野も、結局そこに収斂されてしまう気がする。

 

 だけど、言葉じゃ納得できない。


「虚無から何かを感じ取るやつもいる」


 と俺は言った。


「だから、それが物語なんだろうな、と思うよ」


 そう続けたけれど、説明が足りなかったらしい。遠野はピンと来ない顔をした。


 物語から何も感じ取れない奴が、物語を書いたりはしない。

 ……おそらく。


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