02-05
「なんとなく、わかるような気がする」
妹の千枝は、そんなふうに呟いた。
少し冷房の効きすぎたスーパーの店内で、ゆっくりカートを押しながら、そうなのかもしれないなあ、とぼんやり思う。
帰り道の途中で、千枝からスーパーで買い物をすると連絡があった。
高校にあがって、慣れない環境に戸惑いもあるだろう妹に家事を任せきりの兄としては、声をかけられれば手伝いに向かう以外の選択はできない。
こういった連絡を千枝が頻繁によこすようになったのは最近のことで、それまでは、こちらから何かを言い出さない限り、千枝は自分ひとりですべてをこなそうとしていた。
良い変化なのだろうな、と、そんなふうに考えている。
「わからないからこそ、知りたくなるんだろうな、って思う」
千枝はそう呟きながら、味噌を二パックを籠に入れた。蛍光灯の白い明かりの下、陳列棚の間を、何人もの人が回遊魚のようにゆっくりと歩き回っている。
たいした意味のある質問をしたわけではない。
なにげなく、今日の昼休みの相羽との会話を思い出して、ものすごく曖昧に問いかけただけだった。
どうして、自分には理解できないと思うことを、それでも知ろうと思うんだろう?
自分で言ったことなのに、その質問自体が、その質問にとらわれているような気がした。
「ちいにもあるの?」
「なにが?」
「そういうふうに、全然理解も共感もできないからこそ、気になること」
「……ん。なんで?」
「わかるような気がする、って言ったから」
千枝は、困ったような顔で少しだけ首を傾げた。
「……うん。理解も共感もできない、っていうのとは、ちょっと違うと思うけど」
「ていうと?」
「たとえば、だけど……誰かが何かを悩んでたとしたら、その悩みについて知りたいって、思ったりすると思う」
「ふむ」
「……どうしてなんだろうね?」
自分で言ったことなのに、本当にどうしてなのかわからない、というふうに、千枝はふんわり笑った。
「でも、それがたとえば、自分にとって大事な人だったら、尚更そうなんじゃないのかな」
「含蓄ありげだ」
「……からかってるでしょ」
首を横に軽く振って、籠の中の品物を軽く整える。千枝は不満そうに俺を睨んだけれど、すぐに陳列棚に視線を戻した。
「そういえばさ」
「ん」
「部活、文芸部、入ったんだったよな」
「うん」
「どうして入ろうと思ったんだ?」
「え……」
──先輩は……。
──どうして、小説を書いてるんですか?
自分でもよくわからない。
小説を書く理由も、相羽がどうしてそんなことを疑問に思うのかも、どうして今、相羽のことを思い出しているのかも。
俺としては、相羽のことだという点で、さっきの質問と今の質問は繋がっていたのだけれど、千枝はうろたえた様子だった。
「……ど、どうして、今の流れで、その話になるの?」
「……いや、なんとなく気になっただけだけど」
千枝は口元を拳で隠しながら、頭の中を探るように視線を天井に泳がせた。
思わずこちらが面食らうほど、珍しい反応だ。
そんなに唐突な質問だったか?
というか、そんなにうろたえるような質問だったか?
「……べつに、深い理由があったわけではない、けど」
少し歩調を早めて鮮魚コーナーのほうへと進んでいく千枝の後ろについて、カートを押す。
千枝は振り向かなかった。
「高校、友達できたか?」
「……うん。お兄ちゃんよりは心配ないと思う」
ものすごく当然のことのように言われてしまった。
「……ちい、なんか怒ってる?」
「え? 怒ってないよ」
真剣にそう思っただけのことらしい。ここはまあ、俺のことをよく理解してくれていると思っておくことにしよう。
「部活はどう?」
「……お父さんみたい」
と、彼女は一度振り返り、不満そうな顔を見せたあと、魚の切り身のパックを手にとった。
「部活は、どうなのかな。同じ新入生の子が、けっこう話しかけてくれるから、ほっとしてる」
「文芸部って、男子もいるの?」
「……なんでそんなこと気にするの?」
「いや、なんとなく」
あんまり男子が入部する部だという感じがしないからだったけれど、よく考えるとうちの新入部員も三人中二人が男子だった。
「ふうん……」
千枝は俺の方をちらりと見てから、どこか曖昧な表情で言葉を続けた。
「いるよ。でも、先輩にはいないかな。一緒に入った新入生の子がふたり。そのうちの片方の子は、なんか……」
「ん」
「……やっぱりなんでもない」
「なんだ、それ」
「なんでもない。ね、やっぱり、今日はお刺身にしよっか?」
「さしみ」
「うん」
「そうしましょう」
「うん。そうしましょう」
千枝は俺の顔を見て楽しそうに笑った。
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