01-07
食事を終え、食器を洗いテーブルの片付けを済ませたあと、部屋に戻る。
ふとポケットから携帯を取り出す。なんらかの着信を示すライトが点滅している。
画面を開くと、メールの通知だった。
受信ボックスを開く。
『冬木 ひなた』
一瞬どきりとしてから、メールを開く。
「おはなししたいです」
受信時刻を確認すると、バイトの最中に来ていたみたいだった。
どうしたものか迷った末、とりあえずの返信をする。
おはなし。
おはなしってなんだ。
「すみません、バイトでした。今からでも平気ですか」
文面をどうしたものか迷った末、送信ボタンを押すのに三十秒以上かかった。迷ったところでマシにする方法も思いつかないと思い当たり、意を決して送信する。
すぐには返信が来ないだろう。とりあえず携帯を机の上に置き、鞄の中身を整理する。
ひなた先輩はまだ起きてるだろうか。時間帯的に、まだ寝るには少し早い気がする。
おはなしってなんだろう。
妙な不安を感じながら、どうしたものかと考える。
何もなければ勉強でも始めるところだけれど……。
と、不意に、携帯が着信音を鳴らした。
ひなた先輩からだ。
少し間を置いてから、受話キーを押す。
耳に携帯を当てる。知らず、息を潜めてしまう。
「もしもし」
「もしもしー」
電話口から聞こえてくる声を、いつも新鮮に感じがするのは不思議なものだ。さんざん聞き馴染んだ、例の間延びした声。卒業する前までと、なんにも変わっていないように感じるのに。
「ごめんね、急にかけて」
「いえ、もう自分の部屋にいましたから。すみません、全然携帯見てなかった」
「ん。だいじょぶ。バイトかなーって思ってたから」
「ですか」
「ですです」
いつもどおりの、茶化したような、照れ隠しのような話し方。でも、「いつも」っていつのことだろう。なんとなく「いつも」と思ってしまうけれど。
「なにかありましたか?」
「ん。なにかって?」
「話があるんじゃなかったんですか?」
「えー?」
「あれ」
「そんなこと言ったっけ?」
「ええと……メールで」
「んん?」
「あれ、違ったかな……」
「えっと、うん。べつに話したいことは……うん。ない、かな?」
「あれ……」
読み違えてたんだろうか。
「えと、単に、ちょっとお話したいかなーって思っただけだよ」
「……あ、ああ」
「……ごめんね。迷惑だった?」
「あ、いえ。そういうわけではないです」
やはり、電話だと表情が見えない分、些細な沈黙が気になってしまう。今、どんな顔をしてるんだろう。
いや、俺の場合は、面と向かっていてもどうせ不安には感じるんだろうけど。
言葉を探り合うようなやりとりをしながら、頭の中の記憶の糸を手繰って話題を引き出そうとする。
さりとて思いつくことはなく、沈黙が続き、続けば続くほど焦りがつのり、余計に口が重くなる。
「なんか、ひさびさだとちょっと緊張するね、話すの」
結局、ひなた先輩が、いつもの間延びした声でそう言うまで、俺は黙っていた。
「そう、ですね」
たしかに、ひさしぶりだという気がする。でも、そうだったっけ。
「……いや、ついこないだ会ったばっかりですよ。連休に会ってるんですから」
なんとなく落ち着かなくて、電話を耳に当てたまま立ち上がって部屋の中をうろうろする。本棚の上に積み上げてあった本の表紙をなんとなく撫でてみたりする。「ゴドーを待ちながら」。ゴールデンウィークにはお互いに空いた時間があったから、どこにも行けなかったけど、ちょっとだけ会うことにしたのだった。結局、昼飯を食べて世間話をしただけだったけれど。
「あ、そっか。でも、えー。なんかもうすっごく時間が経ったみたいな感じがするなあ」
「連休明けはそんな気がしますね」
「ね。おやすみ終わってからあっというまな感じがするね」
「大学、もう慣れましたか?」
「ん、んー……どうだろ」
「大変ですか?」
「て、いうより、なんていうか、わたし、環境の変化に弱いんだねえ、やっぱり」
「そういうイメージ、ないですけど」
「それはねー。修司くんは見たことないからね」
「そうかもしれないですけど」
「そうだよ。うん。たいへん」
たいへんらしい。俺は「ゴドーを待ちながら」の帯が外れているのを見てつけ直そうとしたところで、栞代わりにページに挟んでいることに気付く。読み直していたんだったか。試しに片手で開いてみる。「気質の違いだ」「性格の問題さ」「どうしようもない」「じたばたしてもむだだ」「人間、変われるもんじゃない」「苦しんじゃ損だ」「しんは結局同じだから」。俺は本を閉じて手につかみ、テーブルの上に置いた。
「受験勉強、してるー?」
去年までみたいな調子で彼女がそう言うので、俺はどう答えるかを考えるより先に、無性に胸が詰まるような気分になった。
「してませんねー」
と思わず答える。
ひなた先輩はちょっと焦ったような声で、「や、や、しなよ」と言う。
「あ、いえ、してます、してます」
「してるのか……」
「してるんです」
「ならよし。……あ、そか。ごめん、わたしが邪魔してるよね」
「ああ、いえ……大丈夫です」
「……ほんとに?」
「ええ」
「あのさ、こないだのメールのことなんだけど」
「こないだ」
「ほら、部活のこと」
「ああ」
「修司くんは……」
ひなた先輩は、そこで一度言葉を区切った。俺は慎重に言葉を待つ。息遣いがときどき漏れ聞こえてきた。
「……ひなた先輩?」
「ん。ううん。修司くん、部活出てないんだって?」
「……それ、誰に聞いたんですか」
「千歳さん」
「けっこう連絡とってるんですか?」
「んー、ぼちぼち」
ひなた先輩は藤見千歳を「千歳さん」と呼ぶ。前に理由を聞いたら、「千歳さんは千歳さんって感じだから」というよくわからない答えが返ってきたのを覚えている。
話を広げられずにいると、ひなた先輩が話題を戻した。
「小説、書けそうにない?」
「……ええ、まあ」
メールの文面が頭をよぎる。「でも、そういうのはぜんぶ、きみ自身が決めることだと思います」。俺もそう思う。
「それは困ったねえ」
「困りました」
「……あんまり気に病まないでね。忙しいせいかもしれないよ」
「かもしれないですね」
「それか、時間が解決してくれるかもしれないし」
彼女のその口調から、慰めや励ましというよりは、ごまかしに近いものを感じる。どうしてだろう。
あるいは、ひなた先輩も気付いているのかもしれない。
「時間が病気だったらどうしたらいいんでしょう?」
「出た。隙あらば引用」
「つい癖で」
「ときどき修司くんはなにかの台詞の引用だけで会話してるんじゃないかって気がするよー」
「俺もそんな気がします」
「……あ、それでね」
「はい」
「今週の土曜日なんだけど、予定空いてるかな」
「……土曜ですか? 夕方からバイトですけど、それまでなら」
「じゃあ、映画観にいかない?」
「映画……」
「うん」
「大丈夫ですよ」
「やった。じゃあ、上映時間とか、あとで連絡するね」
何の映画を観るかという話は、ひなた先輩はしない。
これまでも何度か、ひなた先輩と映画を見に行ったことはある。
たいてい彼女の方から言い出して、あんまり宣伝もされていないようなマイナーな映画を観にいく場合が多かった。
おもしろいのもあればつまらないのもあったけれど、どんな内容であれ気にしたことはない。
つまらない映画を観るのは、それはそれで参考になる。
……参考。なんの? 小説の。……馬鹿げてる。
(おまえには無理だよ)
それからいくつかの世間話を交わしたあと、電話を切った。
おやすみ、と彼女は言う。おやすみなさい、と俺は返事をする。
ベッドに体を投げ込んで、枕に顔を押し付ける。
べつになんてことのないやりとりだった。たぶん、問題らしい問題はない受け答えをしたはずだ。どうだろう。わからない。どうだったっけ? 俺は自分の言葉や態度を検討してみる。話下手なのは最初からわかっていることだ。俺は自分の言葉をいくつか思い返して、ああでもないこうでもないとあれこれ考えたあと、きりがないと気付いて考えないことにした。
携帯の画面を開き、それから何を見ようとしたのかを思い出せずに、また閉じる。
なにかがうまく回っていない。
なにかがうまく回っていないことだけは分かる。
何がいけない?
何をしたらいい?
問題文がないのに解答欄だけが用意されているみたいな気分だ。
いったい何が問題なんだ?
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