01-06
夕方、少し遅い時間からのシフトでバイトが入っていた。
月曜の夜は仕事帰りの人間で少しだけ混雑する。夕勤務のベテランと、土曜にも会った新人と一緒というシフト。
俺と新人くんでレジを回し、ベテランの女性は発注をしながらヘルプに入る。
客足が落ち着く時間になると荷物が届き、検品や品出しの業務に入る。
新人の子……道塚は、ようやくレジ打ちや袋詰にも慣れてきたようだったけれど、公共料金やネットショッピング類の支払い、チケットの発券なんかが来ると、少し緊張した様子を見せていた。俺はその様子を眺めながら、ぼんやりと思いつくことがあったけれど、べつに誰かに言うことでもないと思って言わずにおいた。
品出しを終えて雑誌の返本を始めたとき、レジから道塚に呼ばれた。先輩はウォークインで飲料類の補充をやっている。
レジに向かうと、宅配便の客が来ていた。伝票を取り出して、必要事項を記入してもらう。
荷物を受け取り、客が帰ったあと、簡単に業務の説明をする。伝票を記入して重さと幅を測るくらいで、やる分には難しい仕事ではないけれど、はじめは何かと戸惑うものだ。正直にいうと俺も人任せにしたい。
「まあ、いきなりはできないと思うから、不安だったら人に聞いて」
「はい」
素直に頷いて、道塚は何かを言いたげな顔をした。
「どうかした?」
「いえ……あの。土曜の一万円なんですけど」
「ん」
「オーナーが調べるって聞いたんすけど、どうだったかって聞いてますか」
「……ふむ」
不安そうな様子で、彼は俺を見ている。長く茶色い前髪の隙間から覗く瞳が、かすかに揺れている。
「聞いてない。ていうか、さっき聞いたところによると、オーナーが体調崩して来てないらしい」
道塚は複雑そうな顔のまま返事をしない。
「……俺、疑われてますよね」
「ふむ」
と俺はもう一度考えた。
「まあね」
「俺、盗ってないです」
「かもね」
「……」
「先輩も、疑ってますか」
「んー」
「俺、盗ってないです」
道塚は、もう一度そう繰り返した。
「盗ってねえのに」
疑われているのを、肌で感じているのかもしれない。
とはいえ……放っておくのもかわいそうな話だ。
「可能性があるにはあるんだよな」
俺がそう言うと、彼は眉を逆立てた。
「盗ったっていうんすか」
「いや、一万円マイナス。盗んだ以外にも、ありえなくはないって話」
「……でも、釣り銭じゃ、万札出ませんよね」
「ああ。っていうか、心当たりない?」
「……」
眉をひそめて、何が言いたいのか、という顔をされると、ひょっとしたらはずれかもしれないとも思う。
幸い、今は客もいない。雑誌の返本も今日は少なそうだ。
「普通の買い物なら、一万円以上の買い物はほとんどない。でも、公共料金の支払いやネット関係の支払い、プリペイドカード類は例外だな」
「……」
「たとえば、数万円分のプリペイドカードを買ってく客なんかもいるだろ。公共料金も、一気に何件も支払われたら、気をつけてないとカウンターの上がごちゃごちゃして混乱する。ネット関係もおんなじだな。土曜日、なにかやらなかった?」
「……」
道塚は、心当たりがありそうな顔をした。
「で、問題はここから。さっきから見てると、きみ、忙しくなると紙幣の枚数確認をしてないときがある。特に慣れてないレジ操作をしなきゃいけないとき、操作を思い出そうとして特に確認を忘れてることが多い」
「……」
「俺はきみが盗ったとは思ってない。でも、きみがミスをした可能性はあるよなと思ってる」
「……」
「もちろん本当にきみかはわからない。ユウや平山さんがミスした可能性だってゼロじゃないから。そこらへんはそれこそオーナーにチェックしてもらわないとわからないし」
「……俺かもしれないです」
道塚はそう認めた。俺は頷いた。
「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。どっちにしろ次から気をつければいい」
というより……。
「次から気をつけるしかない」
「……はい」
「じき慣れる」
「……」
まいったな。
こんなことを言える立場の人間じゃないんだ、俺は。
こんなことを言っていい人間じゃない。
「今の話、あくまでも俺の考えだから、他の人には話してない。他の人がどう考えてるのかも、俺にはわからないたぶん、オーナーから直接何か言われると思うし。でも、仮にきみのミスだったとしても、給料から引かれるとかそういうことはないと思う」
「……引かれた方がいいです。ていうか、払いたい」
「払わせてもらえないよ。そういうものだから」
「……でも」
「道塚」
「はい」
「とりあえず働こう。もうすぐ終わりだから」
道塚はまだなにか言いたげな表情のまま、静かに頷いた。
◇
交替の時間が来て、バックルームで退勤の処理をして、制服を脱ぐ。
上がりの時間が一緒だった道塚は、着替えのあと、「ありがとうございました」と俺に言った。
「なにが」
「さっきの話です」
俺はうまく反応できなかった。
「感謝されるようなことでもないと思う」
彼は困った顔をした。しまったな、と俺は思う。どういたしましてと言っておけばよかったのだ。
「佐伯先輩って」
「ん」
「ミスとか、なさそう」
「そうでもない」
本当にそうでもない。
「こないだ日本酒割った。オーナーに話すのが嫌で、自腹切って払ったよ。二千ちょいした」
「うわ」
「先輩にウォークインが酒臭いって言われたけど、知らんぷりした」
それ以来、特に何も言われていない。売上が上がっていれば発注画面でも在庫誤差は出ない。気にしなかったんだろう。
「けっこう落ち込んだな」
他の人がそうやってミスしてるところなんて、見たことがない。
入って数ヶ月経ってもそんなミスをするんだから、俺はそんなに出来の良い店員じゃないんだろう。
心底嫌になる日の方が多い。
「先輩が落ち込んでるの、想像できないな」
「……そうかな」
「なんか、平然としてるみたいに見えるから」
妙に懐かれたのかもしれない。さっきから、へらへらと笑っている。疑われていないと知って、いくらか緊張が解けたのかもしれない。
杖の下に回る犬は打てないと言う。なかなかの生き方上手なのかもしれない。
「そうかもね」
とだけ言って、俺はドアノブを握る。
「帰ろう。邪魔になるから」
はい、と道塚は頷いた。
◇
家に帰ると、父と妹がふたりでテレビを見ていた。クイズバラエティの問題に、ふたりで頭を悩ませているらしい。
「ただいま」
「おかえりなさい」
と妹が言う。
「おつかれさま」
「うん」
返事をしながら、ソファに座ったままの妹の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「なに」
「なんでもない」
手を離すと、「へんなの」と言いながら、彼女は指先で自分の髪を直した。
それからテレビに視線を戻し、
「あ、市役所か」
と呟く。どうやら納得のいく答えだったらしい。
「お兄ちゃん、晩ごはん食べてきたんだよね?」
「……あ」
廃棄の弁当を持って帰ろうと思っていたのを、すっかり忘れていた。
「なにか作ろうか?」
「ん……」
食欲は、あまりない。でも、何か食べておきたい気もする。
とはいえ、手間を掛けさせるのも悪い。
「適当に自分で作るよ」
「ん。わたしやる」
言うが早いか、妹は立ち上がってキッチンへと向かう。
俺はひとまず荷物を置き、鞄から弁当箱を取り出した。
「洗い物、俺するから」
妹はちょっとだけ考えるような顔をした後、仕方なさそうに「うん」と頷く。
最近ようやく分かったのだけれど、彼女は本当に単純に家事行為にやりがいのようなものを見出しているのかもしれない。
「なにか手伝う?」
「ん。じゃあ、明日の分のごはんないから、お米研いで」
「ん」
台所で妹と並んで動いていると、ほんの少しだけ気分が楽になるのを感じる。
リビングの方で親父があくびをするのが聞こえる。
「お風呂、湧いてるよ」
と妹が声をかけると、「ああ」と返事なのかどうかわからない声が返ってくる。
ごそごそと音が聞こえたので、立ち上がって風呂に向かうつもりなのだろう。
「なに作るの?」
「ん。オムライス」
「おー」
「それでいい?」
「もちろん」
気分的にはちょうどいい。
調理を終えて、ダイニングテーブルで食事をいただく。妹はソファには戻らず、俺の真向かいの椅子に座った。
「いかがですか」と妹は言う。
「美味しゅうございます」
「よかったです」
満足そうに頷くと、彼女はテレビに視線を移した。クイズバラエティがやるには随分遅い時間だが、どうやら今日は特別放送らしい。
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