01-02


「ま、実際、彼女がどうとか部活がどうとか以前の問題があるよな」


 ラーメン屋の券売機に千円札を突っ込みながら、森里はそう呟いた。


「問題?」


「進路だよ」


 昼前だというのに店内はそこそこ混雑していた。たぶん席数が少ない関係だろう。

 森里は人数確認をしに来た店員に食券を渡すと、俺を目だけで促した。


 券売機に小銭をつっこみ、しばし悩む。考えてみれば、気分はラーメンではない。気付いたときにはいつも手遅れだ。

 一番量が少なく軽そうなものを選んで、俺もまた券を店員に渡す。


「俺らももう三年だしな。真面目に受験勉強しないといけないだろ」


「おまえは平気なんじゃないか」


「ま、俺はな。おまえは?」


「俺もまあ……ほどほど」


「嘘つけ。恋にバイトに部活に大忙しだろうか」


 それだけ聞くと充実してる感じがして落ち着かない。


「どうかな」


 とわざと言ってみると、彼は興味なさそうに肩をすくめる。


「まあ、あんまり無理すんなよ」


 無理をしているように見えたんだろうか。見えたのかもしれない。そう思うと、なんとなく溜め息が出そうになる。


 結局その日はラーメンを食べてから解散して、俺は自分の家に帰ることにした。他になにかしたいことがあったわけでもないから、それでいいんだろう。




 部屋に戻って、ベッドに寝転がる。荷物を片付けるのも億劫だった。


 開け放した窓からは風が吹き込んで、クリーム色のカーテンを揺らしている。

 

 なにかしないと、と俺は思う。

 追いかけるように、なにを? と考える。

 

 勉強? それとも、何かを書くこと?


 どっちだろう、でも、どっちかしないと。どちらもしないなら、本でも読もうか、映画でも見ようか。

 でも、そんなことをしている場合なんだろうか?


 ひなた先輩と俺が付き合い出したのは今年に入ってすぐのことだった。


 彼女は俺のひとつ上の先輩で、俺が入部している文芸部の先代の部長だった。


 考えてみれば、当時彼女は受験シーズン真っ只中だった。そんなときに空気も読まずに告白してしまったというのは、かなり問題だったかもしれない。それでもひなた先輩の返事はイエスだったし、俺もそれを喜んだ。けれど、付き合い始めて少しすると、ひなた先輩は高校を卒業し、俺は受験生になった。彼女は大学生になり、新生活が始まった。まったく違う環境、まったく違う人間関係。

 お互いに忙しいから、というのももちろんある。くわえて、俺が「男女交際」と呼ばれるあれこれに不慣れなことも、もちろんある。そういうあれこれの結果として、あまり頻繁に会うことはできず、せいぜいメールを交わしたりするくらいが関の山といった関係で、五月の今までさしたる進展もないまま来てしまった。はたして付き合うってこういうことなんだろうか、という疑問を感じつつ、さりとて他にどうすればいいのかもわからず。


 俺にだって、森里の言う「いろいろと難しいだろう」という言葉の意味がわからないわけじゃない。


 でも、本当の問題は、もっと別なところにあるような気がする。

 そんな気分さえ、ひょっとしたら現実逃避なのかもしれないけれど。


 でも、俺は何から何に逃げているんだろう。


 ひなた先輩との関係について、何かを考えることを避けるために、バイトや勉強のことを考えているのか。

 バイトや勉強のことから逃げるために、文章のことを考えているのか。

 それとも、文章のことから逃げるために、勉強や、ひなた先輩のことを考えているのか。


 なにもかもがあやふやで判然としない。

 それともこんなふうに考えたふりをすることで、すべてから逃げているのかもしれない。


 そう思って、どれかひとつでも進めなければと思う。それなのに、結局なににも手がつかない。


 近頃はずっとこんな調子だ。


 そのまま少し休んでいると、不意に部屋の扉がノックされる。


「お兄ちゃん、帰ってるの?」


 返事をする気になれず、そのまま黙っていると、扉が開かれた。


「……いた」


 と妹が言った。


 俺は体を起こし、頭をかいた。


「お昼寝してたの?」


「なんか、眠くてな」


「……起こしちゃった?」


「いや」


 少し気に病んだ様子で、彼女はしばらく俺の表情をうかがっていたが、やがて言葉を続けた。


「お昼ごはん、食べてきた?」


「ああ、うん。森里と……」


「そっか。じゃあ、なんにもいらない?」


「うん。ごめんな」


「今日、バイトは?」


「夕方から」


「じゃ、ご飯はいらない?」


「ん。悪いな」


「べつに謝ることないけど。……あんまり無理しないでね」


「……」


「お兄ちゃん?」


「ああ、いや。うん。……そうだな」


 うなずきを返すと、不思議そうな顔で首をかしげて、妹はそのまま扉を閉めて出ていった。


 とたとたと遠ざかる足音を聞きながら、体をまたベッドに横たえて天井を見る。

 揺れるカーテンが視界の端をかすめる。


 そうだな、と俺は思う。


 とりあえず、今日は土曜だ。夕方からはバイトで、明日は朝から。オーナーに頼まれるままにバイトに出ていたら、いつのまにか他のパートの穴を埋めるようなシフトを組まれることが多くなった。べつにたいした用事があるわけでもないからいいのだけれどそれまでは、ひとまず少し復習でもして……それから、ほかに、なにかあっただろうか、そう、文章を書かなきゃいけない。


 文章……。


 目をつぶって、手のひらで瞼を覆った。


 部誌を作る。文章を書かなきゃいけない。文章を、書かなきゃいけない。

 

 どうしたもんかな、と思わず溜め息が出た。

 

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