第8話 優しさ
「...落ち着きましたか?」
「はい、おかげさまで助かりました」
こちらを心配していることが伝わってくる豊島さんの声に返事を返す。
...我ながら無機質というか無愛想というか...もう少しいい返事の仕方ができないものだろうか?
「それなら良かったです。では、受付に行きましょうか?本日の成果を教えてください」
促されるままに豊島さんがいつも座っている受付窓口へと案内された。窓口に豊島さんがいなかった影響なのか並んでいる人はいなかったのでそのまま換金作業に移る。
魔石の回収用のナップザックをひっくり返して指定の場所に魔石を納品していく。ジャラジャラという音に豊島さんは溜息を吐いて呆れた様子でこう言った。
「頑張り過ぎです」
「...そう言われましても」
目線を逸らして追求の視線からなんとか逃れようとすると、両手で頬を挟まれて強制的に視線を合わせられた。
「ひゃめてふだはい」
「いいえ止めません。大神君、あなたは頑張り過ぎなんです。ご家族のために頑張っているのは知っています。それを止める権利が私にはないことも存じてます。でも...」
真摯な視線が真っ直ぐにこちらを射抜く。身体能力的に頬を抑える両手を振り払うことは簡単なはずなのにそれをする気にはなれなかった。
今、この人は自分の身を案じてくれているのだと理解るから。
「体調を崩したりしたらご家族が悲しみますよ?あなたがそこまで頑張って守ろうとする方達がそんなことを望むはずありませんよね?」
「...」
「自分を犠牲にしてまで頑張っているあなたにこんなことを言うのは凄く失礼なことかもしれません。それでも言わせてください」
一拍おいて豊島さんはこう続けた。
「あなたはまだ子供なんです。大人に甘えて守ってもらってもなにもおかしくないですし、きっとあなたの周囲の大人だってそうして欲しいと思ってるはずです。ですからもっと頼ってください。甘えてください」」
本当にそうだろうか?頼って欲しいと思っているのだろうか?もしそうだったら...少し、嬉しいな。
「...私にはダンジョンを探索する力はありません。あなたの痛みを分かち合うことが出来ません。それでも、不甲斐ないかもしれないですけど私だって頼って欲しいと思ってますから」
与えられた温もりがじんわりと広がっていくのを感じる。胴の中心から末端へ向けて熱がじんわりと広がっていくような...
あったかい。常人ならこの温もりにいつまでも浸ってたいと思うのだろう。
...でもごめんなさい。
「...それでも」
言わなければならない。突き放さなければならない。浸ってはいけないのだ。
「それでも多分、自分はこれからも無理をします。例えそれを望まれていなくても家族が幸せになれるなら自分なんてどうでもいい」
はき違えるな大神 紫苑。なによりも優先すべきは家族の幸せだけ。自分という人間の生涯はそのためにある。それだけの人生がいいって、自分で決めたんじゃないか。
...だからそのぬるま湯に浸ってはいけないのだ。
「そう、ですか...」
自分の言葉に豊島さんは両手を放し心底、ほんとうに心の底から残念そうにそう言った。
鑑定結果を知らせる書類が渡される。
「今回の報酬です。今後もあなたの探索に実りがありますように」
書類を受け取り、踵を返す――足が止まる。
「...?大神君?」
...このまま何も言わずに去ればもうあんなに甘く温かな誘惑の言葉を吐かれることはないだろう。その方が自分とって都合のいいであると分かっている。
分かってはいるが、このまま何も言わずに去るのは豊島さんの厚意に対してあまりにも失礼ではないだろうか?それは...ダメだろ。
「...忠告、ありがとうございます。すごく身に沁みましたよ。もう少し周りに頼ってもいいかなと本心から思いました...それでも自分は馬鹿なので、もうこんな馬鹿はほっといてください」
少しだけ曇っていた豊島さんの顔が晴れて最後の言葉にまた少しだけ曇る。
「あと、介抱してくれてありがとうございました。手、温かかったです」
それだけ言って足早に支部を後にした。後ろで豊島さんがボソリとなにかを呟いたのが分かったけれどその呟きを強化された聴覚が拾うことはなかった。
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side:豊島 絵里香
「...不器用な子」
こちらを気遣った彼の遠ざかっていく背中にぽつりと不満を投げかける。
もちろん、届くはずもない。それぐらいの声量だったから当然だ。
去りゆく背中から目を逸らせずにいるといつの間にか窓口に身体を預けていた人物から声をかけられる。ごく最近、聞いたばかりの声だ。
「その様子だとお説教はあんまり効果がなかった感じかな?」
「ロゥクーラ様...」
「ソフィアでいいよ。呼びづらいでしょ?」
「魔石等の換金ですか?それでしたらこちらに――」
「いやいや、悪いけど全部貴重な研究材料だ。日本では換金するつもりはないよ。今円安だしね」
ジョークを交えながら朗らかに話しかけてくれるのは嬉しいことだと思うけれど、どうにもこの人に対して気を許そうとは思えない。
なんでだろう?そもそも雲の上の人だからあんまり関わったことないはずなんだけどなぁ...
「今のってさシオンでしょ?二人で何話してたの?」
「えっと...特に重要な話はしていませんよ?その、例の副作用が今日は特にキツそうでしたのであまり無理をしてはいけないと、先程ソフィア様がおっしゃったように説教じみたことを言ってしまっただけです」
「ふーん?いつもよりキツそうだったんだ?」
「はい、いつもはソファに座って10分ぐらい休んだら換金のために窓口に来るんですけど今日は30分経ってもソファから動かなかったので」
「...使ったか」
「はい?」
ボソリと呟かれた言葉は聞き取れなかったけどなにか思い当たる節でもあるのだろうか?
「ううん、なんでもない。それよりさ、やっぱりまだシオンは家族ラブ状態なのかな?」
「え、えぇ...大神探索者は探索者を始めてからずっとそうだと思いますけど。先程も『家族が幸せなら自分なんて...』とおっしゃっていましたし...」
「うーん...ま、そう簡単に魔法が解けるわけもないよね」
「魔法...?って魔法ですか!?もしかして誰かに操られてるとか――」
「あー違う違う。今のは...えー日本語で何だっけ?そう“言葉の綾”ってやつだよ。魔法みたいなもんって言いたかったの」
「みたいなってソフィア様は何か知ってるんですか?大神探索者について」
「何かもなにも見たまんまじゃないか?興味深いよねぇ、あんな人間初めてみたよ...行動原理が圧倒的に利他主義なのにその根本は絶対的に利己主義なんだ」
...?意味がよく分からないけれどそれってとんでもなく矛盾してるってことなんじゃ...?
「えっと...どういう意味ですか?」
「フフッ♪...ひみつ~♪」
どうやら真面目に答えてくれる気はないみたいでにこにこと常人を虜にする笑顔を浮かべてすでに消えてしまったあの小さな背中を目で追っている。
「...ま、あんな生き方してちゃいつ限界が来るか分かったもんじゃないからね。ちゃあんと保護してあげなくちゃ、ね?」
その独り言の意味はよく分からなかったけれど彼女が大神君に想像以上に執着していることだけは確かなようだ。
(どうか、大神君が今後も無事に探索者を続けられますように...)
私には祈ることしかできない。
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重たい体を引きずってなんとか源次郎さんの道場までたどり着く。みはる達が道場に通い始めてからは放課後はほとんど毎日二人は道場に鍛錬に行っているので迎えの場所も必然的に
「あっ!おにいちゃーん!」
門をくぐると三人の少女が立ち話をしていた。そのうち二人はよく見知った顔でみはるとみさきちゃんだ。そしてもう一人は――
「こんにちは」
「こんにちは」
礼儀正しく挨拶をしてくれたのはこの道場の現当主さんの一人娘の、名前は...えー...そう、
鍛錬終わりにシャワーでも浴びたのだろうか?道着ではなく私服に着替えた三人は会話に花を咲かせていたようだ。
「それじゃあ私は道場へ戻るから。二人とも今日も稽古お疲れさま。疲れを明日に残さないように早く寝た方がいいわよ」
『はーい』
元気に二人が返事をするとこちらに会釈をして真純さんは踵を返して戻っていった。
「それじゃ帰ろっ!お兄ちゃん」「あっ今日も晩御飯ごちそうになります」
「あはは、うん。今日は何を作ろうか?」
マイペースにお腹が減った食いしん坊娘二人に腕を引かれて帰路へ着く。道場通いが始まってからみさきちゃんも我が家の食卓に加わったため、夕食時の我が家の食卓はより賑やかになった。
よく様子を見に来てくれる楓さんも入れれば一般的な家族のそれとほぼ変わらない。
少しだけ変化した新たな日常にみはるの機嫌も良さそうだ。
繋がれた右手と鼻歌混じりに満面の笑みを浮かべた可愛らしい笑顔に絆されながら帰路につく。
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「送ってくれてありがとうございますお兄さん。みはるもまた明日ね」
四人で夕食を食べて食休みに少し団欒をすれば時間はあっという間に過ぎていく。
楓さんが自室に戻るのを見送り、みさきちゃんを一条家に送り届けたら後は帰って寝るだけだ。
「はい、おにいちゃん」
帰り道の途中、言葉少なに差し出された手をしっかりと握る。それを見て満足そうにドヤ顔を決めているみはるの姿に思わず笑みがこぼれる。
「そーいえば今日はね――」「...うん」
兄妹水入らず、他愛もない話を繰り返しながら部屋に着くと唐突にみはるにこう言われた。
「じゃあ、お兄ちゃん。ちょっとそこに座って」
指さされたのは固く冷たい床――ではなく柔らかなソファではあったけど、その口調がどこか問い詰めるような雰囲気であることに困惑する。
「えぇ...?なんで?」
「もぉーっ、いいから座るのっ」
無理やり、といってもみはるの力じゃ自分をソファに押し込むようなことはできないので半ば自主的にソファに座らされる。
これから何が始まるというのか。
ソファに座って目線の落ちた自分の前で腕を組んで『私、今怒ってます』と言わんばかりに腕を組んで仁王立ちする我が妹。
「さぁ、おにいちゃん。今日は一体どこで何してのたか...一から百まで話して」
「今日...?普通にダンジョンに行ったけど?」
「うぅー...もっと詳しく話すの!女の人と会ったでしょ!」
「女の人って...まぁいいか。今日はランク査定があったから探索の前にちょっと受付の人から説明があったりはしたよ。その後、指名依頼が来たからその説明を簡単に受けて魔法の試しがてら昼過ぎぐらいにダンジョンに潜り始めたかな。
それで...あぁ、その時にちょっと無理をしちゃったらしくてね、それで受付の人に説教された。まぁ、そのぐらいかな...でもどうして急にそんなことを?」
「道場に来た時、おにいちゃんからいつもと違う匂いがしてたから。なんか香水っぽかったし...ていうかホントにそれだけ?他になにもなかったの?」
「ほんとにそれだけ。強いて言うなら指名依頼を出した依頼人の距離が近かったり、説教されたときに受付の人に顔近づけられたくらいだと思うけど」
「...それってどっちも女の人?」
「まぁ、ダンジョン協会の受付をしてる人たちは受付嬢って呼ばれてるぐらいだし。依頼人も女性だったけど...?」
「...うわきだー!」
唐突にみはるはそう叫ぶとがむしゃらにこちらへとダイブしてくる。
「おっとっと」
怪我をしないように優しく受け止めて膝の上に乗せなおすと軽く注意をする。
「みはる、もう遅い時間だからそんなに大声出したら近所迷惑になっちゃうだろ?もう少し声抑えような?」
いつの間にか瞳が潤み始めたみはるを見て少し焦る。
「だっておにいちゃんがうわきするんだもん」
「浮気って...どこで覚えてきたんだか」
苦笑いしながら頭をなでるとみはるはぎゅっと抱き着きながらぐりぐりと押し付けるように頭を擦りつけてくる。
「どこにも行っちゃダメ。お兄ちゃんはずっとみはると一緒にいるんだから」
「...みはるがそう言ってくれるうちはちゃんと傍にいるよ...まぁ、これからはダンジョンに泊りがけで行かなくちゃならない機会が増えそうだから、それは本当に申し訳ないとは思うんだけど」
ダンジョン云々の話に顔を少しだけ上げてジト目でこちらを睨んでくる。
「分かってるよ。ダンジョンにうつつを抜かしてるわけじゃない。ただ、ちょっと面倒ごとに巻き込まれてるだけだから」
「...大丈夫なの?」
「うん、大丈夫」
「そっか...なら、いい」
そう言うとみはるはお腹に顔をうずめて動かなくなった。まさか動くわけにもいかずソファに背中を預けてされるがままのんびりと時間の流れを感じることにした。
「...そういえばお説教されたって言ってたけどなんて言われたの?悪口だったらみはるがその人にフクシューしてあげる」
冗談だろうけど復讐だなんて恐ろしい言葉が飛び出した口を左右に優しく引っ張る。
「こら...そういう感じじゃないから大丈夫だよ。自分のことを心配してくれる優しい人だから」
ふいにあの時の手の温もりを思い出す。何かを悟ったのだろうか?次に出たみはるの言葉にやっぱり苦笑いしてしまう。
「...やっぱりうわき?」
「違います」
柔らかいほっぺを引っ張ってじゃれつきながら、この兄離れの気配がない妹をどうやって寝かしつけようかとその晩は頭を悩ませることになった。
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