第7話 大償



「それじゃ、依頼の件よろしくねー」


 あの後、こちらの不安を煽るような言葉を残してから本題のモンスターの生態調査に関する依頼の詳細な内容について説明した先生たちは説明が終わるとすぐにどこかへと消えていった。


 中条さんも依頼の仲介役が終わると早々に業務に戻った。


 豊島さんも一緒に戻るかと思ったのだけど、どうやら自分をロビーに見送ってから仕事に戻って来いと言われたらしく、行きと同じくロビーまで案内してもらってる。


 正直助かる。何故かは知らないけどスミダ支部のスタッフ以外立ち入り禁止エリアは広くて複雑だ。今までも応接室に案内される度に道を覚えることを放棄するぐらい。


 案内された応接室を出てロビーへと戻る道すがらどこか遠慮がちに豊島さんが声をかけてくる。


「えっと...とりあえずランク査定お疲れさまでした」


「あ、はい。お疲れ様です」


「正直、びっくりしてます。ちょっと色んな事があり過ぎて...」


 魔法に関してはごめんなさい。この寒い時期に室内の温度をあんなに下げたことについては素直に謝罪する。まぁ、わざわざ口には出さないけれど。


「そうですか?」


「そうですよ!というかあんまり分かってなさそうでしたけど、初ランク査定でBランクというのは快挙ですよ!滅多にあることじゃありません!

 あ...でもランク昇格のために無理はしちゃダメですよ?Bランクをキープするだけでも凄いことなんですから、まずはそこを目指すべきです」


 探索終わりぐらいしかこの人との接点はないけれど4ヶ月も経てば人となりぐらいは少しは理解できるようになる。実に豊島さんらしい気遣いにあふれた言葉だと思った。


「はぁ、そうですか...」


「? あんまり興味がなさそうですね?こう言ってはなんですけど稼ぎに直結する部分ですからもっと興味があるかと思ったんですけど...」


 稼ぎに直結するっていうのは間違いではないけど、所詮結果でしかないからなぁ。低ランクだからと縛りがあるわけでもないし、ランクにはやっぱりそれほど興味がない。


「別に、ランクが低いからと言って深く潜ってはいけないなんて決まりはないですから。それにさっきみたいな面倒事が増えそうならランクはむしろ落としてほしいというか...」


「えぇっ!?それ、絶対外で行っちゃダメですよ?高ランクを目指すことが探索者全体の目標なんですから」


 やっぱり優しい人だと思う。


「忠告ありがとうございます」


 ロビーが近い。とりあえず査定も終わったし、いつもより遅い時間だけどダンジョンに潜って今日は15層をメインに...


「あ、あの!」


 ロビーも間近となったところで豊島さんの声に思考を遮られる。


「はい、どうかしましたか?」


「その、急に言われても困るかもしれませんけど...その、なにかあったらいつでも相談してください」


 なにか、とはなんだろうか...?


「? えっと、なにか、ですか?」


「はい!何でもいいですから。悩みとか愚痴とか、誰かに話すだけでも気持ちが落ち着くことだってありますから。だから一人で抱え込まないでくださいね?」


 ...もしかしてさっきのダンジョンの呪い云々の話で気を使ってくれているのだろうか?


 確かにさっき、負の感情に支配されやすいだのなんだのと先生がのたまっていたからなぁ。気にしてくれているらしい。


「ありがとうございます。豊島さんも愚痴ぐらいなら換金の時にでも聞きますよ」


「あはは、流石に人の多いロビーでそれは厳しいです...」


 少しだけ気分が軽くなった気がする。豊島さんに感謝だな、わざわざ口には出さないけれど。



#####



 BMOOOOooooo!!


 所変わって現在15層。最近のメインの獲物になっているオークの群れと交戦中。

竹林というフィールドを生かして縦横無尽に群れを攪乱する。


 しなりがよく、丈夫な竹は足場にするのには少しコツがいるが慣れればかなりいい足場として機能する。


 迷宮酔いの発症を知覚しながらより鮮明になる五感でオークたちの行動を読み解いていく。


 戦闘開始から数分が経過し、群れの過半数が討伐された残党には継戦の意思はない。どうにかして逃げようと隙を窺っている。


 じりじりと焼くような緊張に耐えきれなくなった一体が背中を向けて逃げ出す


 が、その鈍重な身体じゃあ逃げ切れるはずもない


 天に向かって真っ直ぐに伸びる竹に対して地面と水平にする


 慣性を受け止めた竹が限界までしなり、その勢いをより強固なものにして弾き返す――逃げ出したオークの方へと


 一秒にも満たない時間で追い付くと追い抜きざまに首を飛ばす


 ボトッ


 聴覚で討伐を確認すると同時に、残った一体に視線を向けると既にこちらとは反対方向に逃げ出していた。


 すぐさま後を追おうと再度着地した別の竹に慣性を伝えようとして――止めた。


 逃げ出した最後の一体はこちらが追ってこないのに気づき、これ幸いと鈍く走り続けたが、頭上の竹脚蜘蛛チュウ・ジズの擬態に気づくことが出来ずに縄張りに侵入すると同時に捕食された。



#####



「うん、いい感じに魔石も集まったか」


 ほとんど午後からの探索になったから普段通りとはいかないけれど、それでもいいペースで討伐が進んでいる。そんな時に、ふとさっきの先生の言葉を思い出した。


「...そういえばあれから全力で魔法を使ったことはないのか」


 変異した共食い個体のオーガを討伐したのを最後にメインで魔法を使う機会は減っていた。正確には使う必要あんまり無かっただけなんだけど。


 この状態迷宮酔いでの全力の魔法がどれほどの効力を発揮するのかをまだ把握していなかった。


「依頼の前に確かめておくか」


 今までは特に必要だと感じなかったから確かめなかったけど、依頼主が魔法をお望みなら事前確認は重要だ。


 まずは空気中の水分を凍結させて氷のつぶてを作り出す。これまでだったら最低限サブウェポンのハンマーで撃ちだせるぐらいの強度を持った礫が限界だったけど今ならどうか...


 ここで一つの違和感のようなものを感じた。


 これまで魔法を使うときは大雑把に魔法を発動していた。


 例えるなら...そうだな雪だるまが適切か。必要となる大きさまで魔法を発動しつづけることで、感覚目算で十分な効力に到達したらその時点で魔法を解除する、みたいな。


 だけど迷宮酔いを発症し、感覚器官が鋭敏になった今の状態だと魔法の発動を意識した際に体内にそれまでなかった不可思議なエネルギー?が発生するのを感じ取ることができた。


「新しい感覚だ...」


 手のひらから空気中の水分を凍結させるため魔法を発動しようとする。


 ...感じる。体内、体の中央付近から胴を通り、肩、腕、肘、手首、そして手の平へと血管や神経のような通り道を通ってエネルギーが収束していくのを感じる。


 速度はそれほどではない、しかし確実に体内を流れる謎のエネルギーが一定量を超えたとき魔法の発動準備が整ったことが感覚的に理解できた。


「...凍結」


 パキンッ


 手のひらの上にこれまでのよりも二回り大きな氷のつぶてが出来上がった。出来上がったつぶてを試しにハンマーで打ち付けて飛ばしてみる。


 ガキィン、と硬質なものを殴った感触と音が響き、氷のつぶては砕けることなく竹林の奥へと飛んでいった。


 もう少しだけ試行錯誤してみる。今度はもっと多くの量を集めてから魔法を発動してみる。


 パキンッ


 出来上がった氷の塊は礫というよりは最早、氷塊と言った方がいい大きさにまで体積を増やした。


 しかし、発動時にイメージがぶれてしまったのか、それともエネルギー量の増加により扱いきれないエネルギーが影響を与えたのか、球体をイメージしていたのに氷柱のように縦長の形状になってしまった。


 まぁ、これならこれで槍投げの要領で使えそうではあるけれど。


「この分だと、全身凍結の方も効果は上がってそうだな...ん、いいタイミングだ」


 依頼に直接関わってくる使用方法について実験すべく次の獲物を探しに行こうかと考え始めた直後、こちらに向けて駆け寄ってくる二足の足音を聴覚が捉える。


 15層には二足のモンスターはオークしかいない。故に今回もオークで間違いないだろう。ただ...


「一体か...群れからはぐれでもしたか?まぁ、ちょうどいいことには変わりない」


 予め左の手の平に魔法発動の準備をしておく。獲物を見つけた喜びか、喜色に歪んだ醜悪な表情をはっきりと確認できるレベルまで彼我の距離が縮まる頃には発動準備は終わっていた。


 BOOOOooooAAA!


 掴みかかろうと伸ばされた両の手を後ろに下がることで避ける


 こちらの後退に対してオークが詰め寄る


 一歩、二歩...


 距離が伸びたせいで最早飛び込みにも近い程姿勢が崩れたのを確認すると、飛び掛かってきたオークの脚が地面を離れた瞬間スキを狙って両手を搔い潜る


 突然詰められた彼我の距離に驚愕の表情が浮か――


 ――ぶよりも早く籠手に保護された鋭利な左手を無防備にさらけ出された首へと突っ込む


 皮膚を破き、肉を抉る感覚を感じると同時に準備していた魔法を解放した


「凍結」


 凍らせ結びつける、その魔法は血液という液体を通して全身に広がりやがては細胞の一つ一つに至るまで一切の過不足なく全てを結び付けていく...はずだった。


 収束させ準備していた魔法を解放した瞬間、オークの首を鮮紅の氷柱が貫いていた。


「は?」


 自身へ向けて飛び込んできた鈍重な巨体の慣性をなんとか受け止めきって地面に討伐跡死体を降ろす。貫き手をした左手を首から抜いて、改めて戦闘結果を確認してみるが予想に反した魔法の効果に戸惑ってしまう。


 右側から耳の下あたりに貫き手を放って、魔法を発動した。鮮紅の氷柱は貫き手の反対側、顔寄りにオークを貫いていた。恐らく手の平の向きに沿って発動されている。


 十分な殺傷能力を秘めているのはいいが、今回必要なのはそういう能力ではない。


 どうしよう...と考えながらよく観察すれば、可笑しい点に気づく。


「なんで首から下が全く凍らなかったんだ?」


 再度確認してみたけど首から下は全く凍っていない。


 探索者になりたての頃に凍結魔法について軽い検証をした時に知ったことだが、血液が凍ると凍らせた生物から柔らかさが一切無くなる。血液や組織液など体内の水分が全部凍っているわけだから当たり前だけど。


 だけど、今回はそうではない。体内の血液を全て凍らせたわけではない、東部の血液の凍結だけで皮膚を突き破るほど体積が増加している。


 ...もしかして事前に準備してはダメなのだろうか?確かに今までは魔法の発動時に感じる謎のエネルギー...長いな、仮に魔力としよう。


 この魔力を感じることが今までできていなかったわけだから常に魔法は即時発動だった。だけど今回は事前に準備ができていた。


 要は発動前に魔力の貯金のようなものがあったわけで...この事前準備の差が瞬間的な効果の向上の原因なのかもしれない。


 例えるならホースが分かりやすい。蛇口をひねると同時に水を出すのと蛇口をひねってから少し時間を空けて水を出すのでは最初の勢いが違う、みたいな...多分そんな感じだと思う。


「ということは依頼通りの綺麗なサンプルを作るためには事前に準備せずに魔法を使えばいいわけだ」


 一度試してみよう。そこまで考えてオークの魔石だけを解体して回収すると次の獲物を見つけるために索敵に移った。



#####



 結果から言うと、推測通りで間違いなかった。完全に凍結され表面に霜が降りた剣山甲ケンザンコウはぱっと見では雪像と変わらない。


 体内に干渉するための傷こそあるがそれ以外は無傷で討伐することが可能になった。


 というか...


「疲れない...?」


 魔法の発動後に感じる倦怠感を全く感じない。通常であれば今までの魔法の使用で既にグロッキー状態になってもおかしくないのに。


「迷宮酔いさまさまってことか...」


 これでさらに迷宮酔いに頼ることになったわけか...この力をはっきりと意識しだしてからじんわりと身体を浸蝕されているような感覚をしばしば感じることがある。


 脳が作り出した幻想まやかしなのか、それとも本当に現在進行形で起こっている事象なのか、あるいは既に...


 良くない思考に囚われそうになるのを頭を振って振り払う。いずれにしても今更この力から完全に手を引くことはできない。呼吸を止めて探索するわけにはいかないし、メリットが存在しているのも事実なのだから。


「...今日はもう帰るか」


 必要なことは分かった。あとは準備をして失敗のないように依頼に臨むだけだ。



#####



 迷宮酔いには副作用がある。そしてそれはダンジョン脱出時に現れる。


 これまでの経験で既に分かっていたことだ。当然、今日だって既に覚悟はできていた。


 だけど、違った。それまでとは違った、明確に。


 ダンジョン脱出後は副作用が治まるまでロビーの隅に設置されているソファを借りるというルーティーンに従って今日もその例に漏れることなく、ソファに腰を下ろす。


 最初に襲ってきたのは...なんだろう、虚脱感かもしれない。あるいは倦怠感か。

そして続くように頭痛や吐き気、身体中に訴えるような激痛が走り始める。


 いつもなら、それで終わりだ。酷使した時は吐血だったりとかさらに身体が限界を迎える事になるけれど、そこまで副作用が悪化しないように抑えているから最近では滅多に無い。


 まぁ、今日は魔法をかなり頻繁に使ったから普段より痛みや吐き気が強くなるぐらいだろうという覚悟はできていた。


 ...でもそうじゃなかった。


 いつからか自分の体がどうしようもなく冷たいことに気づいた。それだけじゃない、死後硬直のように身体が固まって動かない。


 寒い


 喉が絞られたように声が出ない。掠れた呼吸音だけが耳を打つ。


 寒い


 見開かれて固まった視界に映る自分の肌に薄っすらと霜が降りているような気さえした。命の源である“熱”が奪われていく。


 寒い


 徐々にブラックアウトしていく視界に自分の“終わり”さえ覚悟していく中でやはり最後に思い浮かべるのは最愛の家族の顔だった。


 心に熱が灯る。


 奪われていく熱のなかで最後までその熱だけは奪われることはなかった。



#####



「み...がみ、たn...ぉおがみ、くん...大神君!...大神君!」


 ハッとなって目を覚ます。気づけばいつも借りているロビー隅のソファの上。どうやら副作用に耐えきれず気を失っていたようだ。


 傍らでは豊島さんが心配そうな表情でこちらを見つめている。


「大丈夫?」


「とよしまさん...あ、あぁ、はい、大丈夫です」


 今までにない、死をも覚悟した副作用の強烈さ、そして異質さ。正直なところ、とても大丈夫とは言い難い。


「ホントに?本当に大丈夫なの?今までよりも体調が酷そうだった。また無理したんじゃないの?」


 いつもの丁寧な口調を忘れるほどに焦っているみたいだ。どこかボーっとした頭でそれを認識する。


「...やっぱりもう少しだけ休んでおきます。心配かけてすいません。豊島さんは仕事に戻ってもらって大丈夫ですから。ご迷惑をおかけしました」


「...いいえ、今の貴方をほっといて業務には戻れません。わたしはここで様子を見ていますからなにかして欲しかったら言ってください。

 水が飲みたいとか、そういうことでしたらすぐに用意しますから」


「でも...」


「でもじゃありません。これは私が決めたことですから」


 頑として譲るつもりのないその態度にまぁいいかと勝手にしてもらうことにした。天井を見上げ放心したように先程の感覚について考える。


 熱を奪われてゆっくりと冷たくなっていくあの感覚...もしかしたら死ぬときっていうのはあんな感じなのかもしれない。


(なんで、生きてるんだろう?)


 哲学的な意味ではなく、あれほどの目に会っておきながらなぜ今だに意識があるのか。それともあの感覚は副作用がもたらす一種の幻覚のようなものなのだろうか、実際には何も起きてなかったとか...?


 ...分からない。思い返してみれば自分は、自分たちはダンジョンについてあまりにも知らなさすぎる。


 当たり前すぎて意識から切り離されていたこと。当然すぎてであることすら忘れていた。


 なにか、なにか大きな過ちがあるのではないか...?すでに取り返しがつかないほど深く大きな過ちが。


 そう思わずにはいられない。


 右手に熱を感じる。目を向ければ心配そうにこちらを見つめる双眸と目が合った。安心させるように頷くと安心したように微笑んでくれた。


 ...その熱を感じて安堵の息を吐いた。


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