第2話 スカウト


「やぁやぁやぁ、会いたかったよ大神紫苑クン」


 応接室にてこちらを待っていたのは探索者ならば誰もが知っているレベルの有名人、ソフィア・G・ロゥクーラ女史だった。


 無垢な天使の衣を思わせる純白の長髪は足元まで伸びており、白衣に包まれた身体は起伏に富んでいて女性としての魅力にあふれている。


 純白の長髪に白衣、あまり日に焼かれていない柔肌など全体的に白を基調とした容姿の中で際立って目立つ鮮血を思わせる双眸が印象的だ。


 女史はスラリと伸びた肢体を無造作にソファに投げ出してリラックスした様子でこちらを迎え入れた。


「はじめまして。ロゥクーラ女史」


「んー固いなぁ...もっと砕けた感じでいいよ。君とは長い付き合いになるだろうからね」


 その言葉の意味が少し気になりはしたものの、それよりも女史の隣で静かに紅茶を嗜む女性に視線を移す。


「あぁ、彼女は私の助手だ。エフィー挨拶を」


 促された女性はカップを机に戻すと姿勢を正してこちらに向き直った。


「お初にお目にかかります。ソフィア先生のもとで助手を務めていますエフィーネ・テイミーです。以後お見知りおきを」


「ご丁寧にどうも。大神紫苑です」


「さて!自己紹介も終わったところだし、早速だが本題に入ろうか」


 さっそくと言わんばかりに話を先に進めようとするロゥクーラ女史の方に視線をやると、視界の端で豊島さんと中条さんが壁際で静観しているのが見えた。


「端的に言おうか。大神紫苑クン、私たちと共にアメリカに来るつもりはないかい?」


 あまりにも突飛な発言に固まってしまう。つまりスカウトということだろうか...?


「えっと...それはスカウト、ということでいいんですか?」


「うん、そうだね。先日の民間初の20層攻略の件、本国ウチでも話題になっていたよ。それで興味を持ってね。他にも気になることがあったし、休暇も兼ねて直接出向かせてもらったんだ」


 ダンジョン探索に復帰する少し前に緋色の皆から事前に教えてもらったとおりだったみたいだな。


「ロゥクーラ女史が来日する」ということと、それで自分のもとを訪ねてくるかもしれないということ。まさか、スカウトだとは思ってもみなかったが。


「どうかな?悪くない提案だと思うんだが...あぁ、言語については心配しなくていい。以前の探索で新たに発見した鉱石を使って作った翻訳道具があるんだ。ほら」


 そういうと、首元のペンダントのようなものを掲げてこちらに見せてくれる。


「共鳴石という鉱石を用いて作ったものでね。装着者の話す言語と聞き取る言語を母国語に翻訳してくれるんだ」


「“バベル”ですか」


「そうそう!よく知ってるね」


「ニュースになっていたのを覚えてます。歴史的な発明だと話題になってましたよね」


「うんうん、自らの発明・発見が他人に評価されるのはやっぱり嬉しいよねぇ」


 ご満悦の様子でうんうんと頷きながら喜色満面の女史。隣で静かに話を聞いているテイミーさんもどこか得意げな様子だ。


「それで、返答は?」


 期待に満ちた視線を向けられてそんなに期待されているのか?と過大評価じゃないかと少し不安になる。


 しかし、答えは決まっていた。


「ごめんなさい、非常に光栄な申し出だということは理解してます。けど、スカウトは受けられません」


 一瞬だけ部屋の空気が凍ったような気がした。


「ふーむ、一応想定していた答えではあるがとりあえず理由を聞かせてくれ」


「家族を残して向こうに行くわけにはいかないですから」


「ほぅ...それは約束された成功よりも優先すべきであると?

 自分で言うのもなんだが私は界隈じゃかなり名が通っている。私の下で働くなら富や名声は約束されたようなものだと思うが?

 それに妹さんの進学のために纏まった金が必要なんだろう?今のままでは到底足りる額ではないと思うが?」


 事前にある程度情報収集をしてから訪ねてきたみたいんだな。そこまで分かったうえでスカウトに来たってことは相当自身があったみたいだけど。


「優先順位を間違えるわけにはいきません。自分にとってなによりも大事なのは家族と過ごす時間です」


「金については?」


「これまで以上の成果が必要なのは理解してます。けれど出来なくはないかなと。奨学金を含めれば不可能ではないと思いますし」


 少し前にはっきりと自覚したダンジョン内での急激な身体能力の向上。反動は怖いけれど、あれに頼って深層に潜れば流通の少ない魔石や希少な素材を手に入れることも出来るはずだ。


「迷宮酔いを頼りにしているのならやめておいた方がいい。多用すれば最悪死ぬからね」


「迷宮酔い...?」


 聞きなれない単語に首を傾げる。まさかこの異常なまでの身体能力の向上の原因を知っている?


「あぁ、まだ公での発表はしてなかったか...うーん、まぁ、いいだろう。君のこれまでの功績に免じて教えてあげよう」


 話すかどうか迷った様子だったけど最終的には話してくれた。この身に起きた変化について。


「ダンジョン内には地上にはない成分がいくつか空気中に含まれているんだ。そのうちの一つに迷宮粒子というものがある。ちなみに名前は私が付けた」


「迷宮粒子...」


「君の体に起きた変化、正式名称を耐迷宮因子脆弱性症候群と言う。俗に迷宮酔いと言われるこの現象は今説明した迷宮粒子に関する症状でな。

 簡単に言うと、ダンジョン内の空気に体が過敏に反応してしまうんだ」


「だから脆弱性ですか...」


「そのとおり。かなり希少な症例でね。発祥した人間は私が調べた限り世界中で君を含めて60人もいない。

 探索者がある程度社会的地位を得て母数が増えた今ですらたったそれっぽっちしか確認できなかった。そりゃあもう、珍しい症例だ」


 そこで一息つくと、女史は紅茶に口をつけてのどを潤した。


「続けよう、迷宮酔いは特定の条件を満たした探索者に発言する。一つは元々の体質。もう一つは死の危機に瀕することによる脳のリミッターの解除経験。

 具体的な症状は身体能力の飛躍的な向上、感覚器官の鋭敏化、魔法の行使に対する有利、etc...ゲーム風に言うならばとてつもなく強力なバフさ。バフの効果には個人差があるけれどね。

 そしてこの症状はダンジョン内で過ごす時間が延びるほどに強力になっていく」


 ここまでの説明を聞いて思い当たる節がいくつかある。それを知ってか知らずか女史はさらに話を続けた。


「だけどね?そんな強力な恩恵が無償で提供されるわけがないのさ。迷宮酔いには副作用がある。それもとびっきり厄介なやつがね」


 思い出されるのはダンジョン脱出時のあの地獄のような苦痛。思い出すだけでも眉間にしわが寄るのを抑えられない。


「そもそもね、迷宮酔いってのは体内に取り込んだ魔粒子ナグラダ...まぁ、探索者の強さの秘訣みたいな?ゲーム風に言うと経験値ね。

 その魔粒子ナグラダと迷宮粒子の一種の化学反応なんだよ。通常であれば許容量しか取り込まれない迷宮粒子が体質によって過剰に取り込まれることで体内の魔粒子が過剰に活性化してしまうんだ。


 魔粒子は宿主、つまり探索者の身体を勝手にドーピングして強くしてるんだけどそれが迷宮酔いによって過剰になっちゃうんだね。

 で、この魔粒子が鎮静化するのが迷宮粒子に触れなくなった時、つまりダンジョン脱出時だから副作用が出てくるのは当然ダンジョンから出た後なの」


 だからダンジョン脱出時にあの症状が出るのか。なるほど。


「肝心の副作用なんだけど、調べたところこれも結構個人差があるんだ。全身の激痛、頭痛、吐き気、虚脱感、疲労感、吐血、血涙、痙攣、一時的な身体の麻痺etc...

 ただ、バフの効果強いほど、時間が長いほど副作用も比例して大きいケースが多い。だからね...」 


 女史は一拍間をおいてこう続けた。


「迷宮酔いを発症した人間の1年以内の死亡率は9割を超える」



#####



 その発言の残酷さに戻りかけていた部屋の気温がさらに数度下がったように感じる。


「死亡原因として挙げられる主なものは主に3つ。

 一つはさっきから話してる副作用に耐えきれずにショック死。

 二つ目は急激に強くなったのを良いことに身の丈に合わない階層へと挑んでモンスターに食われる、またはトラップで死ぬ。

 三つ目はそもそも発症条件が命に危機に瀕したことによる脳のリミッターの解除だからね。迷宮酔いを発症するも危機を乗り越えられずに死亡ってかんじ」


「...それなら自制を聞かせて慎重に探索すれば少なくとも一つ目と二つ目の死因は防げるはずです。そして自分は三つ目の死因をすでに乗り越えている」


 自分なりに考えて対処法を挙げてみるけど、こんな簡単なこと分からないような人ではないはずだ。なにか、他にもある...?


「残念ながらそうもいかないのさ。明確な因果関係はまだはっきりと分かってないけど、迷宮酔いを発症した探索者はダンジョン内でイレギュラーな事象に遭遇しやすいんだ。

 致死の罠ムエルテ=アクシデンしかり、通常よりも強力な個体との遭遇しかり...明確な因果関係は分かっていないが、これは統計に基づいたデータだ。

 たかが60人弱のデータでしかないがほぼ確実にイレギュラーとの遭遇率は上がってる。それに...どちらも君にとって縁のある話だろう?」


 見透かすような笑みでこちらに視線をやる女史に否定の言葉は出てこない。実際、探索者になってまだ一年も経過してないのにいろんなことが起こり過ぎてる気はする。


「...嫌な縁ですね」


「ふふっまぁそう言わずに。得難い経験には変わりないさ、乗り越えればそれなりの報酬も期待できる」


 たしかに20層で遭遇したあのオーガはサンプルとして非常に希少だったらしく、緋色の皆さんと分け合ってもかなりの金額だった。


「...一つこれまでの話を聞いて疑問に思うことがあります」


「なんだい?」


「これまでの話を聞く限り迷宮酔いを発症した人間は疫病神みたいなものだと自分は感じました。少なくとも自分はそんな疫病神とはパーティーを組んで探索しようなんて思わない。なぜスカウトに来たんですか?」


「そんなの簡単さ!」


 身を乗り出してこちらへと輝かんばかりの鮮紅の瞳を向ける彼女はこう言った。


君たち発症者といる、たったそれだけの条件でダンジョンの神秘に触れられる機会が劇的に増えるんだ!こんなに嬉しいことはないだろう?!

 強力な味方を引き入れてなおかつレアな現象にも遭遇できる。万々歳じゃないか!たかが死亡率が9割を超える程度で躊躇う必要があるかい?」


 ソファから立ち上がりまるで演説でもするかのように両手を広げながら心底楽しそうに語る姿からは隠しきれない狂気がにじみ出ていた。


 死亡率9割り超えをたかがと評するなんて...


「...イかれてる」


 聞こえないように配慮して呟いたつもりだった。しかし流石最上位探索者というべきか、しっかり聞こえていたらしい。相応に高められた身体能力ははっきりと呟きを拾っていた。


「ふふっ...一つ、教えておこう。最上位の探索者にまともな人格者なんていないよ?みーんなどこかしらズレてるからね」


 知りたくないことがまた一つ増えた。



#####



「そうそう、君のスカウトには迷宮酔い以外にも理由があるんだ」


「そうですか...」


「おや?あんまり興味はない感じかな?」


 興味がない...まぁ、間違いではないのかもしれない。どんな理由があるにしてもスカウトを受けるつもりは毛頭ないんだから聞いてもあんまり意味はないだろうし。


「いずれの理由にしろ、スカウトの申し出を受けるつもりはありませんので」


「つれないなぁ、でもとりあえず聞くだけ聞いてくれないか。もしかしたら今後依頼を出すことになるかもしれないし」


 依頼。報酬が出るなら内容と報酬次第では受けるだろうから、それなら聞かない訳にはいかないか。


「まぁ、そういうことでしたら聞かせてください」


「オッケー...唐突だけどシオンって呼んでもいいかな?一々“君”とか大神クンとか呼ぶのめんどくさいし」


「構いません」


「ありがと。シオンはさ、秘匿依頼っていうの受けたことがあるでしょ?」


 秘匿依頼について話すのって大丈夫なんだろうか?知ってる人は知ってるらしいけど秘匿って言われてるぐらいだしあんまり話さない方がいいんじゃ...とどう答えようか迷っていると女史が話を続ける。


「モンスターの生態調査ってやつ、あれの依頼主って私なんだけどね」


 衝撃のカミングアウトだ。それ、自分なんかに喋っていいんだろうか?


「それ、話して大丈夫なやつですか?」


「大丈夫だいじょーぶ...多分」


「ちょっと」


「それで話を戻すんだけど」


 強引に話を進められてしまった。本当に大丈夫なのか?外堀を埋めてるとかじゃないよな?それなりに打ち解けてきたのか、口調もかなり砕けてきたし、このままなし崩し的にスカウトを受けないように気を付けないと。


「シオンが持ってきてくれたモンスターの剥製?あれがすごくいい代物でね!あんなに状態のいいものはこれまでなかったよ!しかも解体されてない丸ごとの状態だったし!」


「役に立ったのなら良かったです」


「あんなに綺麗にサンプルを回収する方法なんて今までになかったからさぁ...あれって魔法でしょ?サンプルの状態的に氷系統なんだろうけど詳しく教えてくれたりしない?」


「企業秘密です」


「ちぇーまだまだ好感度が足りないかぁ」


 人のことをなんだと思ってるんだ...?


「まぁ、そんな感じでね。是非とも私達と一緒に来て欲しいわけなんだけど...やっぱりだめ?」


「光栄なことなのは重々承知ですけど...すいません」


「うーん...まぁ、気が変わったら教えてよ。しばらくは日本のダンジョンを満喫するためにトウキョウにいると思うから。

 あ、というか助っ人制度使ってシオンとパーティー組むか。うん!その方が絶対いいな!ということでよろしくね」


「いや、急にそんなこと言われても困ります」


 その後もしつこく勧誘を迫る女史をなんとか躱してスミダ支部を後にした。あんなに執着されるとは思わなかったので今後も何かしらのアクションがありそうで不安だ。

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