第40話 約束 違えること能わず



 目を覚ました時、視界一面を覆ったのは清潔感にあふれた白の天井だった。

身体が重い。上体を起こすことすらままならずそのままの体勢で首だけを動かし周囲を確認してみる。


「病院、か」


 なんとなく予想がついていたからだろう。特に驚くこともなく今自分が病室のベッドで寝ているという事実をすんなりと受け止める。

まるでこの場だけ重力が2倍になっているかのように身体思いままだが、ダンジョン脱出直後のような激痛に苛まれているわけではない。


 少しだけホッとする。あんな激痛は出来ることならもう二度とごめんだ。


(それにしても、あの痛みは結局何だったんだ?原因...らしいものには見当がつくけど、はっきりとは分からないな。もし、今後もダンジョンから出る度にああなるとしたら...)


 かなり抵抗がある。それほどの痛みだったから。でも...潜るんだろうな。なんとなくそう確信が持てた。

と、言った感じで冷静に現在の状況と自分に起こったことについて分析していると、静かに病室のドアが開いた。


「!おにいちゃんっ!」「っ!起きたのね!」


「みはる...楓さん...しんぱ――――


 こちらが意識を取り戻していることに気づいた二人は自分が言い終わる前に抱き着いてきた。

その勢いの良さに驚いて腕を広げてこちらからも迎えようと思ったが腕が上手く動かない。


「えっと...おはよう」


 何と言えばいいかわからずに取り敢えず当たり障りのない言葉を紡いでみる。


「もうっ!おにいちゃんのばかっ!ちゃんと元気で帰ってくるって言ったんじゃん!おいていかないって言ったじゃん!やくそくまもってよぉ~...ふぇぇん」


「ホントよっ!病院から電話が来て、気が気じゃなかったんだからっ!ほんとに...もう、もうっ!...うぅ...ひっぐ...」


 強まる二人の抱擁に罪悪感が悲鳴を上げる。思ったように動かない腕を必死に動かして二人を抱きしめ返す。


「ごめん...」


 他に何と言えばいいのか、分からなかったから謝ることしかできない。

泣きながら震える二人の頭を優しくなでる。自分はここにいると、二人を残してどこにも行かないと伝えるかのように。


 やがて泣き疲れたのかみはるはそのまますぅすぅと寝息を立ててしまった。

ベッドの端の方に移動してみはるが横になれるようにする。服の裾を掴んだまま眠ってしまったみはるの頭をなでながら、少し落ち着いた様子の楓さんと話をする。


「その、恥ずかしいところを見せちゃったわね」


 少し照れた様子の楓さんは珍しかったが、原因を思えば茶化すようなことはできなかった。


「ううん、そんなことないよ。その...ごめんなさい」


「...それは何に対しての謝罪?」


「また、不安にさせちゃったから」


「...ねぇ、シオン君。こっち向いて」


「え?」


 俯き気味だった顔の向きを楓さんの方へと向ける。途端に両の頬を鈍い痛みが走った。


「ふぁえふぇふぁん?」


「シオン君、勘違いしてる。私たちはあなたがダンジョンに行く度に不安だったよ?もしかしたら二度と帰ってこないんじゃないかってもう会えなくなるんじゃないかって」


「...」


「でも、私には...私たちには何もできないから。ただ見送ることしかできない自分を何度も歯がゆく思ったよ」


「...」


「ねぇ、ダンジョン好き?」


 唐突な質問に困惑したけれど答えは決まっていた。


「大嫌いだよ」


「じゃあ、なんで潜るの?なんであなたが痛い思いしなきゃいけないの?」


「お金が必要なんだ」


「知ってるよ。ねぇ、なんで私に頼ってくれないの?」


「...」


「たしかに私背がちっちゃいし、子供みたいな外見かもしれないけど立派な大人だよ?前にも言ったけど貯えだってある。みはるちゃんの学費ぐらい頑張ればどうにでもなるんだよ?...それでもダンジョンに行くのはなんでなの?」


「...なんでなんだろう」


 反論の余地はない。


 楓さんに迷惑をかけたくないから?たった今迷惑をかけている所だ。


 みはるに幸せに生きて欲しいから?ダンジョンとは直接関係しない。それに結果的にみはるを何度も泣かせることになってる。


 ダンジョンが好きだから?ありえない。憎むことはあっても好むことなんて...例え天地がひっくり返ろうがない。


 では...なぜ?


 ...分からない。でも、はっきりとしている。以前は薄っすらと思う程度だったダンジョンの真相への探求心が本能に強く訴えるレベルで強まっていることを、今はっきりと自覚している。


「また、行くんでしょ?」


「...ごめん」


「また、怪我をするんでしょ?」


「...ごめん」


「また...私を、私たちを不安にさせるんでしょ?」


「...」


 静寂が肌を刺すようだ。こちらを見つめる楓さんの真っ直ぐな視線が明確に物語っている。行くな、と行ってほしくない、と。

暫くののちに諦めたように視線を外したのは...楓さんだった。


「ねぇ」


「うん」


「約束して」


「約束するよ」


 内容も聞かないうちに間髪入れずにそう言った。あまりの速さに楓さんも呆気に取られて少しだけ表情が柔らかくなる。


「ふふっ、まだ何も言ってないのに」


「もう、二人の悲しむ顔を見たくないから。なにがあっても約束するよ」


「怪我を隠さないで」


「分かった」


「ちゃんと自分の足で帰ってきて」


「うん」


「ちゃんと私を頼って」


「今までもずっとお世話になりっぱなしだよ...これからも」


 その後、少しためらった様子で口をつぐむ楓さん。言おうかどうか迷っているのだとその様子が如実に語っていた。

やがて意を決して紡がれるその言葉はこれからの自分の生き方を決めた。


「もう二度と...負けないで。倒れないで」


「約束するよ。二度と負けないし二度と倒れない。どんなに強い奴が相手でもどんなに怖い奴が相手でも...今後、大神 紫苑の人生に敗北はない」


「...信じる。ねぇ今度こそちゃんと約束を守らなきゃダメよ?じゃないと...」


「じゃないと?」


「多分、みはるちゃんと一緒に悲しくて泣いちゃうわ」


 嗚呼、それは...なによりも阻止しないといけないな。


「とりあえず、悲しい話はこれで終わり。これからは楽しい話をしましょう?」


「うん」


「もうすぐみはるちゃん冬休みだから皆で旅行に行きましょ?約束したの覚えてるわよね?」


「もちろん。楽しみにしてたんだ」


「えへへ、どこに行こうか?遊園地?動物園?水族館や博物館とかもいいかも?温泉とかもどうかな?」


 童心に帰ったかのように笑顔でこれからの予定を話す楓さんを見ているとすぐ隣で寝ているみはるの面影を感じる。

すやすやと眠るみはるの頭をなでながら楽しそうに語る楓さんの話を聞く。これ以上の幸せは今の自分には思いつかない。


「ねぇ、聞いてる?」


「うん、ちゃんと聞いてるよ」


「だったらシオン君はどこか行きたいところある?」


「ん~そうだなぁ、二人と一緒ならきっとどこに行っても楽しいよ」


「もうっ、調子のいいことばっかり言うんだから」


「本当だよ?」


「えぇ、知ってるわ」


 その後も面会時間のギリギリまで旅行の話を続いた。どこに行きたい、なにをしたい、あれを食べたい。


 他愛のない時間かもしれない。でも、何よりも大切で何よりも大好きな時間だった。この時間をこれからも続けていくために頑張ろうと思える。

それがどうしようもなく嬉しかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る