第32話 去りゆく背中になに想う?

Side:宇都宮 楓


 一日半。出張などの仕事あるいは友達との外泊として見れば決して長い時間ではないと思う。

でも、私たちにとってその時間は今までに無いくらいゆっくりと流れていった。それほどまでにあの子の存在が私たちの中で大きかったということだろう。


 朝、いつもより早く家を出た紫苑君は私たちを起こさないようにと気を使ったのだろう何も言わずに出ていった。

 私はいつも早い時間に起きているから今日もホントは起きてたけれど声をかけることはできなかった。窓から彼が静かに出ていく様子をただ黙ってみていることしかできなかったの。


 本当は声をかけようと思っていたけれど扉を開け外に出たあの子を窓越しに見た瞬間、今まで見たこともない冷たい表情に身体が固まってしまった。

 無情、まさにそう表せるような何の感情も移さない瞳。一文字に締まった口は言葉を紡ぐことはなく、適度に力が抜けた後姿はこれから危険な場所に行くようには見えなかった。


 去りゆくその背中に異質さを感じてしまう。元々感情をあまり表に出す子ではないけれど私やみはるちゃんと過ごす時にはその口元はうっすらと緩んでいたし、目は優しさに満ちていたはずだ。私たちが嬉しそうにすると釣られて嬉しそうに笑うこともあった。

 でも、今の彼には?脳内をぎるその問いに嫌な想像が頭の中を駆け巡る。


 これまでにも何度か探索者の仕事の話は聞いていた。常に死と隣り合わせ、少しの油断が命取り、命のやり取りは何度やっても慣れないと...そう言っていた。

.........慣れて、しまったのだろうか?


「そんなわけ、ないよね?」


 口を突いて出た言葉を断言できる保証はなかった。ただの願望かもしれないという想いを切って捨てることはできなかった。

なにかが変わってしまった。そんな不安が拭えない。彼は大丈夫だろうか?大きな怪我をしたことはないと笑って話してくれた。本当に?


 ダンジョンで見つかる遺物と呼ばれる不思議な道具の中には傷をすぐに癒してしまう治療薬もあると聞く。もしかしてそれを使って怪我をなかったことにしたことがあるのでは?


 仮に身体面で問題が無かったとして精神面は?危険に身を置いて探索をする。普通の出来事じゃない。少なくともダンジョンが出現するまではめったに起きることのないテレビの中の他人事だったはずだ。ましてや彼はまだ14歳、子供だ。守られるべき存在だ。それなのに...


 探索者になるなんて認めない方がよかったのだろうか?認識が甘かったのだろうか?もっと強引にでも止めるべきだったんじゃないだろうか?

 試験の時に大怪我を負ったと電話を貰った時の全身から血の気が引いていくあの感覚を忘れることが出来ない。もうあんな想いはしたくない。

 そのはずなのに...私には彼の行動を止めることはできない。探索者になると、初めて聞いたあの時の決意に満ちた瞳を否定することは私には出来ない。


 勧誘されて組んだというパーティーでの1回目の探索から帰ってきた日、彼の表情がいつも通りの柔らかく優しいものであることに心底安心したのは秘密だ。


 柔らかな瞳、疲れてはいたが冷たくはない温かい瞳。自分も疲れているはずなのにみはるちゃんのために夕飯を作ろうとする彼を強引に休ませる。

本当に疲れていたようで横になるなりすぐに寝息を立ててしまった。


「寝顔は年相応ね」


 頭を撫でて労わりながら暫くその寝顔を見つめていた。あの日の冷たい表情を記憶から拭い去るかのように優しく頭をなでる。今の私にできることはこれくらいだった。


「これからもシオン君が無事に帰ってきますように」


 私には祈ることしかできない。それでも、どうか、どうかこの祈りだけは届きますように。










...祈りは届かなかった。後悔はすぐそこまで迫っていた。


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