第10話 新たな出会い、吉と出るか凶と出るか


 6層以降に潜るための準備に一日を使い、情報収集まで済ませていつも通りスミダ支部に来た。


 2週間狩りを続けた5層は自分にとってもはや庭同然で乱立する樹木を蝶のようにひらひらと避けながら6層への階段へと到着した。


 階段を下っていく


 探索証を介して購入した情報によると5層から8層までの間は森のフィールドが続く、そのため環境的な変化は5層からさほどないが6層からは食料系モンスターが出現し始める影響か、生息モンスターの比率が獣類種に極端に傾いている。


 階段周辺から慎重に探索を進めようと一歩足を踏み出すと、突然すっぽりと影に覆われた。


 咄嗟に身近な木を盾にして慎重に様子をうかがうと、ソイツはこちらに気づいた様子もなくでっぷりと肥えた巨体を揺らしながらノッシノッシと歩き去っていった。


 6層の探索開始から数秒、紫苑が初めに出会ったのは獣類種モンスターの大食いグルートン

 豚によく似たモンスターで大概のものを食べる雑食性からほとんどの個体が小屋ほどの大きさに成長する。


 6層の食料系モンスターの代表格でもあり6層を主戦場にしている探索者のほとんどがこいつを狙っているらしい。

 一匹一匹の大きさが掘っ立て小屋ほどにでかいため新米探索者パーティーの中には一匹狩ったら解体してその日の探索を終わらせる場合も多いと調べた情報から分かってはいたけれど...


(実際に見るまでは大きさに検討が付けづらかったけど、確かにあのデカさなら解体した肉を持つだけで手一杯にもなるか。探索証で確認した感じ、魔石の価値は薄いし今回は無視でいいな)


探索証で情報を精査しながら去っていったグルートンの方に意識を向けていると、背後の茂みが揺れた。


「っ!」


 咄嗟に音がした方向から離れると、後を追うように茂みから追うようにナニかが飛び出してくる。


 最初に視界に入ったのはフィールドには不釣り合いなまでに綺麗な純白の毛皮だった。


 穢れなき純白はこの階層において天敵がいないことへの証左に他ならず、感情を感じさせない獣の瞳孔はこちらをとらえて離さない。


(いきなりのお出ましか...)


 6層から8層において食物連鎖の上位に君臨する孤狼アインズヴォルフ


 見つめあったまま距離を離せない。目を離した瞬間に襲われてしまうという直感が安易な行動を阻害する。


 時間にして数秒の硬直状態。


 それでも自分にとってはその時間はもっと長く感じるくらいに濃密な緊張の時間だった。


 どちらからともなく動き出す。


Aooooooon!!


 遠吠えをあげ、真っ直ぐに駆け出してくる。


 和名からも察することが出来る通り、アインズヴォルフは群れを成さない。


 オオカミという動物の生態とはかけ離れているがこの生態については確かな検証が成されているらしい。


 唯一アインズヴォルフが複数匹で活動する時期はつがいを見つけた時期のみであるが、ダンジョンという生存競争のるつぼの中では滅多にお目にかかることのない時期でもあるらしい。


「っ!速い...」


今までに遭遇したモンスターとは一線を画すスピードに戸惑い反応が一瞬遅れてしまう。全力で横に飛ぶことでギリギリ回避できたが、反撃の余裕はない。


(オーガより速いな、オーガが深層のモンスターだってことを考えるとこの辺りじゃ並ぶモンスターはいないだろ。遠距離攻撃は躱されそうだな、接近戦は出来れば遠慮したいが....そうも言ってられない、か)


 再びの遠吠え、再度の突進を寸でのところで躱し今度は突進後の無防備な横っ腹に斧を振るう。

 しかし身をひねって躱されてしまう。


「身軽だな...」


 Gurururu...


 ところで、孤狼アインズヴォルフには孤狼のほかにも、もう一つ和名がある。それが誇狼、誇り高い彼らは不意打ちや奇襲を好まない。


 純白の毛皮に恥じぬ高潔な精神で遠映えを上げ真正面から襲い掛かってくる。


 まだ6層に降りてから30分も経っていない。できることなら今日中に次層までの道のりをマップと照らし合わせながら確認しておきたい。


(こんなところで時間をかけるわけにはいかないんだよ)


 腰のポーチを撫でて中にある物を確認する。


(アインズヴォルフは出現する8層までの間では上位のモンスター、その代わりに各階層ごとの個体数は少ない。情報通りならコイツを討伐した後に早々出会うことはないはずだ。だとすれば――)


 振るわれた爪をよく見て、最小限で躱す。


 獲物に食らいつかんと開かれた口には鋭く研ぎ澄まされた犬歯が並んでいるのが見えた。


 その光景を確認した瞬間、いっさいの躊躇なく


 狙われた首元に牙が突き立てられるより早く自らの腕を喉奥深くに突っ込んだ。


 一瞬の動揺、しかしすぐさまその腕を嚙み千切ろうと――


“凍結”


 ブツリと視界が切れ、誇狼の意識が闇に落ちていく。


 気高き獣は自らの死因を悟ることさえないまま、死んでいった。



「っ多少の犠牲はやむを得ない」


 牙が突き立てられた左腕を傷口が広がらないように慎重に牙を外すと、取り乱さないように息を荒げながらポーチから治療薬ポーションを取り出して中身を煽った。


 牙が深く入る前に殺せたから重症の怪我ではなかったけれど、それでも激痛には変わりない。

 焼けるように痛む腕を抑えて、ぜぇぜぇと肩で息をしながらポーションの効果が表れるまで木を背にして腰を下ろした。


「そろそろ行くか」


 あれから大体1時間ぐらいか。

 犠牲にした左腕を確認してみても、袖に穴が開いているだけで腕には傷一つ残っていない。痛みも引きポーションの強力な効果を実感した。


「欲を言えば、もう少し早く回復して欲しいところだけど。まぁ無いものねだりだな。」


 実はポーションには、というか迷宮の遺物には同種のものであっても質に優劣がある。


 例えば、ポーションはどの品質でも欠損や負傷、身体機能の低下を治療することは理論上可能ではある。


 ならばどのように品質に優劣がつくかというと、ポーションの質の優劣は治癒にかかる時間が主なもので高品質であればあるほど治りが早い。


 低品質のものは治癒に時間がかかるため、最悪の場合失血死等の恐れがあるのだ。

他の遺物も同様に何かしらの優劣がある。


 回復を終え、時間を確認してみるとまだ午前10時を少し過ぎたあたり。


「取り敢えず、昼までに次の階段に辿り着いておくのを目標にするか」


 今更な話ではあるが、いくらマップ情報を仕入れているとはいえ森の中は現在地を把握しづらい。目印になりそうな、突出した特徴がない6層は5層とつながっている階段を目印にして行動指針を決めるしか無い、本来なら。


 迷宮時計ラビリンスウォッチに備えられた機能の一つ、方位機能。正確には大まかに次層への階段の位置を指し示す、というもので針が指す方向に向かうことでダンジョンの奥に進むことが出来る。


 少し詳しく話すと、この方位機能は正確なものではなくあくまでも指標の一つではあるが、まぁ浅層ならほぼ確実に階段がある。


 先程、痛む腕を労わりながらアインズヴォルフを解体して手にした魔石をちゃんと持ったことを確認すると、休憩を兼ねて一度5層への階段まで戻った。


 階段に戻ってマップを再度確認、7層への階段まで四苦八苦しながらも進んでいくと無事に階段を見つけられたのは正午を少し過ぎたあたりだった。


「ん?」


 視界に階段を捉えるところまで来ると、階段に座り込んでいる人影に気づく。

咄嗟に隠れて様子を見てみるとどうにも違和感を感じる。


「探索者?」


 頭に手拭いを巻き作業用のつなぎを着た30代前半ぐらいの男が階段に座り込んで思案に耽っていた。武器は...傍に置いてある工具ケースに入っているのだろうか。なんというか...らしくない。


 自分の短い探索者生活の中での話ではあるが直接の関わりがほとんど無い他の探索者でさえ、遠めに見ても分かるぐらいダンジョン内では常に周囲を警戒している。


 5層を超えた探索者の中で目の前にいる男のように警戒心のまるでない奴は見たことがない。


(となると――)


「すいません」


「うぉっ!」


 後ろから声をかけると男はかなり驚いた様子を見せた。やはり周囲への警戒が足りてなさすぎる。


「...子供?」


「探索者です。同業ではないとお見受けしますが、こんなところで何を?」


 探索証をかざしながら、少しだけ距離を詰めて話を聞くことにした。


「え?お前さん、ホントに探索者なのか?」


 まじまじと探索者証を見ながら、ほぉ―と感嘆の声を上げる男に話を促す。


「それで?」


「ん?あぁ俺は虎鉄 圭造こてつ けいぞう。鍛冶屋 虎鉄の店主だ。うちの店知ってるか?」


「いえ、聞いたこともありません」


「...正直な野郎だなぁ。まぁいいか、実はダンジョンに素材を取りに来たんだが先に潜るための道具が足りて無くてな。お前さん、もしよければ少し分けてくれねぇか?」


 自分が何を言っているか、分かっているのだろうか?


 いつ何時なんどき命の危険にさらされるかも分からないダンジョンで自分の準備不足を他人で賄おうなど...人によっては殴られてもおかしくない。


「そもそも護衛はどうしたんですか?護衛依頼の途中破棄はかなり重い罰に処されるはずなので滅多にあり得ないはずですが?」


「依頼は出してないぞ?ウチはかなりこじんまりした鍛冶屋だから出来るだけ節約しなきゃなんねぇんだよ」


「...まさか、一人で来たんですか?」


「おうよ、ダンジョンの中って結構広いんだな。体力には自信があったんだが、流石に疲れたぜ」


「武器は何を?それらしいものが見当たりませんがその工具箱の中ですか?」


「いや、ちゃんとした武器は持ってねぇな。こいつは解体用の仕事道具が一式入ってるだけだ。ここまではなんとか閃光玉だけで来れたんだ。

 運よくモンスターともほぼ出くわさなかったからな。ただ、さっきも言った通りここに来るまでで準備したもんはほとんど使っちまったから先に進めねぇんだよ。

 帰りの分も確保しておきたいし、余りがあるなら俺に譲っちゃくれねぇか」


「自分の身を守る為の道具を譲るなんて馬鹿な真似するわけないでしょう...ちなみに目的地は?」


「7層か8層だな。猩々熊ショウジョウグマの素材が欲しくてな」


猩々熊ショウジョウグマ

 熊系モンスターとしては比較的小柄な部類に入るが、前足が長く発達しており枝にぶら下がって移動したり、その長いリーチと身軽な機動力で生息する8層以降では生態系において孤狼アインズヴォルフと並んで上位に君臨している。


「よりにもよって猩々熊ですか、ちゃんとした武器も持たないで挑もうとする時点で死んだも同然です。大人しく帰った方がいいですよ」


「あ?いや閃光玉もあるし、なんとかなるだろ。目くらまししてる間に解体ナイフで首切ったら一撃よ」


 あまりにも楽観的過ぎるその思考に眉間にしわが寄る。ここが何処かを正確に理解していないのだろうか?

 探索者なら、いや一般的に鑑みても危機感が足りない。


 ...正直な話、心情的にはこの男がどうなろうが、そんなに興味はない。

 自分としては面倒ごとは御免被りたいし、初対面の人間の世話を焼くほど人間が出来ているわけでもない。


 それでも、ここで見て見ぬふりをすることはみはるのとして絶対にできない。みはるのこれからの幸福な人生の中で一点でも汚点を残すような真似は自分にはできないのだ。


(見殺しにするわけにもいかないが、かといって慈善事業なんかごめんだ。何かしらの形で報酬は受け取らないと割に合わないな)


「...虎鉄さん、でしたっけ?少し自分の話を聞いてもらってもいいですか?」


「おう、なんだ?」


「まず、このまま7層に行くとあなたは100%死にます。それどころか現状では帰還すら怪しいです」


「おいおい、いくら何でもそりゃ――「死にます」


 楽観的だった虎鉄さんの顔が初めて曇った。


「そもそもちゃんとした武器を持たずに、この階層まで下りてきている時点でほぼ詰んでます。解体道具は連続の戦闘に耐えられるような耐久はしてないでしょうし、探索者試験を合格していない一般人のソロ探索は無謀以外の何物でもありません。

 というか、どうやって入ったんですか?探索証を持たない一般人は入場規制がされているはずですが」


「依頼で護衛を頼んだりする鍛冶屋は1回限りの侵入許可証を発行してもらえるんだよ。鍛冶屋の証明が出来れば簡単に手に入るぞ」


「...なるほど。話を戻しますが、あなたの狙っている猩々熊には閃光玉は効果が薄いですよ。前情報しかないですが、保護のためか目元が隠れるくらいに顔の毛が長く直勘に優れている上に機動力が高いようですので閃光玉はほとんど効果を発揮できないと思われます。それに、7層でも8層でも猩々熊は個体数が非常に少ないんです」


 猩々熊は孤狼アインズヴォルフと同じく、6~8層の生態系の頂点に君臨している。

 つまり、食料系モンスターが大半を占める階層では階層ごとの個体数が非常に少ないのだ。


「つまり、個体数が少ないから広大なフィールドを探索しているうちに他のモンスターと戦闘になり死ぬか、運よく早期に発見できても討伐できずに死ぬか、どちらにせよこれ以降下に潜ればあなたは死にます」


「....そうは言われてもな、仮にその話が本当だとしても俺は素材が欲しいんだよ」


「何か理由が?」


「研究の為だな。自分で言うのも何だが、俺は根っからの鍛冶馬鹿だからよ。ダンジョン産の素材には目がねぇんだ、特にモンスター素材は加工法も活用方法もまだまだ手探りの新素材、ワクワクしねぇ鍛冶屋はいねぇよ」


「....どういった理由にせよ、あなたには不可能です。依頼を出すことをオススメします。」


「んーやっぱそうなるかぁ、でもなぁ金がなぁ」


「...はぁ。一つだけ」


「ん?」


「一つだけ、金銭的な問題を解決できる案があります。あまり提案したくはありませんが」


「教えてくれないか?頼む」


「まず、今日のところはこのまま自分があなたを地上まで護衛して帰ります。これに関してはきっちりと護衛依頼の相場の半額を払ってもらいます」


「半額でいいのか?」


「えぇ、片道だけになりますから」


「そいつはありがてぇな」


「そして帰還後に自分と鍛冶契約を結んでください。道案内と道中の護衛を務める代わりに護衛中のモンスターの解体と装備品の改修をお願いします。討伐した魔物の素材は全て差し上げますが、代わりに魔石の所有権を譲ってください」


「...いいのか?その条件だとこちらに有利すぎる。魔石と素材全部じゃ金額にかなりの差が出るぞ、大半を研究用に使ってもお釣りがくる」


「代わりに荷物、といってもモンスターの素材のことですがそれは自分で持ってください。魔石は所有権が自分にあるため自分で持ちますが、他は一切持ちません。それとモンスターの討伐は全て自分が引き受けます。魔粒子ナグラダの恩恵はほとんど無いと思います」


「そのなぐらだ...?ってやつはよく分からんがつまりは荷物持ちみてぇなもんか」


「自分の荷物は自分で持ちますよ。あなたの研究に必要な分とあなたの換金用の素材は一切持たないという話です」


「でも、それは素材と魔石の物々交換だろ?護衛料はどうする?」


「武器防具の改修の優先権と装備購入時に売値の半額で売ってください。小型の探索道具の販売もやっているのでしたらそちらも半額で」


「小物つったらあれか?閃光玉とか音爆弾とかの?」


「えぇ、取り扱っているなら、ですが」


「小物にも手を出そうとは思ってたんだけどよ、金の問題でできてなかったんだ。実地で実験にも付き合ってくれるならこっちとしても願ったリ叶ったりだ。それで、日程は?」


「まず、土日は無理ですね。土日は休暇に充てると決めているので。それ以外でしたら自分は基本的にはダンジョンに潜っています」


「俺も、週に何日かは仕事が入ってる。そっちを疎かにするわけにはいかねぇな」


「鍛冶は不定期な依頼なんですか?確実に空いてる日は?」


「確実に空いてる日ってなると、金曜ぐらいか。早くても3日後だな」


「では、それまでに自分は到達階層を更新しておきます。

 一応、聞いておきますが6層までには持ち帰りたい素材は無いんですよね?あるんでしたら7層や8層に慣れるまではそちらを優先したいと思っているんですけど」


「うーん、無ぇ、かなぁ。しいて言うなら孤狼の牙とか爪は鍛冶に使えないか確認してみたいところではあるが。やっぱり猩々熊がここら辺の階層では一番気になってんだよなぁ」


「そうですか、では今度の金曜だけは自分の探索進捗に合わせて獲物を変更させてください。自分にとって初の護衛依頼となる以上、護衛対象の安全は確実に確保できる保証がないと気が進まないので」


「まぁしょうがねぇわな、こっちは今回の契約でメリットばっかりだからそれぐらいで文句は言わねぇよ」


「では、一先ず帰りましょうか」


「おう」


 こうして奇妙な鍛冶屋と鍛冶契約を結ぶことになってしまった。その無謀さゆえにじつはあまり鍛冶の腕は期待していない。まぁ、デメリットの方が大きくなりそうだったら途中で契約を破棄すればいいだけの話だ、と楽観的に考えることにした。


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