第4話 針山地獄


 針山地獄。本来は無数の鋭い先を持つ氷の剣山が聳え立つ、荘厳な場所であった。

 それが今では伐採後の禿山のようになっていた。

 その禿山を蛇行しながら、人の波がゆっくりとした足並みで続いている。


「はーい。前の人について、ゆっくりと進んでくださいー! 押したり、走ったりしないでくださーい!」


 ゾロゾロと人間たちが歩いていく。向かう先は針山の頂上だ。そこまで昇れば、針山地獄は終了となる。……針の一つも無い山を針山というのもおかしな話であるが。


「お嬢ちゃん。トイレはどこかね?」

「あ、トイレはあっちにありますぅ」

「ねぇちゃん。自販機とかあるか?」

「自販機はないですぅ!!」

「頂上までどのくらいかかる?」

「3時間くらいですぅ!」


 私は拡声器を持ち、組んだ足場の上で人間たちに向かって声を振り絞る。もう夕方も近くなってきたのに、お昼ご飯も食べている暇がない。お腹は空くし、声を出し過ぎて喉はイガイガして痛いし、もう仕事を辞めたくなってきた。


 こんなに大変な仕事だなんて、知らなかった……。田舎で家の手伝いしてればよかった。


 魔界の田舎から出てきたばかりの私は、地獄の管理局という超優良企業に入社出来て浮かれていた。残業も無く、仕事も辛くないと聞いていた。だが現実は違った。


 昨日も家に帰れたのは翌日の2時だったし……朝は5時に出勤だし……。せっかく魔都で一人暮らしが始められたのに、職場で寝泊まりした方が楽なんて、あんまりだよ。


「そこの人間さーん! 喧嘩しないでくださいー!」

 

 聞こえてきた怒号と悲鳴に視線を向ければ、人間たちが殴り合いの喧嘩を始めていた。近場の同僚は誰も彼も忙しなく動き回っており、自分以外に気が付いている様子は無い。

 私は足場からぴょん、と飛び降り、人混みを体で押しのけて現場に向かう。


「け、喧嘩はやめてくださいー! 順番に並んで、ゆっくり針山を登ってくださいー」

「ガキは引っ込んでろ! おっさん、ぶっ殺してやっから掛かってこいや」

「おぉん? ガキが調子こいてんなぁ? シメっぞ? あ?」


 顔に傷の有る人相の悪い集団と、茶髪や金髪のチャラチャラした少年の集団が一触即発の状態だった。

 その中央に私は立ち、必至に説得を試みる。


「だ、ダメですぅ! 喧嘩はダメですぅ! ここではちゃんと針山に登ってくださいー。喧嘩は殺戮地獄の方でやってくださいー!」

「おれたちゃ登山しに来たんじゃねーんだよ! チビは引っ込んでろ!」

「きゃぁっ」

 

 金髪の人間に突き飛ばされ、私は地面に押し倒される。咄嗟に地面に付いた手に、生えかけていた小さな氷の針山が突き刺さり、とても痛い。


「うぅぅぅ」


 もうやだ! 仕事やめるぅ!

 

 涙が浮かび、視界がぼやける。

 そんな私の視界に、誰かが手を差し伸べてくれた。


「大丈夫? 立てる?」

「あら大変。手に棘が刺さってるわ」

「私、刺抜き持ってますー」


 近くにいた人間が心配そうにして集まってきてくれる。

 

「お前ら、こんな小さな子に何してるんだ!」

「最近のガキは何て非道な! 許さん!」

「堅気に手を出すな! 馬鹿野郎!」


 先ほどよりも多い人数の人間が急に殺気立ち、金髪少年達に殴りかかっていった。その規模は既に喧嘩で済ませられるものではなく、暴動と言っても良いものであった。

「はわわわわわわ」

「大丈夫、大丈夫」

「若い子は元気で良いわねぇ」

「私も革命の時には頑張ったのよー?」


 お姉さんやおば様方が、暴動の集団を見ながらのほほんとしている。

 私は自分の失敗により、喧嘩がさらに大きくなってしまい、血の気が引いていく。もうこの規模になると、私がどうこう出来る範疇を越えてしまう。

 先輩に通信で呼びかけようにも、先輩は「今、針の出荷で忙しいから後にして!」と怒られてしまった。

 針山地獄に生育している氷の針を極寒地獄が大量に発注しており、その処理で大忙しなのだ。出荷が遅れれば、極寒地獄の機能が停止してしまうから、先輩はそちらの業務に掛かりっきりで、私達の手伝いをする余裕はなくなっている。

 そうこうしているうちに、喧嘩が喧嘩を呼び、石や物が宙を飛び交い始めた。


「あらあら。この辺りも危ないわ。お嬢ちゃん。あっちに生きましょう」

「後は若い子達に任せましょう」


 私はご婦人方に連れられ、騒動の中心から外されていく。飴玉を貰い、それを口に入れた。暖かい甘さが口中に広がる。


 ……もうどうでもいいや。


 私は自分の手を引いて笑顔を浮かべている人間に向けて、二ヘラ、と同じような笑みを浮かべた。そして、自分の職務を放棄し、田舎へ帰る算段をつけるのだった。

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