第22話

 視界が一瞬ブラックアウトした、かと思えば次の瞬間には石造りの階段が目の前にあった。

「ま、また階段……」

「背負ってやろうか?」

「………大丈夫。頑張るよ」

 先を行くスーフィー司書の背を追って二人も階段を登りだす。

 円形の壁面に沿うようにして配置された螺旋階段。

「ここは、尖塔の中だ」

「尖塔の?……ああ、図書館塔のてっぺんの奴ですよね?」

「そうだ。時に、秋津の小僧。お前はこの図書館塔が元々何のために建てられたものか知っているか?」

「は?」

 突然の問いに、凛太郎は首を傾げる。

「そんなもん……図書館にする為じゃないんすか?」

「それならば、ここまで不便な造りにしてしまう理由はないだろう」

「いや、まあ……」

 そうだろうな、とこれまで登ってきた階段を思い返して凛太郎は言葉を濁した。

 強靭な肉体を有する彼だからこそ大した事は無いが、只管階段を登り続けるのは普通に地獄だ。現に、スピカの顔色も悪くなっている。

「あっ」

「流石に、無理だ」

 スルリと凛太郎の体がスピカの前に割り込んでその細い体を背負い上げる。

 軽々と背負われたスピカは目を白黒させていたが、命を懸けた状況に巻き込まれて直ぐの翌日だ。疲れは完全に取れていなかったらしい。大人しく、大きく逞しい背中へと体を預けた。

 落とさないようにしながら、凛太郎は顔を上げる。

「……で、結局この塔は何のために作られたんです?」

「牢獄だ」

「……………………は?」

「ただし、収監されているのは一人だけだがな」

 目を点にする二人に振り返る事無く、スーフィー司書は続ける。

「そもそも、この図書館塔は牢獄として建設されたものだ」

「………いや、学院だろここ。なんで――――」

「収監されたのが、魔導士だからだ。魔導士を見張るならば、収監されている魔導士以上の実力が無ければもしもの時に差し支える。だが、学院内に犯罪者を収監するとなれば当然ながら良い顔はされまい。そのカモフラージュの一環として、この塔には書籍を集める事になった」

「それって、学院が出来てからずっと……ですか?」

「そうだ。もっとも、今はそんな事は無いがな。ガラシアの小娘は知っているだろう。凡そ五百年前に出来た大監獄エテルヌム。そこにこの塔に収監されていた罪人たちは移送される事になった」

 足が止まる。

 それは錆の浮かんだ鉄扉だった。

 ノブは無く、鍵穴も、覗き穴も、それこそ周りが石材で作られていなければ鉄の壁にしか見えない。

 その鉄扉が軋みを挙げて独りでに動き始めた。

 扉の向こうに広がっていたのは、殺風景な部屋だった。

 直径十メートル程の無機質な石材によって構成された部屋。入り口の斜め上対角線上に鉄格子の嵌められた光取り用の窓が確認でき、その真下にはベッドが一つ。

 後は、何も無い。

 そのベッドに、誰かが寝かせられていた。

「……なんだ?」

「人、なの……?」

「いやいやいやいや、待て待て待て待て。俺が知ってる人間は、!?」

 二人が動揺する先。

 ベッドに寝かされているのは、一人の干からびた男だった。

 両腕をシーツから出すようにして胸元まで覆われ、そのカラカラの両腕の中には一冊の本が添えられている。

「この男は、生きている。いや、。手にした魔本によってな」

「なっ……」

「どういう事だよ」

「そのままの意味だ。さっき話しただろう。数百年前、魔本を手にした男が居た、と」

「そ、それが、この人なんですか……?」

「そうだ。この男の協力の上で、今日までの魔本に対するある程度の把握が行われた」

 スーフィー司書の目が細められる。

「異変が起きたのは、五百年前の移送直前の事だったらしい。この男は、如何なる要因をもってしても

「……だから何で――――」

「魔本が自身を安定し、保存し続ける為だ」

 淡々とした声が部屋に響く。

 絶句、と言わざるを得ないだろう。凛太郎は目を見開き、スピカは口元に手を当てて悲鳴を押し殺す。

 スーフィー司書の講義は続く。

「魔本の意思。この場合は、著者の意思か。今までは原因不明だったが、今回のお前たちの一件でハッキリした。魔本には、そのような性質がある、と」

「ッ!つまり、読み通して契約を結ぶって言うのは……」

「一種の、刷り込み。同化していくための手順、という事だろうな。驚くべき事だ。古代魔法ロストマジックの研究進捗の悪さがここで諸に影響を与えてくるとはな」

 お通夜の様に死んだ空気だ。

 そんな中で、凛太郎が鋭い目つきでスーフィー司書を睨みつけた。

「何で、こんな所に連れてきやがった。目的は何だ」

 下手糞な敬語も消えて、そこにあるのは隠し切れない敵意。

 拳を握りつつ、その一方で直ぐにでもスピカを庇えるように重心を変えている辺り彼は本気だ。ほんの少しでも不穏な動きを見せれば、その初動でスーフィー司書の胴体に風穴があくだろう。

 隠す気も無い殺気紛いの気迫。だが、血色の悪い鉄面皮は揺るがない。

「お前たちを連れてきたのは、一つは口止めの為だ。今回の一件で騒動の渦中にいたのは三人だが、その内一人は衰弱が酷すぎて記憶も曖昧。長い療養の中で記憶をぼかすことが出来るだろう。だが、お前たちは違う。記憶消去の魔法は加減が難しく、鮮烈な記憶程消す難易度は跳ね上がる。そこでお前たちの為人を把握した上での、口頭での口止め、並びに学院の秘密を共有させる事で釘を刺す事とした」

 やり口がえげつない。同時に、有効な手段でもある。

 更に硬く拳を握った凛太郎。そんな彼の袖が引かれた。

「……もう一つの理由は何ですか、スーフィー先生」

「ああ、こちらの方が重要だ」

 スピカの言葉を受けて、スーフィー司書は凛太郎へと指を向ける。

「秋津の小僧、蹴速凛太郎。お前に、この男の持つ魔本の破棄を依頼する」

「俺にか?」

「そうだ。本の形をした魔法である魔本を破壊するには、ソレを上回る魔法を長時間行使する必要がある。しかも、ソレは確実な方法じゃない。故に、厄介な魔本は封印措置として人の目に触れない場所に保管する他ないのだが……」

「今回、持ち出されてるじゃねぇか」

「そうだ。強力な魔本は、契約が無くともある程度人を操る事が今回発覚した。それに伴い、幾つかの魔本を再封印する事になった。だが、」

 一息。

「この魔本は、破棄する事が決定した。その破壊のために、お前が呼ばれた訳だ」

「もう全部捨てちまえよ、そんな危ない物」

「そうもいくまい。魔本一冊の価値は、計り知れん。一冊失われるだけでも、ソレは人類の多大な損失と言っても過言ではない」

「でも、その本はぶっ壊せって言うじゃねぇか」

「願ったのは、この男とそしてこの男の友人だったお方だからだ。如何に希少価値の高い魔本といえども、只管に害を与えるだけならば破壊もやむをえまい」

 一定のトーンから変わる事のないその声は、どうにも噛み付く気が失せる。

 苛立たし気に頭を掻いた凛太郎は徐に、スピカを部屋の外へと押し出そうとする。

「ちょ、いきなり何するのリンタロー!」

「お前は出とけ。部屋のすぐ外で、中が見えないようにな」

「だから――――」

「どんな理由であれ、俺が今からやるのは人殺しだ。態々死人が出来上がる瞬間を視たくねぇだろ」

 静かな、しかし力のこもった凛太郎の言葉に、スピカの肩が震えた。

 スーフィー司書は言った。今、部屋のベッドに寝かされている干からびた男性は魔本によって無理やりに生かされている、と。

 ソレはつまり、魔本を機能しない段階まで破壊すれば生かされている男性も死ぬという事だ。

 正当化する理由を並べても、結局やる事は人殺しである。

 この辺りの生殺与奪に関して、凛太郎は

 彼の故郷はド田舎。獣の命を奪い糧にする事もあったが、それ以外にも命のやり取りをしなければならない場面が少なからずあったのだ。

 その一つが、人攫い。

 秋津の国のみならず、世界的にこの問題は中々無くならない。酷い場合には、人里離れた村が一晩のうちに人っ子一人居なくなった、なんて話も残っている。

 凛太郎も襲われた事があり、その時は逆に人攫いの一団を壊滅させた、何て事もあった。

 その折に、彼は数人の命を奪うに至る。

 無論、意図したものではない。言ってしまえば、不幸な事故であり。無我夢中で振るった拳がスレッジハンマーにも勝る凶器となって人攫いの一団を襲ったまで。

 とにかく、経験がある、というのは馬鹿に出来ない。腹も括った。

 だが、スピカは違う。

「良いだろ、センセイ?スピカは秘密を知った。人死にまで見せる必要はない」

「こちらとしては、魔本さえ破棄できるのならそれで構わない。ガラシアの小娘は部屋の外で待っていると良い」

 スーフィー司書も同意し、本格的に凛太郎がスピカを部屋の外へと追い出そうとその背を押し、

「ッ、ボクも残る!」

 スピカは抵抗した。

「見世物じゃねぇんだぞ、スピカ。大人しく外で――――」

「そんなことわかってるよ!でも……知ってそのまま放置何て出来ないよ……」

「でもな――――」

「それに!――――友達一人に背負わせるような事は、したくない!」

 真っすぐに凛太郎の目を見返すアクアマリンの瞳には、強い意志が宿っていた。

 スピカとて、何も勢い任せに言っている訳では無い。ただ、彼女は知っているのだ。

 魔導士が何れ、誰かの命を奪うであろう職であるという事を。

 真っすぐにぶつかり合う二つの視線。先に逸らしたのは、凛太郎だった。

「ハァ……好きにしろ」

 凛太郎は頭を掻いて、徐にベッドへと足を向けた。

 近付けば、ほんの少しだけ聞こえた蚊の鳴くような呼吸音が彼の耳に届く。

 生きている音だ。それも数百年単位で生きている者の命脈を、今自分の手で断ち切るのだから。

 腹は、括っている。凛太郎は、本へと手を伸ばした。

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