第20話

「――――では、突入はワタクシとグリルフィード教諭、並びにヴァントル教諭が行います。宜しいですね?」

 プラチナホワイトの髪を撫でつけたキュリー・モンタギュー教諭は、怜悧に言い放つ。

 学院が休日である今日は、生徒だけでなく教員、職員たちの憩いの時間でもある。学院に残っていた教員は彼女含めた三人のみ。

 そんな女性教諭のスターシルバーの瞳がこの場に居る三人の生徒へと向けられた。

「それで?ガーデンロウ生徒会長。巻き込まれた生徒は、三人で宜しいのですね?」

「はい。申し訳ありません。三人目は、私の側に居たのですが止めきれず………」

「正に、“猪突猛進”って感じだったねん。まあ、リンちゃんはスーちゃんを大切にしてるみたいだし」

「確かにな。俺達も近くに居たのに止めきれなかったし」

「アジフ君、モール君。リンちゃんと言うのは、蹴速凛太郎君の事ですかねー?」

「そうだぜ!スピカが巻き込まれてるかもしれないって聞いて、そのまま真っすぐにあの黒い球に突っ込んでいったんだ!」

 凄いよな!と笑うアーディル。ただ、生徒を預かる側である教師陣からすれば笑い事ではない。

「………ヴァントル教諭?」

「えーっと、彼はヴィルゴーさんと仲が良かったのでー」

「だからといって、生徒だけで対応していい事ではないでしょう!!…………とにかく、行きますよお二人とも。直ぐにでも三人を――――」

 モンタギュー教諭がそこまで言った所で、不意に背後の広がり続けていた黒い球体に異音が響く。

 見れば、今の今までゆったりとした浸食を続けていた球体の周りに広がっていた黒い水のような影が勢いよく球体へと吸い込まれて消失。同時に、影を吸い込みつくした球体に大きな灰色の亀裂が走った。

 走る亀裂は留まる事を知らず、瞬く間に球体の全域へと広がり――――そして、まるでガラスの砕ける様な音と共に呆気なく瓦解してしまう。

 亀裂を起点に粉々に砕けた黒い球体の欠片は、そのまま地面に付くことなく空気中に魔力素子となって分解、消失していく。

 その球体があった場所は大きく削れて、クレーターのような有様だ。中心にあったであろう噴水は根元から完全に消滅。僅かに水を吐き出すパイプが残るだけで、跡形もない。

 それから、

「――――おっ、出られたな」

 軽い口調でクレーターの中心に立つ人影が二つ。

「やっぱり、あの本が核だったみたいだね」

「だな……にしても、起きねぇぞコイツ」

「一応怪我人だし、先輩だよリンタロー。もっと、敬意を――――」

「でも、今回の原因コイツじゃねぇか。スピカに関しちゃ、完全な巻き込み事故だろ?」

「それでも、だよ…………ハァ」

 ぐったりとした少年を背負った凛太郎窘めながら、スピカは大きく息を吐いた。

 二人揃ってボロボロだ。それでも、後遺症に悩むような怪我等はしていないのは不幸中の幸いというモノだろう。

「…………あ、下駄ぶっ壊れた」

「秋津の国の履物、だよね?真っ二つだ……」

「まあ、元々ガタは来てたんだ。ここじゃ木材の調達は難しそうだが――――」

「んんっ!」

 下駄を気にしていた凛太郎の言葉を遮る咳払い。

 そこで二人はクレーターの縁から見下ろしてくる教師陣と、それから友人と先輩の姿に気が付いた。

 瞳を細めるのは、モンタギュー教諭だ。

「色々と聞きたいことは山ほどありますが……まずは、あなた方の治療を優先しましょう。ついてきなさい」

 有無を言わせぬ強い口調でそう言われ、スピカと凛太郎は互いに顔を見合わせる。

 巻き込まれたスピカは別にしても、凛太郎は封鎖される前に自分から突っ込んだ、という前科がある。

 解決にこぎつけたとはいえ、このやらかしをお咎め無しと判断される筈もない訳で。

 この後、こってり絞られた。



 時は流れて、夜。

 大事を取って医務室に放り込まれる事になった凛太郎とスピカの二人。

 走り回り、恐怖に苛まれ、大怪我でなくとも細かな怪我を受けたスピカは今はぐっすりと夢の中。

 その一方で、体の頑強さとメンタルの強さは人並み外れた凛太郎は暇していた。

 具体的には、医務室を抜け出して校内を深夜徘徊する程度には、暇を持て余している。

 因みに、今の彼はボロボロになった着流しと下駄という格好から医務室に用意されている水色のパジャマと、それから薄手のサンダル。

 上着の前を全開にしている以外は真面な着こなしである彼は、当てもなくあっちへ行ったりこっちへ行ったり。

 そして辿り着くのは、

「べっこり、だな」

 噴水広場跡地。

 後々修復されるという話だが、事が起きたのは今日の事。直ぐには元の形になる筈もなく、流れ続けていた水が止められたのみで抉れた地面が広がっていた。

 何をするでもなく、そして何が出来る筈もなくそれでも来てしまったのはついつい気になったからか。

 月明かりに照らされた抉れた地面。何となく意味も無く足を踏み入れてしゃがみ込んで指先で弄ってみる。

「――――感心しないな。深夜徘徊は」

「ッ!」

 完全に油断していた背中に声が掛けられ、凛太郎の肩が震えた。

 恐る恐る振り返れば、そこに居たのは月光に照らされた大魔女。

「えっと…………学院長」

「良い夜だね、極東の子」

 クレーターに踏み込んでいる凛太郎は、立ち上がっても自然と見上げる形となる。

 そんな状態で、アイフ・モリアンは口元に優美な笑みを湛えていた。

「こちらへ来なさい」

「う、うっす」

 呼ばれるがままにクレーターの斜面を登る。

 右隣に立てば、今度は自然と凛太郎がモリアン学院長を見下ろす形になった。もっとも、彼女の被ったつばの広いとんがり帽子でその顔は殆ど確認できないが。

「今日は随分と大変だったと聞いているよ。その解決に君達生徒が尽力したとも、ね」

「あ、いや……別に俺は、そう言う事は狙ってないんで」

 座りが悪いのか、後頭部を掻きながら凛太郎はクレーターへと目を彷徨わせる。

「…………ただ」

「ただ?」

「……友達が巻き込まれてるかもって言われて、居ても立っても居られなかっただけなんで」

 モンタギュー教諭には散々説教されたが、それでも凛太郎に後悔はない。

 生きているのが奇跡、運が良かった、偶々。散々言葉を変えていわれたが、もし仮に同じような状況に陥れば彼は一考を挟むことなく突撃する事だろう。

「ふふふ……キミを見ていると、ある子を思い出すよ」

 ころころと鈴が転がる様な優美な笑いを零しながら、不意にモリアン学院長はその左手に携えた杖を掲げた。

 そのまま右から左へと緩く振れば、噴水広場の在った地点が巨大な半透明の正方形に包まれる。

「空間と時間は密接な関係にある。こうして区切ってしまえばその中身を操る事は造作もない」

「出鱈目染みてるな……」

 半透明の壁の向こう側で逆再生の様に構成されていく光景を前に、凛太郎は頬をひきつらせた。

 抉れた地面は、盛り上がり平面に。消滅した噴水は配管など同じように、基礎から復活。数秒と掛からずに綺麗な水を吐き出し始める。

「復興した噴水は、これから別の歴史を歩んでいくんだ」

「歴史?」

「世界というのは、君が見ている世界にも広がっているという事さ。例えば、今君が私の右隣りに立っているが、ある世界では私の左隣に居る」

「…………それが?どっちに立つかなんてそこまで重要ですかね?」

「重要だとも。右手を挙げる、左手を挙げる。朝にライスを食べる、シリアルを食べる、パンを食べる。パンにバターを塗る、塗らない。日常の僅かな差異から、歴史は分岐していくものだからね」

 修繕を進めていく魔法を眺めながら、モリアン学院長は虹の瞳を細めた。

「今日の事もそうだ。君が、友人を助けに行った未来と、行かなかった未来があった」

「あ゛?」

「ふふふ……何も、君が自発的に助けに行かなかった訳じゃない。君を誰かが止めた可能性はゼロではないだろう?」

 蟀谷に青筋を浮かべた凛太郎だが、この言葉に矛を収める他ない。

 あの突っ込んだ場には、彼の他にもアーディルやマオ、それにフィスィが居たのだから。仮に彼らに留められれば、無理に振り払う事が出来たとは思えない。主に、彼らの身を慮って。

「これから先、君の選択の結果……不幸が訪れるかもしれない」

「未来の事なんて、誰にも分からねぇだろ」

「ああ、その通りだ。だからこそ、最善の選択が最良の未来、最高の結果を齎す訳じゃない」

 修復が終わり、完全に元通りとなった広場から消えた正方形を見送ってモリアン学院長は遠くを見る。

 長い時を生きてきた。それこそ、見た目には現れない長い長い時間の中を生きてきたのだ。

 積み重なった時間の中で、彼女は多くのものを見てきた。

 拾い上げたものと同時に、取り零してきたものもまた、たくさんある。

「君の善意が報われない瞬間は、必ずやってくる。その時、君はどうする?」

「知らねぇっすよ、そんな事」

 後ろ髪をかき混ぜる様にして頭を掻き、凛太郎は吐き捨てる。

「感謝も報酬も要らねぇんすよ。勝手に俺が動いて、勝手に助けただけなんすから。罵られようが馬鹿にされようが、どうでも良いっす」

 芯がある、というか曲がらない、というか。他人からの評価というモノを気にしないからか、とにかく強い。

 凛太郎にとっては、あの瞬間スピカを助ける以外の思考は無かった。

 結果として彼女と、それから搾りかすのような男子生徒を救出し、代わりに歴史的に見ても貴重な一冊の魔本を破壊した。

 世の中には居るのだ。子供二人分の命よりも、歴史的価値の大きい魔本を破壊した事を追及してくる輩が。

 加えて、スピカは世界的に見ても恨みを買っているガラシア帝国の十三の家の出身。詰るものは必ず出てくる。

 それでも、

「そう言う奴は、殴って黙らせるんで」

「ふふふ……強いな、極東の子」

 実直馬鹿は、曲がらない。

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