第11話

「――――以上が、今回の私の受け持ちクラスの顛末ですねー」

 傍らに置かれた録画出力の魔水晶を撫でて、ストラ・ヴァントルはいつも通りの間延びした報告を終わらせる。

 学院内に設けられた数少ない生徒進入禁止の特別室。

 中央に穴の開いた円卓が置かれたそこは、教師陣の情報共有、並びに年度のカリキュラムを報告する場所でもある。

 今回議題として挙げられているのは、毎年恒例の新入生に対する

「相変わらず、ヴァントル先生は厳しいですな。我々も、そこまではしませんぞ?」

 禿げ上がった額を油ぎっしゅに輝かせた筋骨隆々の老人が苦言を呈するようにそう言う。もっとも、その口角は上がっているが。

 ガルゴリ・グリルフィード。学院でも古参の教諭であり、その鍛え上げられた肉体は決して見せかけのものではない。

 指摘を受けて、ヴァントル教諭は肩を竦めた。

「そうは言われましてもー、私のクラスにはガラシア帝国出身の子が居るんですよねー。少なからず、敵対心を身内に向ける子はプライドを根こそぎ折っておかないとー」

「ストラ先生のはいつもの事でしょう?それよりも、気になる事があるのでは?」

 静かな声でそう切り出したのは、丸眼鏡を掛けたプラチナホワイトの髪をまとめ上げた魔女だった。

 キュリー・モンタギュー。見た目は若々しいが、グリルフィード教諭よりも更に古参。因みに学年主任。

 彼女らの言う、“洗礼”。これは、ここアールスノヴァ魔導学院において新入生が必ず受けねばならないものだった。

 根本にあるのは、魔法に対する習熟度の違い。

 一切触れて来なかった者と、僅かでも接した者。生活に密接にかかわっている者、果ては国家方針として習得した者。

 知恵の泉・ミーミルは一切それら要素を考慮せずに、無作為に新入生を選抜してくる。

 この習熟度が歪みを生み易かった。

 基本的に、学院の教育方針は初心者に合わせている。となると、初期の頃は既に魔法に触れた者には退屈な時間となるだろう。

 そこで、自己研鑽に努めるのなら問題はない。

 問題は出来ない者に対して、マウントを取る者が出かねない点。これが、非常に厄介で、ぶっちゃけ学習の邪魔となる。

 そこで始まったのが、このだった。

 教師ではなく、更に理不尽な自然環境で長くなった鼻をへし折る。

 無論、命の危険と判断されれば教師が身を挺して守るが、骨折程度ならば捨て置かれる過酷な試練。

 例えトラウマになろうとも、この行事は止められる事はない。というか、国は知らないだろう。

 何故なら、アールスノヴァ魔導学院のある浮島はいずれの国にも属すことのない完全な自治領であるから。如何なる国の法も届かず、その内部はブラックボックスと化していた。

 モンタギュー教諭の言葉を受けて、ヴァントル教諭は頭を掻きつつ笑みを浮かべる。

「あー、蹴速君の事ですかねー」

「ええ、そうです…………二十三年ぶりの秋津の国からの入学生なのですから」

「そうですねー。では、こちらの資料に目を通してもらえますかー」

 そう言って、ヴァントル教諭は指を鳴らした。

 現れるのは一纏めにされた数枚の紙の束。

「彼に協力してもらって集めた資料です」

「…………これは、事実か?」

「はいー、勿論ですよー。まず前提条件として、蹴速凛太郎君の体は私たち常人のソレとは大きくかけ離れていますねー」

 言いながら、ヴァントル教諭は円卓に供えられた魔水晶へと触れる。すると、円卓の中央に大きなホログラフ映像が投影された。

 それは、凛太郎がリンドヴルムを一方的に叩きのめした場面が映し出される。

「まず、筋肉。筋繊維の密度が常人の十数倍から数十倍。本来ならば、この時点で体が異様に発達するはずですが蹴速君の場合は常識的な範囲で収まっていますね。これは筋繊維の一本一本が更に特殊だったからなんですねー」

「筋繊維?」

「はいー。結論から言えば、彼の筋繊維はその一本が宛ら超硬合金の様に只管に頑丈でありながら、同時に肉そのものとしての柔軟性を失わない。そんな矛盾を文字通りに体現する逸材。これらが互いの発達で締め付け合い、結果的に凝縮された筋肉へと形を成している様なんですねー」

「しかし、そこまで強靭すぎる筋肉を持つのなら、自壊してしまうのではないか?」

「その通りなんですがー、それを支えるのがやはり骨ですねー。この骨に関しても、最低強度はドレイク種の最高硬度を誇る逆鱗を上回るみたいなんですよー」

「この最後に打ち放った蹴りですね」

「ですねー。皮膚も特別なのか、魔金属性のメスも殆ど刺さらなかったのでー」

「ほー……特異体質、か」

「というよりも、肉体だけ別の次元にある、と表現した方が正しいかもしれませんねー。現に、彼の魔力量や質は良くて中の中。基本は中の下でしたから」

 天は二物を与えず、とはよく言ったもの。これで魔法的素養にも高い適性を示していたのなら、最早周囲が憐れ。

 それでも、蹴速凛太郎が異常であることには変わりない。

 筋肉の構造、骨の構造、皮膚の構造。人間の五体を純粋に構成する構造が異形と化しているのだから。

 幸いと言うのなら、

「彼はいたずらに暴力を振るう子ではないのは、良かったですねー」

 おそらく誰よりも得意であろう純粋な暴力を誰彼構わず振り回すような男ではない点だろう。この辺りは、育ちの良さもとい躾の厳しさが垣間見えた。

 ヴァントル教諭は、細い目を僅かに開いて自身が作成した資料へと視線を落とす。

 興味は尽きない。

 生物に突然変異が起きる事は、ままある事だ。アルビノなどはその最たるもので、周辺環境や生物的特徴などを踏み潰してそういう形質が現れる。

 彼の見立てでは、蹴速凛太郎はこれに当たる。尋常ではない身体能力と、その能力そのものに自分自身が破壊されないように屈強等という言葉が陳腐に感じてしまう程の圧倒的な肉体強度。

 まるで、神が手づから創り上げたかのよう。

(いやー、

 内心で、ヴァントル教諭は口角を上げた。

 教師としても比較的優秀である彼だが、同時に探求者として好奇心旺盛である部分がある事は否定できない事でもある。

 特に今回の一件は、興味を引いて仕方がない。

 如何に、とはいえ、リンドヴルムを素手で一方的に叩きのめしたのだから。

 加えて、凛太郎にはまだ余力がある様にも見えたのだ。

 限界はどの程度なのか。そもそも、魔法はどの程度効くのか。骨の強度は、筋肉の限界は。生物としての範疇を逸脱しているのは何故なのか。

 興味は尽きる事無く、むくむくと育ち続けていくのだった。



「――――えっきし!……?」

「うわっ!?だ、大丈夫?リンタロー」

「おう」

「風邪でも引いたの?」

「んー……かぜってどんな風になるんだ?」

「風邪ひいた事の無いの!?」

「おう。こちとら、チビ頃から病気した事ねぇぜ?」

 カラカラと笑う凛太郎を見上げて、スピカもまた小さく笑う。

 学舎の廊下を行く二人。既に時刻は放課後となっていた。

「にしても、魔法ってのはやっぱり凄いな。結構酷かっただろ?」

「うん。でも、学院の癒術師ヒーラーは優秀みたいだからね。もう、何ともないよ」

「ひーらー?」

「治療系の魔法は、自分自身に掛けるのと他人に掛けるのでは難易度が違うの。後者に関しては、最低でも上級クラスの実力が無いとまず無理だろうし……この辺りは本当に、才能の領域じゃないかな」

「上、級……?」

「魔法にも難易度があるの。この辺りは基礎だから、授業で習うんじゃないかな。とにかく、今は大変な事って把握してればいいからさ」

「ぬぅ……知らねぇ事ばっかりだな…………」

「ソレを勉強するのも、学校って事じゃないかな」

 唸る凛太郎の背を軽く叩きながら、その一方でスピカの考えるのはあの森での出来事だ。

 たった一人で一方的に、リンドヴルムを叩きのめしたその姿。

 普通ならば、その尋常ではない姿に恐怖の一つも覚えるのかもしれない。というか、一方的に人類よりも肉体強度の勝る怪物を叩きのめす存在など恐ろしさを覚えるな、と言う方が無理な話。

 それでも、あの瞬間にスピカが抱いたのは恐怖よりも、どちらかというと憧憬にも似た感情だった。

 彼女にとってあの瞬間、自分を助けに来てくれた暴力の化身は確かに英雄ヒーローだったのだから。

 数歩小走りに前に出て、スピカは振り返る。

「大丈夫だよ、リンタロー。ボクが、キミの分からないところも教えてあげるからさ」

「おっ、良いのか?そいつは助かるけどよ」

「ふふん♪任せておいてよ」

 胸を張る。

 少女は、その心の片隅に芽生えつつある感情の名前を


――――まだ、知らない

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