第10話
打撃、投げ、極め。対素手から、対武器まで多種多様な近接戦闘下における優位を勝ち取る技法…………なのだが、魔法が主流となるこの世界においてはそれほど優れたモノとは言えなかったりする。
魔法は遠距離からの攻撃を得意とし、そもそも近付くだけでも一苦労。加えて、接敵状態でも対応できる魔法もある。
要するに、時代遅れならぬ世界外れ、とでもいうべき代物だった。
蹴速凛太郎以外にとっては。
*
凛太郎は迫りくる蛇竜を前にして、不敵に笑う。
恐怖心は無かった。彼にしてみれば、迫り来る怪物も、地滑りも、雪崩も、鉄砲水も、山火事も、飢える冬眠できなかった熊も、等しく同価値。
勝てねば死ぬ。それだけだ
「――――當麻流
突っ込んでくる蛇竜の懐へと敢えて踏み込む。
地を踏みしめるのは右足。突き出すのは顔の隣で掌を外に向ける様に捻って持ち上げた右手の平。
肩と肘の可動域にそって右手を時計回りに捻りながら、肩をこれまた時計廻しに動かしつつ下から上への張り手をリンドヴルムの上半身下部へと打ち込んだ。
体重差、体格差。諸々と考慮しても、とてもではないが豆鉄砲も良い所だろう。
事実、凛太郎に技術を仕込んだ老人が寸分違わずに同じ軌道で撃ち込んだとしても何の効果も得られない。
だが、違う。違うのだ。
蹴速凛太郎は、常人とは体の構造がそもそも違う。
「Gi…!?」
「う、そ…………」
その光景を、スピカは忘れることはできないだろう。
意味を成さないであろう友人の特攻。そのまま轢殺されるであろう彼を止められなかった悔恨を浮かべた心の曇りは吹き飛んでしまった。
打撃部分を起点に、リンドヴルムの巨体が僅かに浮いた。
ソレはつまり、凛太郎の一発によって巨体の猛チャージを相殺、だけでなく浮かせるだけの衝撃と破壊力を持っていたという事。
この一瞬の間。それだけで、凛太郎には十分すぎた。
「フゥ――――當麻流
突き出した右かち上げを前に置き、入れ替わる様に後ろに下がっていた左拳を緩く握る。
イメージは、滑車。右の肘と左の肘が縄で繋がれて滑車を間に挟んでいる、そんなイメージを持って放つ。
スタートは左足。大地を蹴る反動を関節から生じたエネルギーのロスを限りなくゼロにしつつ腰、肩などの大きな関節で加速。
突き出す左拳は、敵に叩きつける瞬間に思いっきり握り脱力と力みの差をつくる。
その一撃を受ける事になるリンドヴルムは、この世に生を受けて一度も受けた事のない痛みを味あわされる事になる。
「Gyiiiiiiiiiiiiiii!?!?!?!」
巨体が再び宙を舞い、もんどりうって仰向けに転がった。
その大きな口からは、僅かに血が溢れ、零れる。
巨体を殴り飛ばした凛太郎は、のたうつ蛇竜を無視し自身の左拳へと目を向けていた。
「結構、硬いな…………これなら、もう少し強く殴っても良さそうだ」
城壁にも勝るとされる
少しの間拳を眺めていた凛太郎だが、切り替えたのか未だに動けないリンドヴルムへと向き直ると一気に前へと駆け出していく。
彼の一歩で地面が砕ける。
倒れるリンドヴルムの胴体を足場にその真上へと跳躍。
「――――當麻流
掲げるのは、右足。そのまま勢いを付けて前回転しながら一気に落下していく。
「Gi……!」
破砕音と同時に、盛大な土煙が上がる。
めり込んだ踵を持ち上げて、すぐさま凛太郎は追撃を敢行。
力任せに、踏む、踏む、踏む。
一発一発が、宛ら隕石のソレ。技もへったくれも無い、純粋な暴力。最早どちらが怪物であるのか分かったものではない。
だが、リンドヴルムとて一方的に嬲られるだけではない。
「GaaaaaaAAAAAAAAAAAA!!!」
咆哮と共に、右腕を振るう。自身の腹の上で暴れる小さな怪物を押し飛ばさんと突き進む。
しかし、
「甘いぜ、蜥蜴野郎」
鈍い衝撃と共に腕はまるで山にでも打ち付けたかのように止められていた。
凛太郎は、振るわれた腕に対して左手一本で受け止めていたのだ。
震える事も、腕や体が軋みを上げる事も、ましてやどこも壊れる様子はない。異常な光景だった。
受け止めた腕を払いのけ、凛太郎は前へと飛び出した。
二歩の助走を挟んでリンドヴルムの顎の下へと近付き、
「――――當麻流
踏み込んでからの腰の回転を利用して放つ前突き蹴りが突き刺さる。
少し話は逸れるが、古今東西“竜”という存在には逆鱗という通常の鱗とは別に逆さまに生えた鱗が存在しているという。
この鱗に触れられると如何なる心穏やかな竜でも激昂し、触れた者を即座に殺してしまうのだとか。
そして、その鱗は基本的に顎の下にある。
では、なぜ彼らはその鱗に触れられるだけで激昂してしまうのか。
諸説あるが、その鱗の下には竜たちの急所が隠されている、のだとか。真偽不明の机上の空論とされるそんな一説。
「Ga……!?」
少なくとも、その机上の空論は今回当て嵌まったらしい。
白目をむく、リンドヴルム。
仰向けのままに大きくその体を震わせると、そのまま力なく崩れ落ち動かなくなった。
「…………ふぅ……加減が難しいな」
沈黙した巨体から降りた凛太郎は、後頭部を掻きながらポカンとしているスピカの方へと足を向ける。
「おう、スピカ。とりあえず、学校の方に行くぞ。立てるか?」
「え……あ、ういっ!?」
呆けながらも立ち上がろうとしたスピカは、しかし踏ん張った右足からの鋭い痛みに顔を歪めた。
靴下を下して見れば、足首の辺りが赤く腫れあがっているではないか。
詳しくは診断しなければ分からないが、それでも立ち上がる事すら難しいのに、歩く、ましてやいつ襲われるかも分からない森の中で片足を庇いながら真面に進める筈もない。
同じくスピカの足首を確認した凛太郎は、少し顎を撫でると徐にブレザーを抜いた。
そして、スピカに背を向けて膝を付く。
「乗れ」
「え、でも………」
「大丈夫だ。俺は、体が頑丈だからなスピカが百人居たって背負えるぜ?」
「……ふふっ、何それ…………うん、それじゃあ、お願いします」
少し笑えたお陰で抜けた肩の力。恐る恐る伸ばした掌は、シャツ越しでありながら筋肉の孕む熱を確りと伝えてきた。
スピカが乗った事を確認して、凛太郎はブレザーを折り曲げてスピカが腰掛けられる様に尻の下に添え、袖を右肩と左脇腹に通すようにして体の前で確りと縛って止める。
即席のおんぶ紐のようなものだ。
何故こんなものが必要なのか。
「んじゃ、確りと掴まってろよ?加減はするが」
「え?………ッ!?」
瞬間、世界が一気に動き出す。
思わず背中へとしがみ付いて目を閉じてしまったが、直ぐに興味が湧いてその目を開けた。
そこに広がるのは、広い世界。
広々と広がる森と、遠くに見える山脈。風によって巻き上げられたであろう砂嵐の一部。光を反射する大きな湖等々。
そしてそれから、天突くように聳え立つ尖塔を有する巨大な学院の学舎と周辺の建物たち。
「と、飛んでる……!」
「直ぐに落ちるから、舌噛むなよー」
感動するスピカに軽い声を掛けながら、凛太郎は行き先を確認していた。
ついでに、ぐったりと倒れた自分と同じ制服の三人の少年たちの姿も見つける事になる。
着地と同時にそちらへと向かえば、ぐったりとしているが確かに生きている。
「なんだ、こいつら」
「あ……」
凛太郎は首を傾げたが、その一方でスピカとしては複雑だ。
言ってしまえば、この三人は自業自得でしかない。恨みがあるにせよ、魔法生物が闊歩する森の中で態々教師から離れてクラスメイトを闇討ちしようとしたのだから。もしも凛太郎が気付かなければ、彼らはそのままリンドヴルムの腹の中に納まっていた。
しかし、スピカは見捨てられない。複雑な心境であろうとも、そのまま見捨てる事は彼女自身の心が痛む。
「あの……リンタロー」
「んー?」
「運んでもらってるボクが言える事じゃないんだけど……彼らも、運べたりする?」
「重量的には、問題ないぞ?でもな……」
渋る凛太郎。
彼自身の認識としては、スピカに加えて三人を背負っても学院迄走って帰る程度は簡単に出来る事だったりする。
問題は、積載方法。
真面に動けないだろう人間三人を抱え上げるとなれば、腕の長さなどを加味して厳しいものがある。
何より、
「こいつら、お前にちょっかいを掛けてきた奴たじゃないのか?」
助けることはやぶさかではないが、それでも気が進まない。
淡白にも冷淡にも思えるが、この辺りは彼はキッパリとしている部分があった。この辺りは自然に近い生活環境で培われた部分でもある。
冷めた凛太郎の言葉に、スピカは唇を噛む。
分かっている。分かっているのだ。
それでも、
「…………お願い」
見捨てられない。
例え自分の首を絞める事になるのだとしても、スピカ・ヴィルゴーは足掻くのだろう。
凛太郎とて鬼ではない。ため息を吐きながらも、死にかけの三人を運ぶ算段を頭の中で立てていく。
幸いと言うべきか、周りにはリンドヴルムが薙ぎ倒した木の残骸があちこちに転がっていた。これらを使えば簡易的な担架程度ならば用意できるだろう。
頭の中で設計図と手順を考えながら残骸の方へと足を向けた凛太郎。
しかし、その手が木材を掴む前に止まる事になる。
「彼らは私が運びましょう」
「…………先生じゃねぇか」
影より現れたヴァントル教諭に、凛太郎は眉を上げる。
「蹴速君、学院の場所は分かりますか?」
「え?あー、はい……」
「それじゃあ、ヴィルゴーさんの事、お願いしますねー」
「は?ちょ…………ッ」
スタスタと三人組へと近づいていくヴァントル教諭に手を伸ばそうとした凛太郎だが、何故だか嫌な予感がしてその手を引っ込める。
少しの間、その背をジッと見つめていたが結局そのまま踵を返して帰路に就く事になった。
(教師ってのは、恐ろしいもんだな)
そんな感想を抱きながら。
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