第8話
故郷の森を思い出す。肺一杯に、澄んだ空気を吸い込んで凛太郎は大きく息を吐き出した。
光が晴れて、Aクラスの一同は森の中に居た。
正確には、森の中に四角で切り抜かれた空白地帯の中心だ。周りには、他のクラスは居ない。
「はーい、皆さーん注目してくださいねー」
ヴァントル教諭の声が通り、ざわざわとしていた生徒たちの視線が彼へと集められる。
「まずは、位置情報からー。まず、この浮遊島は円形となっているんですねー。そして、私たちは八方位にそれぞれ分かれましたー。この森は、南西部に広がっている“レムの森林”と呼ばれているんです。生息するのは、主に森林地帯に魔法生物たち。このエリアには結界が張られている為に生物たちは入ってこれませんがー……一歩踏み出せばそこは彼らの領域。決して気を抜かないようにー」
「せ、先生ー」
「はい、何でしょう?」
「ここで結界越しに、魔法生物の観察をする事は、いけないんですか?」
「良い質問ですねー。確かにこの一角には結界が張られています。ですがー…………それも万能ではないんですよー」
少し授業をしましょう、とヴァントル教諭は右手の人差し指を立てる。
「魔法の中には、効果を限定する事によってその効力を跳ね上げる種類があります。結界もその一つですねー。効力対象を絞る事によって結界の障壁としての効果を高めるんですー……さて、先程の質問に関してですがー、今私たちの周囲を囲む結界はこの森に生息している魔法生物のみを選び阻む効果を付与されています。さて、ここで問題でーす。この結界の弱点は何でしょーうか!」
高らかな声に、生徒たちは互いに顔を見合わせた。
そもそも、新入生の魔法に対する理解度、学習度はバラバラだ。凛太郎の様に魔法のまの字も知らない様な者から、その一方で物心ついた頃には英才教育を始められる者まで様々。
手を挙げたのは、褐色の肌。
「この森の生き物にしか効果が無い事、だろ?先生!」
「その通り!正解ですよ、アジフ君。そう、この結界はこの森の魔法生物にしか効果を発揮しません。それでいいと思われるかもしれませんが、生き物と言うのは様々な要因で生息域を大きく変える場合があるんですねー。一応、監視はされていますが、それでも対処が間に合わないのが現状なんですよー」
やれやれと肩を竦めるヴァントル教諭だが、笑い事ではない。
魔法生物と一括りに言われているが、その危険性は多岐に渡る。
ペットの様に家庭で飼えたり、都市などのインフラに用いられたり、交通手段として用いられたりする一方で出現=都市の壊滅へと繋がる様な化物も存在していた。
恐れるな、と言う方が無理な話。自然と、生徒たちの表情も硬くなっている者が大半となる。
しかし、いやだからこそ、そんな状況で別の反応を示す者達は目立ってしまう。
子供たちは、気付かない。
気付かないからこそ――――子供だった。
*
学院を目指す旅路。
「はーい、離れないようについてきてくださいねー」
先頭を行くヴァントル教諭曰く、距離は大した事ないらしい。
そもそも、位置情報として学院の学舎含めたメインスペースは全て島中央部より、やや南寄りに密集している。
つまり、現在位置と方位さえ分かれば島内のどの位置からでも学院へと戻る事は理論上可能となる。
あくまでも、理論上だ。強力な魔法生物に襲われない事が最低条件の机上の空論に過ぎない。
現に生徒二十五名の内、その大半は教諭の側を離れないようにしつつ周囲の僅かな音にも敏感に反応している始末。
その一方で、
「にゃ~、リンちゃんおんぶしてくんない?」
「…………おい、返事する前に乗ってんじゃねぇよ」
緊張感のない奴らも居る。
凛太郎の背中に飛び乗ったマオは、そのまま猫の様にぶら下がる。さりげなく落ちないように腕を回すあたり、彼も断る気は無かったようだが。
その隣ではアーディルが笑いながらついてくる。それから少し離れた後ろからスピカが苦笑いしながら続ていた。
「にしても、凛太郎。緊張してないよな」
「あ?あー……こういう森ってのが、故郷に似てるからな」
「秋津の国ってもう少し発展してるんじゃにゃいの?」
「昨日も言ったが、俺は田舎者だからな。街なんざ行った事ねぇし、寧ろ石造りの建物ってのが慣れねぇよ」
凛太郎はそう言うが、彼自身木造建築で大きなものを見た事はない。
そもそも、家屋というのはその地域における環境と密接にかかわっている。基本的にその土地において得やすい材料が主に用いられる事になるだろう。
つかず離れず。そんな距離を保ったままのスピカは話しに割り込む様子が無い。
凛太郎は兎も角、アーディルとマオの二人に対してはまだまだ警戒心を捨てきれないらしい。その辺りを考慮した凛太郎が、彼らを前へと送り出そうとしたのだが、ソレを辞退したのはスピカ自身だった。
彼女からすれば、自分のせいで凛太郎まで完全に孤立する事は避けたいというのが正直な所。
隊列は自然と縦長になる。
距離的には、それほどでもないがあまり宜しい状況ではないだろう。
現に、疚しい事を考える者達が居る。
「――――アイヴィーウィップ」
「ッ!?」
スピカの腰に何か細い紐のようなものが二重に巻き付いた。そのまま声を上げる間もなく一瞬の内に後ろへと引かれ、背中を強かに木の幹へと打ち付けられていた。
思わず咳き込み、眩む視界。へたり込む様に樹の幹へと背を預けて座り込んだスピカが顔を上げれば、三人の少年たちが見下ろしてくる。
直ぐに彼女には、彼らが何を狙っているのか当たりが付いた。
三人の一人。金髪の襟足の長い少年が一歩前に出る。
「恨むんなら、自分の生まれを恨むんだな」
そんな陳腐な台詞。彼らの瞳には、大なり小なり憎悪の色が見て取れた。
「気に入らねぇんだよ。散々奪って壊してきたお前らが、何で学校何て通えるんだ?散々奪っておいて、仕返しされないとでも?十三の家は、ガラシアから出て来なけりゃ手は出せないが…………今は違う」
「ぷぷぷ、馬鹿だよねぇ?大人しくお山に引っ込んでおけばいいのにさ♪」
「………」
襟足の彼に続くように、茶髪の小柄な少年が嗤い、日焼けしたあ肌の大柄な少年が頷いた。
国単位で恨まれているガラシア帝国。特に戦禍をまき散らす原因となった皇帝含めた十三の家はどこもかしこも恨まれている。
基本的に、この家々の人間で表に出てくるのは武力面を担う者達ばかりだ。
当然と言えば当然で、彼らとて無知蒙昧馬鹿ではないのだから。自分達が如何に恨まれて憎まれているのか理解しているし、逆にそれらを利用した事もある。
だからこそ、スピカもまた理解していた。こういう目に遭うという事を。
だからこそ、彼女は何も言わない。何もやり返さない。
何で自分が、と開き直れるほど面の皮が厚くない。殴り返す度胸が無い。そもそも事実に即した恨みであるのだから否定できない。
色々と理由を上げるが、総括してスピカ・ヴィルゴーは殴り返せない。
これから何をされるか。暴力か、それとも女性としての尊厳を踏みにじられる事になるのか。
正解は――――どちらでもない
「…………お?」
小柄な男子が、何かに気付いたのか辺りを見渡す。
揺れ。それは、最初こそ足の裏に僅かに響く程度のものだったが、直ぐに周辺の梢が揺れ、石が震えるほどに大きなものとなっていく。
地震、ではない。そもそも、このアールスノヴァ魔導学院のある島は浮島だ。火山もあるにはあるが、それ自体もこのレムの森林の対角線上。要するにかなり遠い。
ならばなぜ揺れるのか。それも立っているのも難しいほどに。
その答えは、やはり地下より現れた。
「――――GaaaaaaAAAAAAAAAAAA!!!!」
木々を根元から薙ぎ倒し、地盤をひっくり返しながら地面を突き破って現れるのは巨大な腕。
次いで、その腕に続くようにしてその巨体が露となった。
日の光を反射するエメラルドグリーンの鱗がびっしりと並ぶ、大木の幹の様に太い腕に、その先にある四本指の手にはそれ一本で剣に出来そうなほどに鋭い鉤爪が並ぶ。
地面を突き破って現れた巨大な頭部。こちらもまた腕と同じくエメラルドグリーンの鱗に包まれており、大きく縦に開く口には一本一本が業物のナイフにも勝る様な鋭い歯が並び真っ赤な舌はルビーの様に怪しい肉の輝きを放っていた。
何より、その目。猫目石のような金色にも見える黄色い目は血に飢えており、ギョロギョロと辺りを嘗め回す。
発達した上半身が完全に地表に現れ、屈強な両腕が地面を叩く。次いで、これまた森の地盤を滅茶苦茶にしながら現れたのは蛇の様に長い下半身だった。
巨木のような太さに加えて、これまた上半身と同じエメラルドグリーンの鱗。それからごつごつとした棘のような背びれ。
全長で十五メートルは優に超える巨体が、四人の前に現れる。
あまりの光景に、三人は先程までの強気な態度は何処へやら、完全に顔面から血の気が引き抜かれ最早青白いともいえる顔色。
もっとも、ソレはスピカも同じ事。寧ろ、現れた怪物について少しの知識があるからこそ余計に絶望感が増す。
唇が震え、
「リ、リンドヴルム…………」
ただ小さくその名を呟いただけ。
エウロープ方面に生息する、
勿論、半人前以下の魔導士の卵がどれだけいようとも、エサを増やすだけの結果となるだろう。
絶望がそこには横たわっていた。
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