第7話
「…………ごめんね。急に泣いて」
鼻を啜って目を赤くしたスピカは、木製のベンチに腰掛けて俯く。その傍らには紙袋が置かれていた。
同じくベンチに腰掛ける凛太郎。彼の手にもまた、紙袋が。
スピカの精神状態で食堂に向かうのは宜しくないと判断して、購買部へと向かいそこで適当なパンを買って二人は人気の少ない中庭の隅にあったこのベンチへとやって来ていた。
しおらしいスピカを尻目に、凛太郎はというと興味本位で手を出したホットドッグに大口を開けて齧り付いている。
たっぷりのケチャップとマスタード。太いフランクフルトが挟まれたパン。申し訳程度のレタスが居心地悪そうにパンとフランクフルトの間に挟まっている一品。
「旨っ」
「…………」
充血したジトっとした目が向けられる。というか、ほぼ睨んでいる。
流石に、居心地が悪いのか凛太郎も咀嚼はそのままに眉根を寄せた。
「むぐむぐ………何を期待してるか分からねぇけど、気の利いた言葉は出ねぇぞ」
「リンタローは優しいけど、デリカシーが足りてないよ」
「でり……?とにかく、お前も食っとけよスピカ。昼持たねぇぞ」
「むぅ…………」
凛太郎の言い分にも一理ある。
釈然としないながらも、スピカも紙袋からパンを取り出して口を付けた。
爽やかな風が吹き抜ける中庭。周囲が、学舎の壁があると言えども、広さはサッカーグラウンドを更に一回り大きくしたような範囲。
だからだろう、今二人が居る場所の様に人目に付きにくい死角と言うべき場所があるのは。
「うーん、旨い」
すっかり気に入りのクロワッサンを頬張って、凛太郎は頬を緩めた。
彼は知らないところだが、アールスノヴァ魔導学院において困る事の一つが食事事情であったりする。特にアースィアン方面の生徒たち。
というのも、学院はどちらかというとエウロープ方面の様式に沿った食事が多い。これは、学院の始まりである8人の賢者たちの内、凡そ五人がこの方面の出身であったから。
今でこそある程度改善はしているが、それでも偏りは否めない。例年、この食事に慣れる事が出来ずに精神的に参ってしまう生徒が居る。
その点で言えば、凛太郎は稀有だろう。何でも食べて、尚且つ楽しんで食べる事が出来るのだから、そもそも食事が苦にならない。
(の、飲んでる…………)
横目に見たスピカは内心で、凛太郎の食事風景に引いていた。
彼女がパンを一つ食べ終わるころには、彼は二個も三個も食べてしまっているのだから。
硬いバゲット生地も、柔らかなスポンジ生地も、等しくバックバックと食べ進めるその姿は、最早パンを飲み物の一種とでも思っているかのよう。
そんな食事の時間も終わり、瓶入りのレモネードを開けた頃。スピカはポツリと呟いた。
「家族じゃない誰かと食べるなんて、初めてかも」
「そうなのか?」
「うん。あ、食事会とかはあったんだよ?リオニス家を含めた十三家揃っての会食とか、ね。でも…………」
そこで一つ言葉を切り、スピカはレモネードの瓶を手に中庭の空を見上げる。
「味が、しなかったんだ」
「そいつは…………」
「十三家は、一枚岩じゃない。家によっては皇帝の地位を狙ってるような所もあるし、腹の探り合い何て日常茶飯事だよ」
「うわ……味のしない飯なんて、俺は御免被るな」
ゲー、と舌を出す凛太郎に、ボクもだよ、とスピカは笑う。
「だから、今日のご飯は楽しいや。ありがとう、リンタロー」
「っ……ま、まあな」
目元が赤くなりながらも向けられた笑顔に、凛太郎は頬を掻きながらそっぽを向く。
少し心臓の動きが速くなったような気がするが、当人は気付かない。
微笑みながら、スピカは改めて前を見る。
「でも、やっぱり直ぐに信じるのは…………怖いな」
「んー、まあ仕方ねぇんじゃねか?さっきも言ったが、俺は俺がやりたいようにやる」
「うん、そう言うと思ったよ」
強引だよ、と笑いながらもスピカは何処か楽し気だ。
「だから、ボクはボクの判断で君との繋がりを切る事にするよ」
「はっはっはっ、切れたらいいなァ?」
「リンタローは甘く見てるかもしれないけど、ガラシア帝国は相当な恨みを買ってるんだよ?それに軍事大国で、ボクの家だって例外じゃない。だから――――」
笑みを消して、顔を向ける。
「その時は、素直に手を放してね?」
「…………」
冗談でも何でもなく、スピカはそう求める。そして、躊躇なく彼女は凛太郎を守るためにその手を突き放す事だろう。
だからこそ、
「――――嫌なこった」
凛太郎は、拒絶する。
「言ったろ?俺は、一度手に入れたものを手放したくない質だってな」
「……冗談じゃないんだよ?」
「それでも、だ」
真っ向から、黒目とアクアマリンがぶつかり合う。
先に視線を外したのは、スピカだった。
「…………強いなぁ」
ポツリと呟く。
見返した黒い瞳は、確かな強さを兼ね備えた意志を感じさせる。そしてそれは、ギラギラとした危うさを孕むようなものではなく、より純粋。
まだまだ完全な信を置く事は出来なくとも、縋りついてしまいたくなる。
試練は間近に迫っていた。
*
アールスノヴァ魔導学院の敷地面積は一学び舎が持つには余りにも過分と言えるほどのものを有している。
生徒数は、凡そ八百名。そこに教職員とその家族をを含めたとしても、本来ならば千を超える事はない。
では、その広大すぎる敷地は一体何に用いられているのか。
一つは魔法の実践。大規模な演習などを可能とするため。
一つは、史跡。8人の賢者ゆかりの遺物が残されており、それらは魔法的な価値を持ち合わせている。
そして、もう一つ。多くの魔法生物の保護、飼育、繁殖などが行われてもいた。
「はーい、皆さーん。注目ー。これから、保護区に入りますよー」
二度の柏手を挟んで、ヴァントル教諭へと生徒たちの支線が向けられる。
彼を筆頭に生徒たちの前に立つのは、一年生担当の教師陣。そして生徒たちが集まっているのは、学舎の中でも一際薄暗い一室だったりする。
「まず最初に、注意事項をお伝えしますねー。ここは転移室。広大な敷地のある学院の移動は、徒歩などでは時間が掛かり過ぎます。そこで用いるのがこの部屋なんですねー」
ヴァントル教諭はにこやかに言葉を紡ぐ。
転移室。名前はそのままだが、移動に関しては必須な場所でもある。
先の通り、このアールスノヴァ魔導学院が設置された浮遊島は広大な敷地面積。そんな場所を徒歩で移動しようと思うなら、それだけで数日を必要とする場合があった。
加えて、島自体平面ではなく、山岳や湿地、森林や砂漠、荒野に渓流等々複数の自然環境を有しており足を踏み入れる事が命にかかわる場合もあるのだ。
そして、これら多種多様な環境を利用して多くの魔法生物が放されている。
総面積の約五割が保護区。一割が、大規模演習場に被っておりそういう場面が意図的に作り出される事もあった。
「保護区に移動してからはクラス単位の活動になりますからねー。基本的に、巡回の魔導士は居ますけどー……脅しじゃなく、命の危険はついてくるのでそのつもりで」
常の間延びした口調が消え、細い目が僅かに開かれ鋭い眼光が覗く。
事故を防ぐために備えはしている。それでも、起きてしまう事がままあるのはこの学院の長い歴史の中で証明されてしまっていた。
ある種の救いは、今代の学院長が歴代でも屈指の魔法の使い手である点か。
最悪の場合でも、身体は帰ってくるかもしれない。
「それじゃあ、行きますよー」
ヴァントル教諭の言葉と共に、教師たちが生徒たちへと掌を各々向ける。
そして、光が部屋に満ちた。
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