第4話

 木のニオイがする。

 真っ白に眩んだ視界に、思わず閉じていた瞼と両目を庇うように持ち上げていた両腕をそれぞれ、開いて下ろしていけば視界に飛び込んできたのは開けた空間だった。

 広々とした教室、いや講堂と言うべきか。

 ここアールスノヴァ魔導学院の一教室につき、割り振られる生徒の人数は二十五人となっている。

 少なく思えるが、これはこの学院が始まった頃からの習わしで二百人の生徒を8クラスに分配するためだ。

 8人の賢者にあやかって、分けられた8つのクラス。

 そして、この一つの教室は広々としている。

 まず、教室前方に設けられたスライド式の二枚の黒板。上下で動かす事が可能で、授業内容の多い学院では通常の黒板では間に合わない為だ。

 そして、教卓の置かれた教壇があり、その前には少し広めのスペースを設けられても居る。これは、授業内容を実技として実演するために必要であるから。

 続いて、生徒のスペース。

 両サイドに緩やかな傾斜の階段が設けられ、その階段に挟まれる様にして緩いカーブを描いた長机が一段ずつ、合計3段分置かれている。

 床と一体化したもので、最前列は9人、後方の2段はそれぞれ8人分椅子が用意され。椅子の後方にもスペースがあって、誰かが席についていてもその後ろをスムーズに移動する事が可能となっていた。

 凛太郎が座っているのは、2段目の窓近くの席。その左隣は、

「……何というか、運命的だね」

 スピカは少し困った様に笑った。その内心では、ほんの少し安堵の息を吐いていたり。

 周囲も、突然の状況に困惑。或いは、大魔女の実力の一端に触れた事による感心であったり、畏怖であったり。

 ざわめきが流れる教室にて、唐突に前部の引き戸が開かれた。

「皆さーん、揃ってますねー?」

 入ってきたのは、茶髪の男性。

 クルクルと緩い天然パーマは、まるで茶色の綿の様に頭を覆っており。掛けた丸眼鏡の向こう側の目は、閉じているのか細いのか糸目である。

 身に纏った聖職者のような緑のローブに、首から提げられたストール。

 左手に、薄い本の様な名簿を携えた男性は、軽快な足取りのままに教壇に上って教卓へ。

 天板の上に名簿を置いて、それから両手をつくと一呼吸挟み、

「えー、皆さん改めまして。本日から、Aクラス皆さんの担当教諭を務めます、ストラ・ヴァントルです。気軽に、ヴァントル先生と呼んでくださいねー」

 緩い言葉遣いと声色と共に、ヘラリとヴァントル教諭は笑う。

 緊張感が無い、と言われれば悪い見本のようだが、その一方でこの緩さのお陰かk室内に流れていた困惑の雰囲気も若干薄れている。

 もっとも、それが本当に狙いであったのかは分からないが。

 ヴァントル教諭は、一通り室内を見渡してから教卓に置かれた名簿を開いた。

「それじゃあー、一人ずつ自己紹介でもしてもらいましょうかねー」

 突然のイベント発生。小さなざわめきが室内に広がっていく、が何も思い付きで彼も自己紹介を求めている訳では無い。

 ピッと立てられる右人差し指。

「学院には、国を問わずに多くの生徒たちが入学してきます。文化や言語、食生活に、人種諸々……とにかく、相容れない様な人だって居るでしょう。しかし、学院は寮生活。クラス単位で動く事もありますしー、それ以外でも最低限度相手の事は知っておくに限りますからねー」

 これは、多国籍である弊害でもある。

 国内部でも分裂している場合もあり、国外でもそれぞれの政治的、或いは歴史的、文化的等々、様々な要因によって軋轢を生んでいる場合がある。

 だが、この学院は全寮制。4年間の共同生活というモノを求められる。

 そして何より厄介なのが、実力の付いた辺りで大規模な戦闘行為が発生してしまう場合だ。

 過去にその火種の一つとして、互いの出身国をギリギリまで知らなかったというモノがあった。

 それまでは仲の良いグループだったのが、突然の情報による疑心暗鬼を抜け出すことが出来ず、結果決裂。大規模な決闘騒ぎとなり、かなり激しく悲惨なものとなった。

 その予防策の一つ。

 そんな裏事情から始まった自己紹介。

 最前列の右端から始まり、16番目に凛太郎の順番が回ってきた。

「あー、蹴速凛太郎……あ、ちょっと待った、つ国だと違うんだった。ええっと、凛太郎・蹴速?で良いのか?出身は、秋津あきつの国。まあ、よろしく」

 立ち上がってひらりと左手を振れば、ヴァントル教諭が入ってきた時とはまた違うざわめきが起きた。

 秋津の国。極東に存在する島国であり、同時に閉じた文化を持った国でもある。

 先程、ヴァントル教諭は多国籍であると学院を称したが、その実在校生とは西方の生徒が多いというのが実情。これは、知恵の泉・ミーミルの選定が偏っている、というよりもと言うのが主な理由だろう。

 だからこそ、珍しい。己の魔力の有無すらも知らなかったからこそ、凛太郎はこの学院に選ばれたのだ。

 疎らな拍手が起きて、順番は次へ。

「…………?」

 僅かなざわめきの中で、不意に凛太郎は自身の左の鼓膜が捉えた音に僅かに首を傾げた。

 音の出所は、スピカ。チラリと流し見れば、その顔色は僅かに白い。いや、元々色白であるのだが、今は常にも増して血の気が引いていると言うべきか。

 気になった。だが、声をかけるような暇はない。

 意を決したように、スピカは立ち上がった。

「ッ、スピカ……・ヴィルゴー、です。“ガラシア”出身です」

 声は小さく、簡素。

 だが、返ってきた反応は、

「ヴィルゴー?」「ヴィルゴーって、あの?」「うわ……」「何でここに」「…………ふん」「チッ……厚顔ヤローが」

 これらは、ほんの一部だ。

 凛太郎の様に首を傾げる者も数人いたが、25人中凡そ半数以上がスピカに対して大なり小なり悪感情を向けていた。

 そして、それら視線を受けて、スピカは顔を俯かせながら静かに自身の椅子に座る。

 彼女にとって幸いなのは、隣が凛太郎だったからだろう。彼は、年齢相応よりもがっしりとした体格をしており、視線を幾分か遮っている。

 止まってしまった自己紹介の流れ。そのまま滞り続ければ、色々と宜しくはないだろう。

 故に、ヴァントル教諭が動く。

「はいはいー、まだ自己紹介の時間は終わってませんからねー。次の子、お願いしますよー」

 手を叩いて続きを促し、何とか流れを軌道修正。

 だが、居心地が悪い針の筵へと一人の少女が晒され続ける事には変わり無し。

 そんな状況で一人だけ周りをさりげなく見渡す目があった。

(…………ふーん?)

 凛太郎だ。彼は、スピカの抱える事情など知らない。だがしかし、知らないなりに予想をする事は出来る。

(う゛ぃるごー……びるごー?まあ、どっちでも良いか。ええっと、スピカが名前で、こっちが苗字…………家名の方が正しいのか?周りの奴らはそっちを気にしてるしな)

 存外回転の速い頭を回して、凛太郎は考える。

 考えて――――そして、思考を打ち切った。そもそも、彼の採る選択肢は最初から在って無い様なものだったのだから。



「それでは、皆さーん。入寮の際には名乗りを忘れないようにお願いしますねー」

 最後にそれだけ言うと、ヴァントル教諭は名簿片手に教室を出ていった。

 今日のイベントはこれにて終了。

 時刻は正午の少し前。これから先、詰まったカリキュラムを受講する為か、この日の新入生は半休扱い。在校生はお休みだ。

 とりあえず、空腹を覚えた凛太郎は散策ついでに構内を見て回ろうと顔を左に向け、

「…………スピカ?」

 声を掛けようとした友人の姿はそこには無い。

 首を傾げて教室内を見渡せば、そそくさと出ていくオリオンブルーの頭が確認できた。

 厠か?とも思うが、先の自己紹介での一件も気にかかり後を追おうと席を立ち、

「なあ!」

 背後からの声に留められる。

 振り返れば、褐色の肌をした小柄な少年が凛太郎の事を見上げていた。

「…………俺か?」

「ああ!俺は、アーディル。アーディル・アル・アジフ!お前って、本当に秋津の国出身なのか?!」

「お、おう……あー、アジフ?」

「アーディルで良いぜ」

 押しが強い。まるで直射日光でも眼前で浴びたかのような陽キャを前に、凛太郎は思わず仰け反りながら目を細めた。

「アーディル………噛みそうだな。まあ、いいや。俺は確かに、秋津の国出身だ。それが、何かあるのか?」

「いいや?ただ、俺の故郷の“ハビラ=ラビア”でも時々流れてくる美術品や工芸品、あと武器なんかはかなり良い値段で取引されてるからさ。気になったんだ」

「へぇ?成程な……つっても、俺はド田舎の育ちでな。国の事はよく知らねぇんだ。魔法に触れたのも、今回が初めてだぜ?」

「そうなのか?俺の国じゃあ、寧ろ魔法が無いと生活が困る位なんだけどさ。気温とか水とか」

つ国、スゲェな」

「寧ろ、俺としては魔法無しでどうやって生活してたのか聞きたいな!」

「――――盛り上がってるねん、お二人さん」

「あ?」

 声を掛けられたのは、斜め上から。見れば、うねった紺色の挑発の金色の瞳をした少女が机に両肘をついて顎を支えた状態でニマニマと見下ろしてきていた。

「そうか?」

「そうにゃ。それも、ハビラ屈指の大金持ちなアジフ家の人間と、殆ど自分の国から出てこない秋津の国の人間が盛り上がってたら目立つってもんじゃにゃ~い?」

「オマエは、俺の家知ってるのか?」

「知ってるも何も、世界でも指折りの商団ギルド運営してる家だしねん。まあ、そっちの田舎君は知らないみたいだけど」

「アーディルで良いぜ!」

「知ってるよん。というか、自己紹介してたし。そっちの君はリンちゃんって呼ぶよ」

「どう呼ぼうが勝手だが、お前誰だよ」

「マオ・シャ=モール。“ウルスラグーン”の出身だよん。それから、リンちゃんの丁度後ろの席~」

 そう言って、マオは頬杖から起き上がると机に両手をついて、その反動で跳躍。机を乗り越えて、一段下の二人の間へと音もなく着地する。

 まるで、猫だ。凛太郎は、そんな事を思った。

「今、あたしの事を猫だと思った?」

「…………覚りか?」

「にゃっはっはっは!リンちゃんが分かりやすいだけだねん」

「マオは、面白いな!」

「あたしからすれば、二人の方が面白いけどねん」

 煌々陽キャと不可思議猫娘。

 そして、そんな二人に巻き込まれた形のド田舎者。

「……」

 その脳裏に残るのは、オリオンブルーの髪だった。

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