第3話

 石造りの廊下は、音が反響する。

 一つは、ペタペタと裸足の音。一つは、少し高めのローファーの踵が石を踏む音。

 それから、

「それじゃあ、リンタローは秋津の国の出身なんだね。確かあの国も、独特の魔法が在った筈だけど…………」

「生憎と俺は、触れた事が無いな。そもそも、こうして入学許可証が送られてくるまで俺に魔力?があるなんて知らなかったし」

「うーん、確かにそういう話は聞いた事があるけど…………まさかこうして、面と向かって話が出来ると思わなかったな」

 存外弾んでいる二人の会話、とか。

 話題は専ら、自分たちの出身国や文化の事。とはいえ、

「それにしても、魔法を使わない生活か……想像できないな」

「そうか?」

「火を起こしたりするにも、魔法を使わないんでしょ?」

「まあな。火打石と火打ち金を使う。石を鉄片に打ち付けて起こした火花を火口ほくちのおが屑や松葉、松かさに振りかけて火種にする。後は、薪だな」

「へぇー…………まるで、猟師だね」

「猟師?」

「うん。獣の中には、魔力素子まりょくそしを感知するような種類も居るからね。ただ、その手の獣は逆に他の五感が鈍かったりするんだ。だから、山奥のそれこそ、伝統を守っている様な猟師たちは魔力を用いる様な魔法や、魔道具なんかの使用は気を付けているんだって」

「ま、まりょくそし……?」

「魔法を扱ううえで重要な要素だよ。多分、授業でも扱うから簡単に言うと、この世界の最小構成単位の一つ。これがあるからこそ、魔力があり、魔法があり、ボクたちみたいな魔導士が生まれるんだ。因みに、ボクらの内側にある場合は、“オド”。外にある場合は、“マナ”と呼ぶんだ」

「はあー…………」

 頭から湯気でも出そうな気の抜けた声。

 凛太郎にしてみれば、遠い世界の話に思えてならず頭の理解が追いつかない。

 宛ら宇宙の深淵でも覗いた猫の様に遠い目をする彼を尻目に、スピカはくすくすと楽し気に笑った。

 こんな風に何の気負いもなく話せるのは何時ぶりだろうか。ふと、脳裏のどこかでそんな事を考える。

 凛太郎は、変人であるし言葉の節々に感性の違い等も何となく感じ取れる。知識量も圧倒的に足りず、どうしたって話のテンポはスローペースだ。

 それでも、。こうして、誰かと言葉を交わす事はやっぱり楽しい。

 スピカ・ヴィルゴーはそう思う。

 しかし、楽しい時間は長くは続かない。

 目的地に到着したからだ。

「えーっと……競技、会場?」

「そうだね。魔導学園では、魔法の実戦練習も当然ながら行われるんだ。その場合必要になるのは、大きな空間。ここはその為の場所でもあるだよ」

「ほーん」

 スピカの解説を聞きながら、凛太郎は本日のメイン会場へと足を踏み入れた。

 競技会場は、様々なイベントが行われる空間でもあった。

 天頂に空を臨む円形のフィールドが中央に設けられ、その周囲を高い壁が囲う。そして、その壁の向こう側には観客席がぐるりと本舞台であるフィールドを見下ろすように設けられているのだ。

 凛太郎の故郷である東の最果て“秋津あきつの国”から西方へと遥か進んだ地域で見受けられる、コロセウム闘技場が建築様式としては近いかもしれない。

 そんな円形のフィールドを囲む壁だが、その四方に大きな鉄格子の門を持つ出入り用の孔が開けられていたりする。

 今回、二人が足を踏み入れる事になったのは南口。

 フィールドの直径は、二百メートルは下らないだろうか。とにかく広い。

「デカい砂場だな」

「安全の為でもあるよ。石材じゃ、叩きつけられたりしたときに危ないからね」

 ザリザリと足の裏から伝わる細かい粒が擦れ合う音を聞きながら、凛太郎は感想を零していた。

 いい加減靴を履き直せ、という話だがこの男は枯れ木や尖った岩、鋭い棘などを持つ植物などが生い茂った山中を素足で走り回ることが出来る様な阿呆だ。高々、砂地程度で音を上げるような軟な足裏をしていない。

 二人の他にもチラホラとフィールドに集まった新入生たちの姿が確認できる。

 割合的には、金髪が多いだろうか。しかし、赤毛や青毛、茶髪に白髪。中には、頭頂部から毛先に掛けて鮮やかなグラデーションの髪色や、日の光が当たる角度によって鮮やかに髪色が変わる者等々。

 スピカはそうでもないが、その一方で凛太郎の完全真っ黒な髪色と言うのは鮮やかな頭の中でも浮いていた。ついでに、片手に靴を持って素足で歩くその姿にギョッとした目を向けられてもいる。

 もっとも、見られた当人はというと、

「派手な頭がチラホラと………外つ国はスゲェな」

「リンタローの黒髪も目立ってるよ。というか、そろそろ靴を履いたら?」

「ぬ……窮屈なんだよなあ」

「なら、作法としては悪いかもしれないけど踵を踏んだら?行儀は宜しくないけど、それでも裸足で居続けるよりは良いよ」

「踵?」

 スピカに言われて、凛太郎は左手の指に掛ける靴を顔の高さまで持ち上げた。

 仕立ての良い革靴。丈夫に出来ており、一種の防具としても利用できる。

 その靴の踵部分の靴裏に親指を掛け、次いで人差し指と中指を踵部の上部へと添えた。

「え……」

 声を漏らしたのはスピカだ。彼女はてっきり、どうにかこうにか足で踵の部分を潰すものだと思っていた。

 だが、凛太郎は違ったのだ。

 あろうことか、彼は指で踵を潰した。まるで焼きたてのパンの中身を潰したかのような出応えの無さで靴の踵部はひしゃげてしまう。

 驚く隣を尻目に、凛太郎は残る靴の踵も指で潰して、草履の様に足を突っ込んだ。

「うーん……まあ、さっきよりはマシだな。脱ぎやすいし」

 踵の部分を踏み潰すだけで、圧迫感は体感で半分ほどとなった。

 満足げに頷く凛太郎に、スピカはポツリと呟く。

「…………やっぱり、リンタローって変」

「やっぱりって、なんだ。やっぱりって」

「良いかい、リンタロー。普通は、靴を脱がないの。少なくとも、外を歩き回るなら、猶更ね」

「おう」

「それから、靴を履く時にはソックスを履く。ボクみたいにね」

「そっ……?その薄い足袋みたいなやつか?」

「そう。役割は色々とあるんだよ?足の保護として、靴擦れの防止とかね。靴の中は蒸れるからある程度の湿気取りも出来るし、今はニオイ消しの靴下とかもね」

「…………めんどくさっ」

「うん、会って一時間と経ってないけど、キミはそう言うと思ったよ」

 ベーッと舌を出した凛太郎に、スピカは笑った。

 そうして二人が交流を深める中で、競技会場のフィールドにも新入生たちが集まってくる。

 総勢二百名。もっとも、クラス分けなどが通達されていない彼らは烏合の衆と言わざるを得ない。

 コミュニケーション能力の高い者はちょっとした集団を形成し、そうでもない者、妙に気を張り詰めた者などは孤立状態。

 そして、

「――――ようこそ、若き才能達」

 魔女は降り立つ。

 煽情的な魔女だった。濃紫色のオフショルダーワンピースは、彼女の体型に合わせてその見た目を変え、豊かな胸部は僅かな身動ぎですらも揺れを見せる。

 頭にかぶる、服と同じ濃紫の先端が緩く折れたとんがり帽子。その大きな鍔の下には、燃える様な紅蓮のウェーブのかかった髪が伺えた。

 同性ですらも生唾を呑みそうな蠱惑さを湛える妖艶さを前に、しかし凛太郎は首を傾げる。

「…………誰だ?」

「やっぱり、知らないんだね」

 だと思ったよ、とスピカは肩をすくめて首を振った。

「アイフ・モリアン。このアールスノヴァ魔導学院の学院長で、現代における魔導士の最高到達点とも言われる最強の一角。世界に名の轟いた大魔導士さ」

「へぇー」

 僅かな熱を持ったスピカの説明を受けながら、凛太郎はジッと件の大魔女を眺めてみる。

 残念ながら、彼の異性に対する情緒の成長具合は限りなく低いと言わざるを得ない。十五歳となった今の今まで、接する他人と言うのは保護者代わりの老人だけだったのだから。

 その上で判断を下すとするなら、だろうか。

 そもそも、彼がアールスノヴァ魔導学院ここに来る羽目になったのは偏に入学許可証が届いたからに他ならない。

 ここまで来て恨み言を垂れ流す様な真似をするつもりはないが、それでもほんの少しだけ心の内側にしっくりとこないモヤモヤを抱えさせられていた。

 一人の少年が煮え切れない中、場面は動く。

「まずは、おめでとう、と言っておこうか。私は、このアールスノヴァ魔導学院の学院長をしている、アイフ・モリアン。色々と周りには言われているが……今は良いだろう。私自身、長話を好む所ではないのでね」

 言いながら、アイフ学院長の右手が虚空を掴む。

 すると、何も無かったはずの空間が僅かに揺らぎ、捕まれるのは一本の杖。先端が渦を巻くように大きく纏まり、逆に石突部分は鋭く尖った槍のよう。

 何より、その存在感。古木を用いたその杖は、ただそこにあるだけでも尋常ではない圧力とも引力とも重力ともいえる、独特な雰囲気を纏っていた。

 知らず、新入生たちの間で緊張感が流れ、固唾をのむ音が嫌に大きく響く。

「そう恐れる事はないさ。今から直接君たちを教室へと放り込むだけだ。抵抗は……まあ、意味がない、とだけ伝えておこう」

 言って、アイフ学院長は杖を持つ右手を少し持ち上げて、自分を見つめる新入生たちをなぞる様に左から右へとゆっくりと動かした。

 杖から零れる白銀の鱗粉の様なもの。

 それは、瞬く間に新入生たちのみならず、フィールド全域へと行き渡り、


 瞬間、彼らの視界は白へと染め上げられる。

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