第2話
突然の環境の変化。それは、周りは愚かその中心となっている者も置いて行かれる事が多々あった。
「…………動きにくいな」
黒のズボンに、白いシャツ。灰色の布地に、返し襟の部分が赤と黒と白のギンガムチェックとなったブレザーを羽織り、首から結んでいない赤いネクタイを下げた凛太郎は姿見の前に立って、眉根を寄せていた。
何度かその場で屈伸し、そして片足立ちになって浮かせた足を振ってみたりと色々やっているのだが、どうにもしっくりこないらしい。
あーだこーだとモゾモゾやっている凛太郎だが、不意に背後の襖が開かれ白髪の老人が入ってきた事で固まった。
「おう、馬子にも衣裳って奴だな」
「…………このズボンって奴、動きにくいぞ」
「カッカッカ!アイツと同じ事を言ってるな。だが、丈はピッタリだろう?」
「それは、まあ……何でだ?」
「その制服その物に魔法が掛かっているらしい。着る人間の丈に合わせて整えられて、尚且つ頑丈。余程の事が無ければ破れないぞ」
「慣れねぇなあ」
眉を顰めて、凛太郎は肩を回す。
入学許可証が届いて、数日のうちに幾つかの教科書とそれから制服、式典用らしい足元まで覆うフード付きのローブが届けられた。
凛太郎が気にしたのは、金銭面。
基本的に、彼と老人は山奥で自給自足の生活を送ってきた。金銭は、殆ど必要としない。
しかし老人曰く、学院は基本各国からの寄付金で成り立っているらしい。
場合によってはスラムや低所得層などが該当してしまい、入学許可証を届けられる事がある。
だが、今日を生きる事に必死な彼らに、学費やその他諸々の出費を強いればそれは命にかかわるというモノ。
そこで、各国からの寄付金だ。
凛太郎は知らない事だが、アールスノヴァ魔導学院と言うのは、世界的に有名。排出される人材も優秀で、各国は寄付金額でスカウトの優先権を得ることが出来、卒業時にヘッドハンティングを可能とするのだ。
とはいえ、気にする事が減っても凛太郎が、それじゃあ入学しよう!とはならない訳で。
「気乗りしねぇなあ」
頭を掻く。
今までの生活にだって、特段不平不満はない。少し不便な生活に見えるかもしれないが、しかし飢えた事はないし、風雨に晒されて夜闇に震えた事も無いのだから。
そんな彼の内心を拾い上げたのか、老人は少年の黒髪頭に手を置いてまぜっかえした。
「良いか、凛太郎。お前はもっと世界を広げるべきだ」
「………?」
「山も森も、駆け回ってもお前さんの世界は余りにも狭く、外の世界は広大だ。何も知らずに一生を終えるには――――余りにも勿体ないだろう?」
「それは…………」
言わんとする事は、分からないでもない。
しかし、人間というのは安定というモノをそう易々と手放すことが出来ない。周りからどれだけ変えろと言われても、変えた先に不安がある場合は動けないからだ。
だからこそ、老人は放り出す。
何故なら、こんな場所で燻っていていい様な人材ではないから。
「聞け、凛太郎。お前は、強い。だが同時に、その強さゆえに対人関係に臆病さがある。分かるか?」
「…………別に良いだろ。誰にも、迷惑かけてないんだからよ」
「だからこそ、世界を知れ。世界には、お前よりも強い者も必ずいる。何より、強さには幾つもの形がある。それを学んで来い」
言外に追い出すと言われた。少なくとも、凛太郎はそう受け取ったし。今までの付き合いから、老人は尻を蹴り飛ばしてでも家から追い出して、想定目標をクリアしなければまず間違いなく帰って来る事を許さないだろう。
そうして月日は巡る。日めくりカレンダーが進んで、秋が近づいてくるその日、蹴速凛太郎は運命の岐路に立つ。
*
アールスノヴァ魔導学院。そこは、地図に無い島に設立された世界屈指の魔導士育成の為の教育現場。
ここで、地図に無い島、と言うのは隠されているだとか、未発見未開の地であるだとか、そんな話ではない。
20000㎢の人口浮遊島。
これこそが、アールスノヴァ魔導学院の正体なのだから。
その始まりは、数千年以上前にまで遡る。
『戦乱続く世を嘆いた、八人の賢者が居た
彼らは、自分たちの叡智を秘匿するために巨大な島を浮かべ全てを隠す
多くの国が、為政者が、軍人が求めてもその門扉は固く閉ざされた
賢者の叡智が失われ、やがて世界は停滞する
歩みを止めた世界の中で、賢者たちは平和を叫ぶ
かくして戦禍は埋没し、世界は再び歩を進める』
以上が碑文として記され、現代にまで伝えられた昔話。
そして同時に、アールスノヴァ魔導学院という教育機関の始まりでもあった。
本来は、賢者たちが己の弟子たちに自分たちの技術、知識、そして魔導の全てを叩き込み、後世へと繋げる為の他者の受け入れだった。
だが、賢者たちもいかに優れた力を有しても不老不死ではない。その肉体は生命活動を終えれば、後は土の下。
そしてそうなると、自称弟子というモノが不特定多数で現れるのだ。この辺りは、人間の浅ましさというモノ。
その対策として組み上げられたのが、知恵の泉・ミーミル。
一学年に付き、二百人ジャスト。ドロップアウトして減る事はあっても、増える事は基本的にはあり得ない。
年数は、四年間。年度ごとにネクタイ並びにブレザーの返し襟のカラーが決められ、今年度の一年は赤、二年は黄、三年は青、四年は緑となる。
さあ、今年度も始まりの時だ
*
「…………魔法って、何でもありなんだな」
チラリと振り返って、凛太郎はため息を吐く。
彼の眼前に聳え立つのは、真っ赤な尖塔を天辺に乗せた、石造りの巨大な建造物。
もし仮に、一切の説明なく連れて来られて、コレは城です、と言われれば信じてしまいそうなほどに荘厳な、見上げるだけで首が痛くなる様な大きさ。
彼の背後では、今まさに白い縁取りが施された陽炎の揺らぎを凝縮したような楕円形の穴が消えようとしている所。
この穴こそが、ある意味で老人が引き留めなかった理由の一つでもあった。
世界を見て回ってほしいというのもあるが、この穴は入学許可証を受け取った者の所に自動的に開かれ、該当者以外は通れない仕様なのだ。もし仮に、通ろうとすればすり抜ける。
荷物の類も転移の際に振り分けられる寮部屋へと勝手に放り込まれており、便利なのか不便なのかいまいち分からない始末。
足を前へと進めながら、凛太郎は時折浮かせた足を振っていた。
奇行ではあるが、当人からすれば至極まじめ。
というのも、
「この靴ってのは、窮屈極まりないな……」
家では下駄履き或いは、素足で過ごす事が基本だった。
年がら年中その有様だ。足袋すら履かなかったのだから、足首から下をすっぽりと包む感触というモノには慣れない。
校舎へと入って暫くモゾモゾ収まりの悪い足をどうにかしようと歩きながら位置の調整を頑張ってみる。だが、どうにも上手くいかない。
「ぬぅ…………」
端へと寄って壁に左手を付けると、凛太郎は左足を軸に右足を持ち上げて靴を脱ぐ。
露になる素足。この男、靴下を履いていない。
踵の部分に指を引っ掻けて考える。
この黒いローファーも、制服と一緒に送られてきたモノだ。老人には、慣れるために履いておけと言われていたが、一度だけ履いた後はずっと放置してしまっていた。
結果が、今。言ってしまえば、自業自得の極みだった。
「下駄は……ああ、荷物の中か。いっその事、脱いじまうか?…………うん、ソレが良い、そうしよう」
もしもこの場に老人が居れば、拳骨の一発も貰っていた所だろう。しかし生憎と、この場には凛太郎の素行を止められる者はいない。
筈だった。
「――――何をしているの?」
それは、涼やかな声だった。少なくとも、声を掛けられた側である凛太郎は山の静かな沢に流れる清流を思い出したほどに。
顔を上げれば、廊下の中央よりやや凛太郎に近い位置に立った一人の少女が居た。
淡いオリオンブルーのショートカットには、天使の輪が浮かびよく手入れされている事が分かる。
赤のリボンタイを結んだ彼女は、困った様にそのアクアマリンの瞳を凛太郎へと向けていた。
「靴が合わなかった、訳じゃないんでしょう?」
「あ?あー……この靴ってのを履き慣れて無くて、な。いっそ脱いじまおうと思ってた所だ」
「履き慣れない……?」
そんな事があるのだろうか。声には出さなかったが、少女の反応はその内心をハッキリと示している。
しかし、凛太郎は気付かない。そもそも、他人との接触した数が少ない処か殆ど皆無であるのだから。
さっさと靴を脱いでしまい裸足となると、左手の人差し指と中指に踵の部分を引っ掛けて少女を一瞥する事無く歩き出してしまう。
変人だ。加えてこの学院では珍しい、黒髪黒目。当人のコミュニケーション能力の低さも相まって、このままではボッチ一直線だろう。
お節介焼きが居なければ。
「あ、待って待って」
「……?」
少女が小走りで後を追い、変人に並ぶ。
「キミも、新入生でしょ?ボクもそうなんだよ」
「…………で?」
「一緒に行こう。行き先は一緒だし、何というかキミは放っておくと迷いそうだからね」
「ぬ、お前も新入生なら、この中も良く知らねぇだろ?だったら、お前だって迷う可能性もあるじゃねぇか」
「そうかもね。因みに、キミは今からどこに行くか分かってる?」
「あ?そりゃあ…………どこだ?」
ペタペタと進んでいた足が止まり、凛太郎は首を傾げた。
実はこの男、校内案内図も兼ねた入学許可証を自分の荷物の中に放り込んでおり、結果手元に無い状態だった。因みに、許可証には肌身離さず持ち歩くように、と注意書きが書かれていたのだが、案の定彼は読んでいない。
出会って五分と経っていないものの、少女はこの黒髪の彼は変人である、と把握しつつあった。ついでに、結構抜けている、とも。
「ハァ……とりあえず、行こうか。あ、ボクの名前はスピカ。スピカ・ヴィルゴー、よろしく」
「蹴速凛太郎だ」
「け……?どっちが、名前?」
「凛太郎が名前だ…………そう言えば、
右手で顎を撫でながら、凛太郎はそんな事を宣う。
一方でスピカもまた、この新たなる知り合いの反応に内心で僅かに息を吐いていたりする。
声を掛けたのは、奇行が目立っていたから、だけではないのだ。彼女は彼女で、ちょっとした挑戦も兼ねた声掛けを行っていた。
結果は、僅かに安堵出来るもの。
例えこの時間が、薄氷の上にある脆い安堵だろうとも、それでも彼女は確かめずにはいられなかったのだから。
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