06-01



 五年後、成人式の日に、中学の同窓会が開かれた。


 俺は元バスケ部のキャプテンから同窓会の知らせを聞かされた。

 中学を卒業して同じ高校に進んでから、俺と彼は少しずつ話をするようになった。


 おまえはどうする、と彼は訊いてきた。行く、と俺は答えた。じゃあ、俺も行こう。彼はそう言った。


 クレハが死んだと聞かされたのはその同窓会の日だった。


 その夏、日付が変わる頃、海沿いの道を走っていたクレハの車は、ガードレールを突き破って海に落ちた。


 俺にそのことを教えてくれたのは、彼と同じ大学に進んだ女の子だった。名前ももう忘れてしまっていた。


「居眠り運転じゃないかって話だった」


「どうして?」


「ブレーキを踏んだ形跡がなかったんだって」


 本当のことなんて俺には分からない。でも、彼はきっと、起きていたってブレーキなんて踏まなかっただろう。





「ナツノ。はい、これ」


 ある日、白崎は放課後の教室で俺に声を掛けてきた。

 俺のすぐ隣には佐々木春香が鞄を持って立っていた。


 白崎が差し出していたのは小さめの紙袋だった。


「なに、これ?」と俺は訊ねた。


「メリークリスマス」と白崎は答えた。


「……早くない?」


「アンド・ハッピーバレンタイン」


「……早いよね?」


「夏海と一緒に作ったんだよ」


「……」


「上手く膨らんだからさ」


「きみが何を考えているのか、よくわからない」


 白崎は考え込むように唸り声をあげてから、答えてくれた。


「ご褒美」


「なんの?」


「今日までの」


 彼女の言い方は曖昧で、よく分からなくて、どうでもよさそうだった。いつもそうだ。

 白崎は紙袋を俺に押し付けると、「それじゃ」と短く笑って背を向けた。


 その背中に俺は声を掛けた。


「白崎」


「なに?」と彼女は肩越しに振り返った。


「誕生日、おめでとう」


「……ありがとう」





 白崎は俺にお菓子を渡して、「ハッピーバレンタイン」だなんて言って、しかも下の名前を呼んだ。

 

 おかげで佐々木春香は説明を求めるような不機嫌そうな顔を向けてきた。


 そういう反応は少し意外だった。

 何かしら反応があるにしても、彼女はどうでもよさそうな顔をするか、そうでなければ不安そうにするものだと思っていた。


 そんな微妙な変化が、十二月の上旬というごく短い期間から起こり始めていた。


「もうすぐ休みだな」なんてことを言って話をごまかそうとしてみたけれど、彼女は簡単には乗っかってくれなかった。

 俺たちは毎日のように一緒に帰るようになっていた。


「食べる?」と俺は訊ねた。避けては通れないと思った。

 帰り道の途中の児童公園のベンチで、俺たちは白崎の紙袋を開けた。


「手紙とか、入ってないよね?」と、佐々木はやけに気にしていた。


 小さめのシュークリームが四つ入っていた。

 俺たちは半分ずつ分けた。


「何もかもが上手くいくような気がする」と佐々木はシュークリームを食べながら言った。

 俺たちは公園の隅にあった自販機で暖かい飲み物を買ってから、ふたたび手を繋いで歩き始めた。





「もし願い事が叶うなら、何を願う?」


 帰り道の途中、彼女はそう訊ねてきた。


「……すぐには思いつかない」


「なんでもいいんだよ」


「そっちは?」


 彼女は少し考え込んだ様子だった。


 手を繋いで一緒に帰るようになってから、彼女はときどき子供っぽい一面を見せるようになった。

 そのときもそうだった。夢でも見ているみたいな顔をしていた。


「内緒」


 と彼女は笑った。俺は彼女の考えが分かったような気がして、少し怖くなった。

 

「それで、夏野は?」と彼女は俺を呼び捨てにした。


「お金がほしいな」と俺は言った。


「情緒がないよ」と彼女は不満げに溜め息をついた。


「ちなみに、どのくらい欲しいの?」彼女はそう訊ねてきた。


「心配事がなくなるくらい」俺はすごく真剣に答えた。

 彼女はピンとこないような顔をしていた。





 夜空を飛ぶ夢を見るようになった。

 もはや猫は近くにはいなかった。

 

 遠くに星の輝きが見えるだけで、景色は真っ暗だ。空と海は黒く、空気はひどく冷たい。

 

 近くを誰かが飛んでいく気配がする。すぐに離れていってしまう。その繰り返し。

 ひどく孤独で、誰でもいいから近くにいてほしいと俺は願った。“誰でもいいから。”


 そして誰かが俺の手のひらを掴んだ。俺はとっさに跳ね返そうとした。

 けれど、その誰かは思いのほか強い力で俺の手のひらを掴んでいた。

 

 その人と俺はバランスを崩して墜落しそうになった。俺たちはなんとかバランスをとろうとした。

 けれど、結局その努力は無駄だった。風は強かったし、俺は飛ぶのが上手くなかった。 


 その人は必死に俺の手を掴んでいてくれた。俺はその手に必死に応えようとした。

 けれど、やがては離れてしまった。落ちないためには離れるしかなかった。


 離れて遠ざかってしまった手のひらのことを、俺は飛びながらいつまでも考え続けた。

 もう一度あの手を握ることがあったなら、今度はもっと上手くやってみせるのに、と。

 だから、もう一度、あの手を握ることがありますように、と、今度はそう祈った。


 祈りは大概の場合無意味だけれど、それでも祈らずにはいられないときもある。

 祈らずにはいられないこともある。


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