05-01



「どうだった?」


 翌日、白崎は放課後の屋上にやってきて、俺にそう訊ねた。


「なにが?」


「わたしの家」


「……どうって?」


「おかしくなかった?」


 彼女の質問の意味はよく分からなかった。


「べつに。どうして?」


「上手くできてた?」


 その問いに、俺はどう答えればいいのか分からなかった。





 俺は白崎に、俺の名前について両親が何かを言っていなかったか、と訊ねた。

 何も言っていなかった、と白崎は答えた。きっとそうなのだろう。


「ときどきすごく寂しくなるんだよね」


 彼女がそんなことを言うと、横で煙草を吸っていたクレハは鼻で笑って、からかうみたいに言葉を返した。


「そうだろうね」


「どうしてだろう?」


 白崎のシンプルな設問。クレハは何も答えなかった。仕方なく俺が口を開いた。


「誰にも分からないよ」


「誰のせい?」


「おまえのせいだよ」とクレハは笑った。


「わたしのせいじゃない」と白崎は首を振った。





「夏野」


 不意に、クレハが俺の名前を呼んだ。

 彼は少し真剣な表情で、俺に質問をぶつけてきた。


「おまえさ、佐々木春香はいいのか?」


「いいって?」


「最近、話してないみたいだから」


「……」


「好きなんだろ?」


「まあね」


「後悔するぞ」


「知ってるよ。というか、もうしてるよ」



 


「夢を見たことがある?」


 ためしにそう訊ねてみると、二人は変な顔で俺を見て、くすくすと笑い始めた。

 クレハは笑いがおさめてから聞きかえしてきた。


「どっちの?」


「眠ってるときの」


「まあ、そうだろうな」


 クレハは携帯灰皿を取り出して煙草の火を消した。

 それからちょっと真面目な顔になって俺の質問に答えてくれた。


「しばらく夢なんて見てないな」


「わたしも」


 白崎も、追いかけるみたいにそう呟いた。


「近頃夢を見るんだよ」


「どんな?」


「猫と崖の夢」


 クレハは無言のまま続きを促した。


「猫は俺に飛べって言うんだ。人はみんな空を飛んでるんだよ」


「荒唐無稽だな」


「うん。俺も飛ばなきゃいけないんだ。本当は。でも飛べずにいるんだよ」


「どうして?」


 俺は少し考えた。うまく言葉にできる自信がなかった。

 けれど、なんとなく、それを言葉にしないといけないだろうことは、分かっていた。





「つまり俺は、飛んでる奴が憎いんだよ。憎くて憎くてたまらない。怖さも何もなく、見下ろしてる自覚もなく、飛んでるような奴らが大嫌いなんだ。そういう奴らはこの世から全員いなくなったっていいって思ってるんだ。無神経に誰かを踏みつけにして、飛ばない奴らを無意識に見下して、飛ぶのが当然みたいな顔をして……そういう奴が大嫌いなんだ。そんな奴の仲間になるなんて絶対に嫌なんだよ。彼らもきっとそうだと思うけど」





「孤独について考えたことはある?」

 

 白崎は不意に口を開いた。彼女はいつも唐突だ。 

 ここに来るのだって。話をするのだって。


 それにしても、"孤独"というのはずいぶんあからさまな言葉だ。


「つまり、わたしが思うに、孤独というのには二種類あるんだよね」


 クレハは興味深そうに笑った。


「外面的な孤独と、内面的な孤独」


「そのまんまだな。どう違う?」


「外面的な孤独っていうのは、結局、周囲からの孤立、みたいな感じでさ。友達がいないとか、そういう形」


「もうひとつは?」


「『友達がいても孤独』ってこと」


 友達がいても孤独。仲間がいても孤独。家族がいても孤独。

 

「普通だな」


「そう、普通なんだよね」


 白崎はそれでも言葉を続けた。


「つまりね、外面的な孤独って言うのは、友達さえ作れてしまえば解消されるわけでしょ? でも内面的な孤独っていうのは、解消のしようがないんだよ」


「それで?」


「それで、内面的な孤独っていうのは、性質化するんだよ。わたしが思うに」


「……どういう意味?」


「孤独が人格のひとつとして定着するの。状況ではなく、状態になるの。そうするとその人は、近くにいてくれる誰かより、孤独という状態に愛着を覚えるんだよ。自分が孤独であるということに親密さを覚えるの」


「なるほどね」とクレハは言った。

 俺はただぼんやりと話を聞き流していた。白崎はどうでもよさそうに続けた。


「そういうのって、結局さ、本人が納得しちゃえば、なんでもない問題なのかもしれないよね」


「それでもときどき寂しくなるんだろ?」


 クレハが皮肉っぽく笑うと、「たぶんね」と白崎は俯いた。

 話はそこで途切れた。冬の風は冷たい。痛いくらい。


「飛んでる奴が憎い」


 俺はそう言ってみた。ふたりは笑った。


「分かってるんだよ。俺はいいかげん空を飛ぶべきなんだ。そうしないことには生きていけないんだ。どうせ。分かってるんだ。そうした方が幸せになれるし、日々をもっと楽しめる。肩の力を抜いて。そんなの分かってる。でも、憎いんだよ。空を飛んでる奴が。腹が立つんだ。それでも……」


「それでも?」


 訊き返してきたのは白崎だった。


「それでも飛ぶしかないんだよ」


「飛ばないことだってできるさ」とクレハは笑った。


「ヘンリー・ダーガーみたいに?」と俺は訊ねた。彼は怪訝そうに眉を寄せた。俺は頭を振った。




「どうしてこんなことになったんだろうな」


 クレハは不意にそんなことを言った。俺も白崎も答えなかった。答えがあるならこっちが聞きたいくらいだった。


「誰のせいなんだ?」とクレハは呟いた。


「おまえのせいだよ」と俺は答えた。


「俺のせいじゃない」とクレハは言い、ポケットから煙草を取り出して苛立たしげに火をつけた。


「俺のせいじゃない」と煙を吐きながら彼は繰り返す。


 じゃあ誰のせいなんだ?


「佐々木春香のことが好きなんだよ」と、俺はためしに言ってみた。


「知ってるよ」とクレハは答えた。「うん」と白崎も頷いた。


「どう思う?」と俺は続けて訊ねた。クレハは詩を諳んじるような調子で答えてくれた。


「みんながみんな思う通りに生きられるなら、誰も自分から死のうだなんて思わないよ」


 まともに生きていくには、嫌なものが多すぎる。

 シマウマ、喋る猫、飛ぶ人間、大型のテレビ、暖かい食卓、クラスメイトの会話。



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