03-04


 そのような逡巡の日々が続いて十二月がやってきた。

 時間の流れというのはミクロな視点からはすごく遅く感じるのに、マクロな視点からはすごく早く感じる。


 一日をこんなに長く感じるのに。

 一月はあっというまだ。


 ある土曜、俺は気晴らしに買い物をするつもりで街に出た。そういうことをするのは久し振りだった。

 土日や祝日は、だいたいの場合家の中で過ごすし、そうしていると出掛ける機会はそうそう訪れない。

 

 けれど街の中に出てきてから、ようやく、特に買いたいものがないことを思い出した。


 本屋とレンタルショップというのが俺の発想力の限界だった。

 けれど今は読みたいものも観たいものもない。仮にあったとしても、今は読めないし観れない。


 それでも街に出た以上、何もしないわけにはいかない。


 俺は田舎によくあるショッピングモールを訪れた。

 手持無沙汰な人間が気まぐれに行ったとしても何かしら見るものがある。

 そういう意味では雑多なテナントや催事場のイベントは都合がよかった。


 休日の人ごみを掻き分けて歩く。

 

 家族連れ。

 若い男女。

 小さな子供を連れた老夫婦。

 忙しなく動き回る店員。

 私服姿の学生たち。


 わけもなく息が詰まる。

 自分の身体がからっぽになってしまったような感覚があった。 

 歩いても足の裏の感触がなかった。


 あちこちに目をさまよわせ、さまざまなものを目にした。

 通りのスペースに置かれた新古車。

 サンタやトナカイの置物。配られるポケットティッシュ。


 でも俺は本当は何も見ていなかった。佐々木のことを考えていた。

 佐々木がこの店に来ているのではないか、と想像した。

 そして都合よく話す機会が降りてくることを妄想した。

 

 けれど祈りは大概の場合無意味だ。





「ひとり?」


 と後ろから声を掛けられた。ベンチで休んでいるときだった。

 俺は状況を掴むのに苦労した。誰かが俺に話しかけるわけがない、と俺は思った。

 でも声は明らかに俺を呼んでいた。近くから。俺以外を呼んでいるとはちょっと考えにくい近さから。


 だから俺は振り返った。本当は振り返るべきではなかった。振り返る以外に手段がなかったとしても。

 そういう状況がときどきある。


 振り返った先に居たのは白崎だった。

 あたたかそうなマフラーで顔の下半分が隠れていたので、最初、それが誰なのか分からなかった。

 それに、私服の彩りも、普段の白崎の印象とは違っていた。

 

 普段はどことなく暗そうな印象があるのに、私服は淡く明るい色をしていた。

 素っ気なくもない。よく似合っている。彼女にも似合う服というものがある。当たり前だけど。


 問題は彼女の傍にもう一人立っていたことだ。


 俺は返事もせずにその少女に視線を向けた。ちょっと不躾だったが、この場合は彼女の方が配慮に欠けていると思う。

 彼女にはたしかにそういうところもあった。人の事情を斟酌しないところが。





「そっちは一人じゃないみたいだね」


 と俺はやっとの思いで答えた。白崎は口元を隠したまま頷いた。


「妹」


 その答えは半ば予想できたものだった。少女は彼女の腰のあたりに手をあてて体半分を隠していた。

 こっちを見ようとしなかった。

 

「こんにちは」と俺は言ってみた。答えたのは白崎だけだった。


「こんにちは」


 それは奇妙なやりとりだった。


「二人?」と今度は俺が訊ねた。


「ううん。家族と」


「正直に言っていい?」


「なに?」


「きみが何をしたいのか、さっぱり分からない」


 白崎はしばらく押し黙った。白崎の妹も黙ったままだった。

 人ごみの流れ。足音と声がうるさくて、近くに居ても小さな声なら聞き逃してしまいそうなくらいだ。 


「そんなの、わたしにもわからないけど」


「それはきみの勝手だけど、どうして俺を混乱させようとするの?」


「混乱した?」


「そうは見えなかった?」


「見えなかったけど、まあそうかもね」


 白崎はどうでもよさそうだった。実際にどうでもいいと思っているのかどうかは分からない。

 内面と外面は異なる性質を持ちうる。


 だから俺は、見た目の態度や言葉で人を判断することを避けようとしている。いつも。

 自分がそうされたくないから。


 でも、そのときの白崎の態度は、無理だった。


「バカにしてるの?」


 怒鳴りそうになるのを堪えると、余計に声が震えた。その震えが返って俺の動揺を強く伝えてしまった気がする。


「バカになんてしてない」


 白崎は平然と答えたけれど、彼女の妹は怯えたような顔でどこかに走り去ってしまった。


「うちの父親はね」と白崎は言った。


「夏海が生まれたときに、煙草をやめたんだ」


「……なに、急に」


「分かる?」


 もちろん分からなかった。結局それから、俺たちは特に意味のない沈黙を重ねただけだった。


「じゃあね」と白崎は最後に手を振った。どうでもよさそうに。俺は頷きだけを返した。

 他に何も言える気がしなかった。


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