03-01
佐々木春香と俺はクラスメイトだった。
だから俺たちは顔を合わせていないわけではなかった。
ある朝、俺はためしに教室で佐々木に向けて「おはよう」と声を掛けてみた。
佐々木が屋上に来なくなってから一週間くらい経った頃のことだ。
佐々木は当たり前のように返してきた。「おはよう」と。
俺たちは今まで、教室では一度も声を掛けあったことがなかった。
俺と彼女が話すのはいつだって屋上だった。屋上以外ではありえなかった。
俺たちの中で、屋上という場所は――あるいは状況は――それほど大きな意味を持っていた。
そして彼女は屋上に現れなくなった。そこに何の意味もないわけがなかった。
◇
「なにかあったの?」
ある水曜、白崎美雪が放課後の図書室でそう訊ねてきたとき、俺はとても戸惑った。
彼女はいつものようにどうでもよさそうな態度だった。それだけに違和感を持った。
「何の話?」
何の話なのか分からなかったから、当然俺はまずそう問い返した。
「佐々木さんとさ」
俺の心臓はどきりと跳ねた。ちょっと嫌な感じの跳ね方だった。
「なぜ?」
「様子が変だったから」
「俺の?」
「うん。まあ、そう」
「質問なんだけど」
「なに?」
彼女はそのとき「愛のゆくえ」を読んでいた。彼女はいつもブローティガンばかり読んでいる気がする。
「俺の様子がおかしいことと、佐々木が関係しているなんて、どうしてそう思った?」
「仲良かったでしょ?」
俺は答えに窮した。
佐々木と俺の関係は、誰にも知られていない、と思っていたわけではない。
毎日のように会っていたのだから、気付く人間がいてもおかしくはない。そう思ってはいた。
でも、それを白崎が知っているというのは、少しどころではなく、かなり意外だった。
だって彼女は、他人に興味がなさそうに見えるから。
「べつに、言いたくないなら無理には訊かないけど」
俺の沈黙を誤解したのか、彼女は質問を取り下げた。
白崎がそういう態度をとるのは、俺からするとかなり意外だった。
他人のことなんてどうでもよさそうに見える。興味なんてなさそうに見える。
だから、そういう質問をしてきたことも、こっちの態度を見てそれを取り下げたことも、すごく意外だった。
他人が何を考えているかなんて、分かる奴はいない。
「そんなに目に見えて様子が変だった?」
俺はそう訊ねてみた。白崎は首を小さく横に振った。
「べつに普通かな」
「……さっき様子が変だったって言ってなかった?」
「様子が変なのは、ふたりとも。どっちも一人でいるときは、普段通りだけど……」
ふたりとももなにも、俺たちふたりは屋上以外じゃろくに話もしていない。
「目が合ってた」と白崎は言った。
「どういう意味?」
「そのままの意味。普段はふたりとも、互いに視界に入らないように意識してたみたいだから」
俺はその言葉に少し戸惑った。白崎は相変わらずどうでもよさそうな口調だった。
「よく見てるね」
「まあ、わりとね。でも最近、視線がぶつかるようになった。わたし以外は気付かなかっただろうけど」
「どういう意味?」
「そのままの意味」
俺はそれ以上質問を続けるのをやめた。
放課後の図書室は静かだった。俺たち以外には誰もいない。
彼女は少し考え込むような間を置いてから、いつものどうでもよさそうな顔で話を始めた。
「わたしの家族構成、知ってる?」
「え?」
「家族構成」
「知らない。もちろん」
「父と母は健在。母方の祖父母と同居。きょうだいは妹が一人。妹はいま小学五年生」
「……それが?」
「どう思う?」
「どうって?」
「純粋な感想として」
「……べつに、どうとも」
「うん。かもね」
彼女ははぐらかすみたいに首を傾げた。俺には彼女が何を言いたいのか分からなかった。
「わたしと妹は、父親が違うんだよ。両親は再婚で、わたしは母親の連れ子だった。物心つく前の話だけど」
「……それで?」
「それで――」
彼女は何かを言いかけたけれど、結局口には出さなかった。
「どうして俺にそんな話を聞かせるんだ?」
「聞きたい? ほんとうに?」
その言い方は、少し奇妙だった。
まるで、彼女のしている話が、俺に関係あるみたいな言い方。
「わたしはそのことをずっと前から知ってたし、だから結構前から、きみのことを気に掛けてたんだ」
冷汗が滲み出るのを感じた。嫌な予感があった。
彼女はどうでもよさそうに口を開いた。
けれど、俺にだっていいかげん分かっていた。
そう見えるだけで、彼女はいつも真剣に話をしている。
「つまり、こんなこと、わたしが言っていいのかわからないけど……」
「――待ってくれ」
遮ると、彼女の表情は少しこわばった。その変化が俺にはちゃんと分かった。
分かろうと思えば分かるものなのだ。
「なに?」
「……きみはきっと人違いをしているんだと思う」
俺の言葉に、白崎は少し考え込んだみたいに見えた。
それから、特にどうということもなさそうな、いつもの無表情で、
「うん。そうかもね」
ささやくように呟いて、頷いた。
「質問してもいい?」
俺が訊ねると、白崎は意外そうに目を開いた。
「なに?」
「きみの妹の話だけど」
「うん」
「……べつに、意味のない質問なんだけど」
「なに?」
「名前は、なんていうの?」
「きっと笑うよ」
「どうして?」
「安易だから。わたしの名前もそうだけど」
心臓がいつになくうるさかった。頭の中には、答えを訊くことに強い抵抗感があった。
それでもどうしても知りたかった。知ったところでどうなるということでもないけれど。
「夏の海って書いて、なつみ。夏生まれだから」
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