02-03


「さっき、ここに誰かいなかった?」


 屋上にやってきてすぐ、佐々木は俺にそう訊ねてきた。


「いたよ」と俺は答えた。


「やっぱり」


「すれ違った?」


「うん。同じクラスの人だよね?」


「たしかそうだね」


「ちょっと変わった雰囲気だよね」


「……どっちの話?」


「どっちって?」

 

「だから……」


 と俺は話しを続けようとしたが、自分が何を言いたいのか、よく分からなかった。

 それに、よくよく考えてみれば、話を訊くまでもなく、彼女がどちらについて言っているのかは分かった。


 同じクラスだったのか、と俺は思った。見覚えはなかった。

 いったい彼は誰だったんだろう?





「明日……」


 佐々木はいつものような口調で言った。今日は楽しそうだった。それは分かった。


「ああ」


「わたしの家、知ってるよね?」


 彼女は契約を実現させるために、現実的な要素を洗いざらい確認してきた。

 場所。時間。順序。現実的要因。


「ねえ、悪いんだけど」


「……なに?」


 俺の声に、彼女の顔は強張った。ささやかな動揺。

 彼女は緊張していた。


「明日と明後日は、ちょっと外せない用事があったんだ。すっかり忘れてた」


「どんな用事?」


 普段の彼女なら、そんなことは絶対に訊いてこなかった。


「少しね」


 と俺は答えた。彼女は傷ついたような顔をしていた。


「言えない?」


「そういうわけじゃない」


「じゃあ聞きたい」


 彼女の表情は、やっぱりどこか縋るようだった。

 彼女は俺のことを誤解している。


「最近気になっていたんだけど、きみは近頃おかしいような気がする」


 俺が言うと、彼女は怪訝げに眉をひそめ、それから俯いた。


「どんなふうに、おかしい?」


「きみは俺のことを起き上がりこぶしか何かと勘違いしていると思っていたんだ」


 彼女は顔をあげた。


「起き上がりこぶし?」


「起き上がりこぶし」


「“こぼし”じゃない?」


「……それに関してはともかく」


「“こぼし”だよね。小法師って字から転じたって聞いたことある」


 彼女は実際に地面を人差し指でなぞって字を書いた。説得力のある説だ。


「“こぼうし”から“こぼし”になったのが認められるなら、“こぼし”が“こぶし”になって何が悪いんだ」


「発言者の体裁」


 彼女は笑った。その答えは適切だった。笑い声が引っ込むと、彼女はもう一度俯いた。


「そんなふうに思ったこと、ないよ」


 彼女の声は寂しげに聞こえた。焦りがじわじわと広がってくる。

 話を続けないといけない。今すぐ。曖昧なまま終わらせるわけにはいかなかった。


「とにかく明日は用事ができたんだ」


「分かった」


 今度は聞き分けが良かった。俺はすぐに後悔したが、取り消すつもりはなかった。


「じゃあ、機会があったら」


「うん。機会があったら」


「きみは否定するだろうけど」、と彼女は俯いたまま言った。


「わたしたちはやっぱりよく似ている」


「否定したことはないと思うけど」


「そういうのが分からないほど、自分じゃ無神経じゃないつもり」


 たしかに彼女は無神経な人間ではない。そして、無責任な人間でもない。

 そういう人間には、この世は生き辛い。たぶん。そうじゃない人間にも生き辛いけれど。


「ねえ、もし、観たくなったら言ってね」


「……」


「わたしはいつもすごく真剣なんだよ。でも、なんでかな。そう聞こえないみたいなんだよね」


「どういう意味?」


「冗談だと思われるの。いつも。本心を話しても。どうしてかは知らないけど」


 たしかに彼女の言葉は冗談みたいに聞こえた。からかってるみたいに聞こえた。

 けれど、それが“本当に”本心なのか、分からない。たしかめる術がないのだ。


「そういうの、きみなら分かってくれるような気がする」


「似ているから?」


「きみがうそつきだから」


 彼女は正直者で、うそつきだと思われている。俺はうそつきで、正直者だと思われている。

 彼女が正直であることを俺は知っていて、俺がうそつきであることを彼女は知っている。

 アウトロー。


 たしかに、と俺は思った。

「どうかな」と俺は言った。

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