01-07
俺は帰宅部だけれど、委員会には所属していた。
クラスの図書委員は、俺と白崎美雪のふたりだった。後期前期ともに。
図書委員は週に一度の当番の日が決まっている。
こういうのは週ごとで担当を変えた方が効率がいいと思うのだけれど、そのあたりのことはよく分からない。
とにかく俺と白崎は、毎週水曜の朝、昼休み、放課後に、必ず図書室を訪れる。
そして貸出カウンターの内側に座って薄暗い図書室の中でまどろむ。
実にさまざまな人間が図書室を訪れ、そして本を借りていく。
最近じゃ本の貸し出しの管理なんかはコンピュータでするところもあるらしい。
でもうちの学校じゃ、今でも古くさい貸出カードを使っていた。
利用者の名前と貸し出しの日付を記入し、貸出の際に図書委員が預かる。
本が返却されたら返却日を記入し、カードを本に入れ直す。
やることは同じだ。機械がやるか人がやるかの違いだけしかない。
◇
白崎美雪について誰かに説明するのは難しい。
容姿に優れ、しかも何かと噂の的となりやすい佐々木とは違い、白崎には話題性というものがなかった。
白崎は図書委員だったから、当番の日には必ずと言っていいほどカウンターに姿を見せる。
けれど彼女は、仕事をろくにしなかった。できないというのとは違う。しないのだ。
カウンターに生徒が本を持ってくる。受け取るのは俺だ。貸出カードの項目を記入する。
カードを預かり、返却期限を告げ、本を渡す。
「忘れないように」と俺は言う。
「どうも」と本を受け取った誰かは言う。
白崎は黙って「芝生の復讐」を読んでいる。
白崎はそういう奴だった。もちろん俺は寛大だから委員会の仕事に積極的じゃないことくらいじゃ怒らない。
でも、それだったら別に俺ひとりでやらせてくれてもいいのに、と思う。
貸出カウンターのスペースが無駄になるだけだから、仕事をしなくても困りはしない。
それでも彼女は毎週水曜、朝も昼も夕方も、いつも図書室に現れる。
たぶん真面目だからってわけでもないだろう。
顧問に呼び出されて資料の片付けを頼まれたときには彼女も顔を見せなかったんだから。
◇
「先週の資料整理」
俺と佐々木春香が屋上で出会った次の週の水曜日、白崎は朝の図書室でそう声を掛けてきた。
「一人でやったんだって?」
俺は少し戸惑った。俺と白崎は、何の因縁か知らないが、入学以来ずっと同じクラスに所属していた。
にも関わらず、俺と彼女はそのとき初めて言葉を交わしたのだ。
図書委員が決まったときにだって、「よろしく」「こちらこそ」なんておさだまりの会話すらしなかった。
「ああ、うん」
「ごめんね。用事があったから。手伝えたらよかったんだけど」
少し怪訝に思いながらも俺は頷き、
「べつに平気だよ。たいした量じゃなかったから」
と控えめに言った。内心で「今更なんだよ」と思いながら。実にアウトローだ。
本当なら文句のひとつでも言っていたところだったが、その頃の俺は屋上に気をとられていて他のことに気を回す余裕がなかった。
白崎のことも、資料整理のことも、どうでもよかった。
「本当は、資料整理、手伝うつもりだったんだよ」
どうでもよさそうな声で、白崎は言った。朝の図書室には誰もいなかった。
俺たちは貸出カウンターの中でパイプ椅子に座って、広々としていて寒々しい校舎の中にとどまっていた。
「急に用事ができたんだ」
「どんな?」
訊いてほしかったのかと思って訊ねたけれど、彼女は困ったように眉を寄せただけだった。
訊いてほしいわけじゃなかったらしい。
「でも、ごめんね。ひとりでやらせちゃってさ」
白崎はどうでもよさそうに続けた。彼女の言葉はなんだかすべてがどうでもよさそうな響きを伴っていた。
ひょっとしたら白崎本人はどうでもいいだなんて思っていなかったのかもしれない。
彼女の声には、聴く者にどうでもよさそうだなあと感じさせる何かがあるだけなのかもしれない。
本人の気持ちとは無関係に、そう聞こえてしまうのかもしれない。俺は想像の中で白崎を憐れんだ。
「今度、お詫びするよ」
「お詫び?」
俺は少し驚いて繰り返した。
「なに、お詫びって、いきなり」
「申し訳ないなあっていう気持ち」
「いいよべつに。きみからお詫びなんて受け取ったら、俺は図書委員全員からお詫びを徴収しなきゃいけなくなる」
彼女は少し笑った。その笑みもどこかどうでもよさそうな笑みだった。
どうでもよさそうな。投げやりな。そう見えただけかもしれない。
「最近お菓子作りに凝っててさ、シュークリーム作ってるの。でもなかなかうまく膨らまないんだよね。
焼き上がる前まではいけるかもって思っても、いざ完成ってなると萎んじゃうの。たぶん分量か時間が違ってるんだろうね。
今度もってくるよ。ちゃんと膨らんだら」
彼女はやっぱりどうでもよさそうだった。俺と目も合わせなかった。
「いいってべつに」
俺は一瞬だけ、同じ委員会の女の子からお菓子を受け取るというシチュエーションについて思いを巡らせた。
でも一瞬だけだった。頭は義理立てするみたいにその想像をかき消して、屋上の方へと傾いていった。
その日以降、白崎が俺に話しかけてきたことはない。
シュークリームも学校に持ってきてはいない。たぶんまだうまく膨らまないんだろう。
◇
水曜日の放課後、貸出カウンターの中にいると、俺はいつも佐々木のことを考える。
俺は水曜の放課後、屋上で何が起こっているかを知らない。
未知というのは可能性だ。そこにはありとあらゆる可能性が詰まっている。
水曜の放課後、佐々木は何をしているんだろう。いつもそう考える。
彼女は屋上にいるかもしれない。いないかもしれない。
いるとして、彼女は何をしているんだろう。誰もいない屋上で、ひとりで音楽を聴いているんだろうか。
それとも水曜の放課後には、俺以外の誰かが彼女の隣に座っているんだろうか。
それはありえないこととは言い切れなかった。
ひょっとしたらそれは女かもしれないし、男かもしれない。
男だったとして、その相手は、あるいは俺よりも佐々木と親密な関係にあるかもしれない。
普段ならそんなことは考えない。でも図書室にいるとそんなことを考える。いつも。
俺の体からは、徐々に力が抜けていく。ちょうど煙草を吸っているときのように。頭がぼんやりとしてくる。
「仕方ない」、と俺は思う。「仮にそうだったとしても、俺には何もできない」と。
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