01-04


 佐々木と俺が屋上で話をするようになったのは、今年の春のことだった。

 

 その頃の俺はアウトローでアナーキーだった。精神的に。 

 学ランの第一ボタンをしっかり締め、授業もサボらず、寄り道もしない。それが俺なりのアウトローだった。


 教師にはおべっかを使い、委員会の話し合いでは積極的に意見を提出するアナーキーさ。

 そして内心では苛立っていた。教師にも同級生にも後輩にも。あと世界とかそこらへんのなんやかんやにも。


 社会的態度と内面的な性質は必ずしも一致しない。

 精神的アウトローこそが二十一世紀においてはトレンディーだ。俺はそう考えていた。


 その日俺は、委員会で不要になった資料を段ボールに突っ込んで運んでいた。

 何をそんなに考えることがあるのかというくらい大量の資料だった。


 こんなものを後生大事にとっておいてどうするんだろう。

 そんなふうに考えながら、俺はひたすらに段ボールを抱えて廊下を歩いた。


 ひとりで。


 他の委員はバックれた。委員会の顧問は押し付けがましい笑顔で「お願いね」と言った。

 たとえばこれが俺ではなく、バスケ部のキャプテンだったなら、「他の人がいるときにしようか」と顧問は言ったはずだ。

 

 でも俺はバスケ部のキャプテンではなかったし、教師にすら舐められていた。


「お願いね」とにっこり笑う顧問の表情。たぶん彼は自分の無神経さに自覚を持たずにいた。


 内面的アウトローである俺は「わかりました! 頑張ります!」とおどけてみせた。

 実際たいした作業ではないのだ。時間はかかるが、疲れるようなことでもない。

 

 ひとりで廊下を行ったり来たり。

 

 気分はすっかりやさぐれていたけれど、顔には出ないように努めた。

 それが俺なりのアウトローだった。世界と相対する為に習得した処世術。


 そういう生活もちょっとガタが来ていた。

 とっさのアクシデントに対応できなくなった。巧くできるはずのことができなくなりつつあった。


 風邪でも引いてたのかもしれない。あるいは花粉症だったのかもしれない。

 とにかく洟がひどくて、おまけに頭がぼんやりしていた。


 何往復かをしているうちに、頭は余計なことを考え始めた。

 俺は十五秒ごとに世界を呪った。憎しみで人を殺せたらと冗談交じりに考えた。

 

 そして転んだ。

 段ボールを抱えたまま。廊下の床に顎を打ち付け、資料は散らかり、足を妙な方向に捻った。  

 

 ちょうど俺が向かっていた方向から歩いてきた二人組の女子が、俺の転倒を見て笑った。

 近付いてきて、「大丈夫?」と笑ったまま訊ねてきた。「すごい音したよ」


「大丈夫」と俺は答えた。愛想笑いを浮かべながら、相手の目を見ないようにして。

 顔は羞恥で真っ赤にそまっていた。たぶん。


 俺は荷物を抱え直して廊下をまた歩き始めた。

 すれ違いざま、二人組は茶化すように「がんばれ」と笑った。俺も笑った。


 資料の片付けを終えて職員室に行くと、顧問は苛立たしげな様子でどこかに電話をしていた。

 彼は俺に気が付くと、「終わったの?」とどうでもよさそうに言った。

 

「はい」と頷くと、「そう。じゃあもう帰っていいよ」と彼は困ったような顔をした。

 労いの言葉もなかった。べつにほしくもなかったけど。


 職員室を出たあと教室に戻ると、何人かの同級生たちが話をしていた。

 俺が教室に入ったときにも、彼らはちらりとこちらを見ただけで、声も掛けてこなかった。

 話したこともないんだから当たり前だけど。


 俺は荷物を持って教室を出た。

 捻った足が痛くて、俺は身体を微妙に傾けながら歩いた。傍からはひどく不格好に見えたことだろう。


 すぐには帰りたくなかった。とにかく誰かと何かを共有したくてたまらなかった。

 なんだってかまわないのだ。じゃんけんでもいいし、しりとりでもいい。誰かと何かをしたかった。


 でも、そんなことをしてくれる相手は俺にはいない。

 

 仕方ないのでどこかに行こう、と思った。そして、その場所にこの気持ちを置いていこう、と考えた。

 割り切れないものを物質的にとらえてどうにか割り切ろうとする自分が、なんともいじらしかった。

 たぶん誰も同意してくれないけど。


 教室。廊下。図書室。資料室。どれもダメだ。保健室。絶対に嫌だ。

 

 最後に浮かんだ場所が屋上だった。だから俺は屋上に向かった。

 

 シンプルな言い方をすると、生きていくために、屋上に向かう必要があった。





 屋上の扉を開けたとき、世界が切り替わったような気がした。


 学校の敷地を囲むような桜並木の薄紅色と、春の空の澄んだ水色。

 柔らかな色彩が、視界にすっと入り込んできた。

 

 そして屋上の縁には、隔絶を示すフェンスが立っていた。

 風はまだ冷たくて、強くて、しかも少し埃っぽかった。


 扉が軋んだせいだろう、俺が屋上に出た途端、彼女は慌てたようにこちらを振り向いた。


 人がいるはずがないと思い込んでいた俺は、彼女の存在に戸惑い、息をのんだ。

 心臓が跳ね、全身が緊張した。


 それから数秒の間、自分の身に起こった奇妙な感覚を、俺は未だに消化できずにいる。


 彼女は身を強張らせ、俺の方を見た。

 その表情を目にした瞬間、俺は自分がそれまでに考えていたことがすべて吹き飛ぶのを感じた。


 そのとき彼女は泣いていたのだ。とても綺麗に。





 沈黙は二十秒くらい続いた。その間、俺たちは互いに目も逸らさなかったし、身動きもとらなかった。


 静寂を破ったのは彼女の方だった。


「あくびが出たの」


 そう言ってから、自分の声の震えに気付いてか、取り繕うように咳をして、


「それだけ」

 

 と今度はしっかりした声で言葉を重ねた。


 頬にはまだ涙の筋が残っていたけれど、彼女はそれを拭おうとはしなかった。

 気付いていなかったのではないだろう、きっと。

 あくびが出ただけなのだから、変に拭う必要がないだけだ、と、そう言いたかったのかもしれない。


「今日はぽかぽかして気持ちのいい陽気だから」


 言い訳がましく、彼女は更に続けて言った。むっとした表情で。


 そのときにはちゃんと、目の前にいる女の子が佐々木春香であると、俺はちゃんと理解していた。

 昔からの顔見知り。ろくに話したこともない同級生。そう認識できていた。


 ちゃんと頭は回っていたのだ。


「今日は少し肌寒いと思うけど」


 だから、そんなことをつい口に出してしまったのは、混乱していたせいじゃなかったんだと思う。

 元々俺が無神経だっただけだ。


 佐々木は俺の言葉を聞いて、少し怯んだようだった。俺は後悔した。


 彼女はむっとした顔をこちらに向けて、溜め息のように、


「いいでしょ、別に」

 

 と呟いた。


 それが最初のやりとりだった。


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