01-03
佐々木春香はクラスの中で浮いていた。
なんでかは分からない。その手の事情について、俺はほとんど何も知らない。
そういうことに関しては、むしろバスケ部連中の方が詳しいのだろう。
でもそれは佐々木という人間の本質とは無関係だ。特に知りたいとも思わない。
俺が知りたいのは、彼女が周囲にどんな人間として受けとめられているか、ではない。
彼女がどんな本を読み、どんな音楽を聴き、どんな場所、どんな時間帯を好み、どんな人に親しみを感じるのか。
そういうことだけだった。それもそれで妙な話ではあるんだろうけど。
とにかく、ひとつの事実として、佐々木には友人が少なかった。
まあそのあたりの話というのは、傍から見ているだけで事情が把握できてしまったりする。
友人関係が奇妙なこじれを起こしたんだろう。たぶん。たぶんだけど。
観察と対話の成果として、俺は佐々木春香についていくつかの情報を手に入れることができた。
音楽はもっぱら洋楽を好んでいて、それも少し古めのものが多い。
本は割とエンタメ寄りで、古典なんかには手を出さない。
漫画は少年漫画も少女漫画もほどほどに読んでいる。
映画は流行りものより古いものを見ることが多い。あとは監督や俳優で選ぶこともあるらしい。
雨の土曜日が好きで、晴れた月曜日が嫌い。でも良く晴れた日の夕方はすごく好き。
猫と犬ならどっちが好き、と訊かれると、「どっちも別物でしょ」とさらりと言う。
そしてそれから十五分ほどにわたり、小動物の魅力についての持論を展開し始める。
その話をした翌日には、猫と犬の写真集をぼんやりと眺めていた。
とてもリラックスした様子で、柔らかな午後の日差しと少しぬるい風の中で。
それは今年の夏の出来事だった。そのときも彼女は屋上にいた。
佐々木春香は屋上が好きだ。ひょっとしたら愛してすらいるかもしれない。
◇
一度、彼女に訊いてみたことがある。どうしていつも屋上にいるのか、と。
彼女はちょっと困った風に笑ってからイヤホンを外し、風に踊る髪を手のひらで押さえた。
暑いときは暑いし、寒いときは寒いし、風はあるし、そんなに綺麗な景色でもない。
それなのにどうして、屋上に来るのか、と。
「バカと煙」
と彼女は真剣な顔で言った。俺は面食らい、彼女の顔を何も言えないまま見返した。
ちょっと間を置いてから、彼女は笑った。そこでようやく、俺は彼女が冗談を言ったことに気付いた。
それから俺たちはひそめた声で笑い合い、彼女は再びイヤホンを耳に差し込んだ。
そして、とても小さな声で、
「他にどこに居られると思う?」
そんなことを言った。俺はどう答えればいいのか分からなかった。
「それにね、そんなに悪い場所じゃないよ、ここ。いいところだってちゃんとある」
彼女は俺の方を見て取り繕うように続けた。その日は夕焼けが奇妙なほど綺麗だった。
茜色に染まっていく街並みを、俺たちは屋上から見下ろしていた。
「たとえば?」
「人と話さなくて済むでしょう」
「……ひょっとして、俺、邪魔?」
彼女は楽しそうに笑ってから、言葉を続けた。
「屋上は切り離されてるんだよ。だから街を俯瞰できる」
「俯瞰?」
「俯瞰。そういうのって、街の中にいるとなかなかできないでしょ」
彼女はすごく真剣な表情で、ごく当たり前のことを言った。
彼女の言葉にはもっと別の意味が含まれていたのだと思う。
彼女は屋上について話をしているのではなく、屋上という空間に投影された別の概念についての話をしていた。
つまり彼女は空間についてではなく、状態についての話をしていたのだ。そんな気がするだけだけど。
◇
とにかく彼女は屋上をそれなりに愛している。
その愛し方というのはいささか偏っていた。
彼女は隣に座る俺よりも、むしろ屋上の方に親密さを感じているように見えた。
そういうことに気付くと俺はなんだかやってらんないような気がしてきて、拗ねたような気分になる。
彼女はそんな俺の変化をすぐに察して、小さな子供を見るような目で笑った。
昔からずっと、誰からも、家族にすら、「何を考えているのか分からない」とか言われてきたのに。
彼女はあっさりと俺の感情の揺れを看破する。
嬉しいようなこそばゆいような、そんな気持ちがそこにはあった。
でも、だからこそよりいっそうつらく感じることがあった。
だって俺には、彼女が何を考えているのかなんて、想像さえつかなかったのだから。
その時点で、彼女と俺とは釣り合っていなかった。
彼女が俺を理解することはあっても、俺が彼女を理解することなんて、ろくになかったのだ。
◇
そもそも彼女と俺は同じ幼稚園、同じ小学校に通っていた同じ地区の顔見知りだった。
でも親たちの相性があんまりよくなかったようで、子供の頃はろくに交流がなかった。
だから、お互い顔は知っていたんだけど、特別話す機会もないというポジションのまま。
小学校を卒業するまでずっと、ろくに言葉も交わさなかった。
更に中学に入ってしまうと、彼女の容姿が非常なものであるということが周囲の反応から判明した。
付け加えると、俺がスクールカーストの底辺近くの存在であるということも。
そのようにして、彼女は話しかけるのもおこがましいような高嶺の花になってしまったのだった。
それが今では毎日のように顔を合わせているわけで、不思議なめぐり合わせといえばそうなんだけど。
けれど、ときどき、せめて子供の頃にもっと話をしていれば、今だってもう少し対等な関係になれたかもしれない、と。
そんなことまで考えてしまうんだから、恋の病は結構重篤だ。
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