人生の台本
松長良樹
人生の台本
高野雄太は久しぶりに自分の部屋の掃除をしていた。掃除機をかけガラス窓を拭く。一通り掃除が済むと、今度は押し入れの整理に取り掛かった。
押し入れの中にはめちゃくちゃに物が放り込んである。それを引っ張り出しながらせっせと物を整理していると、中から古びた本が出てきた。まったく見覚えがない本だった。まさか、以前の住人が忘れていったものだろうか……。
その本は辞書のように厚く、革製の表紙が珍しかった。最近忘れっぽいので自分で買って忘れていたのだろうか? 雄太はそう思った。
ページを捲ると見た事もない文字の羅列だ。ヘブライ語か、アラビア文字か。もっとも学歴のない雄太にはそんな文字など解かるはずもなく言えるのは、こんな読めもしない本を雄太は買わないだろうという事だ。
雄太は若い会社員で、現在アパートに一人住まいである。雄太は何の気なしに本を擦ってみた。するとそこに変な男が煙と共に出現した。雄太は尻餅をついた。腰を抜かしたのだ。
「俺様を呼んだか?」
「あ、あんた誰だ」
雄太の声は上擦っていた、
「俺様は悪魔だ!」
現れたのは黒いマントを羽織った男だった。浅黒い顔の長身の男だ。
「あ、悪魔さんですか……」
臆病な雄太は、悪魔にさんを付けていた。
「悪魔さんが何でここに。なにか御用事ですか」
悪魔はその質問を無視すると本を手にとって言った。
「その本がなんだか解るか?」
「いえ、その、あの」
たいそう驚いて雄太の呂律がまわらない。
「それは人生の台本だ」
「人生の台本?」
思わず復唱する雄太だった。
「芝居に台本があるように、人生にもちゃんと台本が用意されておる」
悪魔の太い声には威厳があった。
「そしてお前は今、千載一遇の好機に恵まれようとしておる」
なんのことやら解らない雄太が眼をぱちくりさせた。
「いいか、よく聞け。人の一生はすべてその本に記されてあるのだ。全ての人々の運
命がここに細かく書き記してある」
「こんな本にですか?」
「この本はそのごく一部だ。お前の運命の書かれた部分をわざわざ持ってきておる」
「えっ、それじゃ僕の一生がもう決められている。という事ですか?」
「
「ええっ、知りたいです」
「知る覚悟はあるのか?」
「は、はい。でも知らないほうが良いことも世の中には……」
「ずばり言っていいか」
悪魔の語気が強まると雄太が少し弱腰になった。
「ち、ちょっと待ってください。心に準備ってものがあります」
「おまえは一生うだつの上がらぬ平社員だ。将来左遷されて離れ小島での勤務となる」
「えーっ。ああ。言っちゃった。聞かない方が良かったですよ。そんなの」
「後年おまえは窓際に追いやられ、給料泥棒と陰口をきかれ、誰からも軽蔑され、生涯女には恵まれず、やがて脳卒中でお陀仏だ」
悪魔は不敵な笑みさえ浮かべていた。雄太は蒼い顔だ。
「おまえを看取る者は無く、葬式には誰一人来ない。遺骨は無縁仏の雨ざらしだ」
「や、やめてください。なんて悲惨な運命なんだ」
雄太が絶望的な顔をした。悲嘆にくれている。
「悪魔さん。最初あなたは好機とか何とか言いませんでしたか。それのどこが好機なんですか。酷いじゃないですか。あんまりだ」
「まあ、話は最後まで聞け。俺様は神より偉大な悪魔だ。ここに台本を修正するペンがある。俺様の魔力をもってすれば修正可能なのだ」
「それはどういう意味ですか?」
「運命を変えられると言ったんじゃ。例えばこんなのはどうだ。この先お前は仕事上素晴らしいアイデアを次々に出し、三流会社から一流企業に引き抜かれ、瞬く間に幹部に推薦される。そして周りからは有能な人間として評価され、麗しき令嬢をものにし、行く先々で先生と慕われ、晩年は役員じゃ。月一回の出社で法外な給料をもらい、有り余る金で豪遊する」
「素晴らしい未来ですね。悪魔さん」
「運命の変更を望むか?」
「は、はい。望みますとも。ぜひに望みます。悪魔様。ぜひにお願い申し上げます。ようやく僕にも好機の意味がわかってきました。修正のほうをお願い致します」
「わかった。それでお前、地獄の沙汰も金次第という
「は、はい。それで」
「金を出せ。預金があるだろう。それを全部貰う」
雄太は暫らく考え込んでしまった。
「嫌ならよい。俺様も忙しいんだ。好機は一度のみじゃ、修正しないのなら帰るぞ!」
帰ろうとする悪魔を雄太が引き止めた。
「わかりました。この場で修正していただけるなら出しましょう」
「そうだろ。先のことを考えれば賢明な者はそうするじゃろう」
雄太は預金通帳と印鑑を悪魔に渡した。悪魔はなにやら呪文を唱えながら、ものの一分で台本のページを修正した。
「完了した。おめでとう! 只今よりお前の新しい人生が始まったのだ。尚この本はもらっていく」
悪魔を見送る雄太はニコニコしていた。
「ありがとうございます悪魔様」
◇ ◇
去っていく悪魔の足取りは軽やかで薄ら笑いを浮かべていた。そして悪魔はこんな独り言をもらした。
「しかし、まぬけな奴だ。俺を本物の悪魔だと信じてしまったぜ。俺はただの泥棒だよ。しかし若い頃、演劇の勉強をしたのが今になって役にたつとは思わなかったぜ。あいつの家にうまく忍び込んで、押入れに入れといた古本が効いたようだな。これなら警察にも届けられずに済む。花火の煙幕のタイミングだって完璧さ。まあ幸せな夢でも見ればいい」
しかし預金通帳の金額を確かめて悪魔の表情が曇った。
「な、なんだ中身はこれっぽっちか…… あいつめ、仕方のないがきだな」
――その悪魔、いや泥棒は何度も舌打ちをした。
そして来た道を一度振り返ると夜の歓楽街に消えて行った……。
了
人生の台本 松長良樹 @yoshiki2020
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