食罪

〈殺伐感情戦線 第10回【贖罪】〉

※人肉食の描写があります


 洗面台に手をついて、思いっきり吐く。

「んぐゥゔぇ……ぅん」

 昼に食べたストロベリー味のアイスクリームはこっくりと舌に纏わりつくようなミルクの濃厚さを残したまま、もう一度喉を通ってシンクにばたたた、と落ちた。

 慣れない。あまりにも慣れない。

 この光景に、この感触に、この感情に。

 そう思うと同時に耳元のインカムがぎん、と唸りをあげて声を放つ。

「ちょっとリディア、また吐いてるの?」

 インカムにひび割れながら入ったどこまでも意地の悪そうな笑い声に舌打ちをする。手の甲で唾と胃液とアイスクリームの混ざった液体を拭き取り、るせぇ、とインカムに返した。向こう側でまた気味の悪い笑いがくぐもって聞こえる。

「さっさとして頂戴、次はサウス・エリア2‐19ポイント。現地集合、遅刻厳禁」

 軽快に言い放って彼女はぶち、と無線を切った。もう一度、今度はさっきより大きめの舌打ちをする。その音はどこにも吸収されることなく、タイルに当たって、小さくうねった。


 私たちは、「狩り」を行う。

 2342年、増えすぎた人口をあの青い地球では抱えきれなくなってから、我々は何百年もの時をかけてテラフォーミングされたこの火星への移住を始めた。誰もがこの日を予想していたし、誰もがテラフォーミングを夢想していた。だから火星への移住に抵抗感は無かった。「あれ」が見つかるまでは。

 「あれ」はその生物名をSOFIA‐2318というらしい。

 「あれ」は火星にいた。「あれ」は人の形をしていた。

 違う、正しくは

 「あれ」の本当の姿を見たことがあるものはいない。「あれ」は何なのかすら、全く分かっていない。「あれ」は目の前に立つ者の心を読んだ。心を読んで、その最も恐れる者、あるいは最も大切に思う者の姿を。そして。

 そして、我々人類を襲った。何の兆しもなく、突然に。

 人の形を映す分、「あれ」は何よりも厄介だった。「あれ」はすぐ横にいる味方のふりをして我々に近づきあっさりと我々を殺した。人類には無い武器を使って、恐ろしいほどの腕力を使って。テラフォーミングされた火星は争いも連立国家も無い〈たった一つのユートピア〉として名を挙げていたが、それはすぐに地獄と化した。初期に移住した数億の人々が取り残されたまま、地球と火星を繋ぐ銀河ハイウェイは切断された。初期移住者ピルグリム・ファーザーズは宇宙一孤独な数億人になった。

 だから私たちは、私たち初期移住者は「狩る」。

 「あれ」を狩る。もう一度ユートピアを取り戻すために。もう二度と誰も死なさないために。人類を守り抜くために。

 

「リディア、3分の遅刻よ」

 サウス・エリア2‐19ポイントには黒髪を後頭部で高く結い上げた女が腕を組んで立っていた。眼に装着した拡張現実オーグメンテッド・リアリティでその女が確かに私の「狩り」のパートナー、 罗凜花ルオ・リンファであることを確認する。「あれ」ではない。行動履歴もバグってはいないし、社会貢献度数も昨日確認した凜花のものと同じだ。「あれ」が人間に擬態していた場合、拡視オーグで表示される個々人のステータスは大きくバグっていることが多い。人間の姿は模倣できても内面までは完璧にすることができないらしい。だから私たちは拡視を装着し、二人一組でパートナーの様子を確認しながら狩りを行う。パートナーのことを熟知し、パートナーのステータスに少しでも異常があったら距離を取ってSOFIA‐2318対策本部に連絡する。パートナーが「あれ」による擬態だと分かればすぐに「狩る」。そういう仕組みになっていた。

「ぅるせぇっつってんだろ。行くぞ」

「遅刻しておいてその言い草は無いんじゃない? ……まぁ、いいけど。SOFIA‐2318の群れがこの辺で確認されたわ」

「群れ……?」

「そう、群れよ」

 凜花は拡視でスライド地図を出しながら説明を始めた。サウス・エリア0‐17ポイントから2‐23ポイントまでをぐるりとマーカーで印を付ける。

「ここの辺りに群れ型が発生したらしいの。でも群れだとSOFIA‐2318の意味が無いんじゃないかって思うでしょ?それが意外と厄介らしくてね。貴女が一瞬でも私を見失った瞬間、SOFIA‐2318は私の形に擬態して一方に大挙してくる。そうなったら一個一個のステータスを確認してから殺す暇なんてない。だからこの作戦で重要なのは」

「お前を見失わない事、だろ?」

 その通り、と凜花は頷いて拡視スライドを閉じた。

「だから遅刻厳禁って言ったのよ」

 本当にこのチャイニーズは口うるさい。作戦立案も技術も確かに凜花の方が上だ。銃撃戦をやらせても強い、格闘に持ち込まれても強い、そもそも「あれ」を戦闘に持ち込ませない。一瞬で息の根を止める。

 ただとても煩い。それだけだった。

 それだけの、筈だった。

 サブマシンガンP90をモバイル3Dプリンタで具現化し、手に握る。凜風はガトリングガンXM556 Microgunを具現化し、慣れた手つきで担いだ。

「準備はOKね。後は奴らが来るのを待つだけ」

「他のバディは?」

「エリザヴェータとアンネリーエのバディと、桃花とカンヤラットのバディが0座標と1座標にいてくれてるわ。私たちは2座標だけを担当」

 了解、と小さく頷く。

 拡視の何かを見ているらしい凜花の尖った横顔を見る。さらさらと結い上げた黒髪が頬にこぼれ、かき上げる仕草を見た。

 綺麗だった、ものすごく、綺麗だった。

 綺麗なのに。綺麗だから?

 ものすごく、死んでほしかった。壊れてほしかった。


 最初は母さんや兄貴の姿だった「あれ」が凜花リンファの形をとるようになったのはいつからだっただろう。思い出せないし、思い出したくもなかった。「あれ」は、目の前に立つ人間の最も恐れる人間あるいは最も好む人間に擬態する。

 「あれ」が何故凜花の形をしているんだ?

 最初の時は疑いもせず、SOFIA‐2318対策本部にパートナーに擬態した事例をインカムで報告した。本部もその事例は初めてだ、としながらもごく冷静に対処してくれた。だが後になってSOFIA‐2318の生態を思い出し、汗がどっと噴き出したのだった。

 

 それは私が深層心理下で凜花を「最も恐れていた」か、「最も好んでいた」かのどちらかだということを表す。そしてどちらかといえば。

 後者なのかもしれない。

 次の作戦でも同じだった。凜花が「あれ」をどのような形で見ていたか知らないが、私には確かに凜花に見えていた。そして凜花の形の「あれ」を撃ちぬいて、ぐじゃあ、とはらわたや人には無いよくわからない物が飛び出すのを見て。

 嬉しかった。

 楽しかったのだ。

 その感情を確認した私は、吐いた。吐いて、吐いて、吐きまくった。自分が何を考えているかに気付いて恐ろしくて。自分の本性を知ってしまって。自分の底知れなさに気付いて。

 凜花の美しさに気付いて。

 吐いた。

 胃の中を全部出している間、凜花は何も聞かなかった。ただ黙って背中をさすってくれていた。私は吐きながら泣いた。泣きながら吐いた。凜花が、好きだ。

 初期移住者たちの住む団地に戻ってから、凜花には「SOFIA‐2318が凜花に見えている」ということ、そしてそれが意味するところだけを語った。

 凜花はそんな時だけ、いつものように煩くなかった。

「そう……リディア、それは……辛いね……?」

 凜花ははじめて目にしたものに触れるように恐る恐る私に触れた。私のごわついた髪の毛を撫ぜた。そして、小さな薄い唇で、私の唇をんだ。

「んっ……」

 凜花は何も言わずにただそのまま私を抱きしめ続けていた。いつも口うるさい気の強い女。誰よりも強くて誰よりも聡明な女。この女に、抱きしめられていた。

 凜花はキスだけすると、静かに私の部屋を去っていった。

 あれからは何事もない。何も起こっていない。

 凜花はただの気の強い女だし、私はただのリディア・アレンだ。

 そうでなくてはならなかったのに。

 凜花の形をした「あれ」を撃つたびに、凜花の形の「あれ」がめちゃくちゃに崩れて消えていくたびに、私は背筋が震えた。底から湧き上がるような興奮を覚えた。

 そして吐いた。

 吐くたびに凜花は見ていないふりをしてくれた。凜花を殺していることの罪悪感を覚えて吐いているんだと思っているんだろう。違う。私はそんな奴じゃない、と叫びたい気持ちを抑えて、今日も凜花に減らず口を叩く。

 凜花が好きだ。

 そして凜花が嫌いだ。

 美しいものは壊したくなるから、美しいものは、死んでほしくなるから。


「来たわね」

 凜花リンファの声で我に返る。

 2座標前方北側に、薄黒い群があった。「あれ」らだ。本当に群れで来るとは。私はサブマシンガンに弾を装填し、戦闘態勢に入った。胃が、ずん、と重くなる。朝殺った一匹物であれだけ吐いたのに、群れ、がどうなるのか皆目見当がつかなかった。

 凜花が駆け出す。地を蹴る。0座標のロシア人とドイツ人バディ、1座標で日本人とタイ人バディが奮闘しているのだろう、群れは中々近づいてはこなかったが、やがてその一部が分かれて2座標地点へと向かってきた。

 凜花がガトリングガンを放ちながら群れに突っ込んでいった。後方支援の私も、凜花を横から打とうとする「あれ」を撃つ。「あれ」はやっぱり凜花の形をしていた。凜花を、凜花の形の「あれ」を撃った。一撃で「あれ」は死なない。「あれ」は人間より頑強だ。何度も何度も凜花の形の「あれ」を撃った。凜花を撃った。一人。二人。三人。次々その腹に、頭に、腕に、脚に、銃弾を撃ち込んだ。バララララ、という音だけが響き渡る世界だった。凜花の腸が、脳が、「あれ」の持つ何かが零れ落ちた。零れ落ちて、地面を汚した。

 それが、それさえも物凄く、綺麗だった。

 ぐちゃぐちゃの地面を駆けた。撃って撃って、撃ちまくった。

 凜花。大好きな凜花。私の凜花。私だけの綺麗な凜花。

 壊れて。壊れて。壊れて。壊れて。壊れて。壊れろ。


「リディア!?  リディア・アレン!?」

 凜花リンファの声で我に返った。

 

「リディア! あれほど今回の作戦の重要性を説明したのが分からなかったの!? 貴女にはSOFIA‐2318が私に見えているんでしょう!? どうして言うことが聞けないの!?」

 だがその時にはもう、全てが手遅れだった。「あれ」は凜花の形を持って、私めがけて押し寄せた。

「凜花、そこを動くな」

「そんなの駄目よ! リディア、貴女一人でそれに立ち向かうつもり!? 無謀よ無謀! 勇気と無謀は違うわ!」

「るせぇな……」

 私はサブマシンガンを抱え直し、撃って撃って撃ちまくった。ステータスも全て確認しながら。凜花ではない。凜花ではない。撃つ。撃て。壊せ。撃っても撃っても終わらなかった。次から次へと「あれ」は出てきた。これでは銃弾がもたない。


 その時だった。

 目の前に突然、ふっ、と現れたそれを私は撃った。

 ステータスが表示されていた。

 それは、凜花リンファだった。


「出てくるなって言っただろ!」

 私は「あれ」を全て撃った後、一人、地面に倒れている凜花に駆け寄った。初期移住者ピルグリム・ファーザーズに死は付き物だ。「あれ」は強い、「あれ」は未だに何者かすら分かっていない。

 だけど、こんな、こんな終わり方なんて。

「ご…め……ん………ね?」

 凜花はほとんど光の無くなった目で私を見上げていた。

「馬鹿! 馬鹿! 大馬鹿!」

「リ……ディ………」

 凜花は静かに微笑んでいた。白く、細く、長い指を伸ばして、私の頬に触れる。ぞっとするほど冷たい手だった。氷水につけたような手。その手を、汗ばみ血の流れる私の頬に寄せる。

「どうした? 何が言いたい?」


 だが凜花リンファは、もう何も言わなかった。


 私は膝の上で冷たくなった凜花の、濁った瞳を見ていた。

 濁っても、美しい瞳を見ていた。

 こんなに望んでいたことなのに、こんなにもあっさりとそれは訪れた。

 凜花は、死んだ。

 美しい凜花は、死んだ。

 凜花は、壊れた。壊した。私が、この手で。

「あは……は、は、あはは……」

 引き攣る口角から声が漏れる。

 私は、泣いていた。

 私は、笑っていた。 

 凜花はもっと心をこめて壊したかった。

 凜花はもっと美しいまま生きてほしい。


 凜花は、私のすぐ傍で死んでほしい。

 私は凜花の唇を食んだ。あの小さく薄い唇。あの桃色だった唇。冷たく、青くなった唇。そのまま舌を顎に這わせ、喉元に這わせ、首筋に這わせた。冷たい凜花は甘い薫りだった。冷たい凜花も甘い薫りだった。

 喉の出っ張りを舐って、そのまま私は歯を立てた。

 凜花を壊した。

 私が、凜花を壊した。

「ごめん」ずっと壊したかった。「ごめん」ずっと殺したかった。

「ごめん」ずっと死んでほしかった。「ごめん」ずっと、ずっと、ずっと。

 食べたかった。

 凜花の血は花のようなにおいがしてから、ぶしゅ、と飛び散った。

 凜花は本当に、ぐちゃぐちゃになった。

 本物の凜花が、ぐちゃぐちゃになった。


 ごめん。でも、無理だ。

 

 私は泣いた。私は笑った。

 私は、食べた。

 

 ごめん。

 ごめん。

 赦して。赦されないけど。決して、赦されないけど。分かってるけど。

 赦して。

 



【SOFIA‐2318対策本部報告書】

 火星(MARS)サウス・エリア2‐20ポイントにおいて初期移住者ピルグリム・ファーザーズ罗凜花ルオ・リンファとリディア・アレン、バディ両名の死亡が確認された。罗凜花の死因は射殺及び食殺、リディア・アレンの死因は射殺と見られる。いくつか不明点があるため下に記す。

〈記〉

・罗凜花の死体から発見された銃弾はリディア・アレン所有のサブマシンガンP90に装填されていたものと同じ。

・リディア・アレンの死体から発見された銃弾は罗凜花所有のガトリングガンXM556 Microgunに装填されていたものと同じ。

・以上より、SOFIA‐2318が対峙した人類の武器まで模倣する種が存在する可能性あり。


2374年3月29日 SOFIA‐2318対策本部部長 クロエ・アグノエル


【SOFIA‐2318対策本部音響一課より追記】

 なお両名のインカムによる会話で「ごめんね」「赦して」という単語が頻発しているため、両名の間で何らかの問題が生じた可能性。またリディア・アレンのインカムマイクに記録されていた最後の文章をここに記しておく。

「私は罰を受ける、罰を受けて罪を贖う。でもね。美味しかった。だから、ごめんね」


 赦さなくていいよ



〈食罪 了〉



Toshiya Kameiさんによる本作品の翻訳がwebマガジンAntipodeanSFのIssue278に掲載されました。

https://antisf.com.au/the-stories/eat-what-you-kill

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