SF・ファンタジー篇
戦争の終わりはあなたのように
(本作品は改稿版です。修正前ヴァージョンはこちら:https://twitter.com/6kurenai1yukari/status/1164188293337997313)
私の横でリーレニカが融けた。
ぐじゃ、と気持ちの悪い音を立てて。
私は大きく一つ溜息をついてリーレニカがたっていたはずの地面を見下ろした。頭上からは涼しげな小鳥のさえずりが降ってくるけれど、吹いてくる風はどこまでも生ぬるい。リーニヤが溶けたのも、この暑さが見せた幻なんじゃないかと思ったほどだ。今日もどこかで誰かが死んでいるのに、したくもない戦争に巻き込まれて死んでいるのに、森はいつも通り静かで暑い。私はあたりに人気がないことを注意深く確認してから、小さな声でその地面に声をかける。
「リーニヤ? それってソヴィエト式の新しいジョーク?」
リーレニカがいたはずの地面は何かを躊躇うようにずずず、と左右に揺れる。私が「誰もいないわよ。大丈夫」とささやきかけて初めて、いつもの明るい声がそこから聞こえた。
「だって合衆国がこんなに暑苦しいと思わなかったんだもの」
我らが祖国を馬鹿にしないで頂ける? なんて返そうとしたけれど、やっぱり私も暑くてシャツのボタンを一つ開けた。汗が地面に垂れて土の色を濃くする。私の横ではまだリーレニカが迷彩柄の水たまりになっていた。どろどろとしたそれはずずずと音を立てながら木陰へとはっていく。吐いちゃいそう。
「オリヴィアもおいでよ、そんなところに立ってたら死んじゃうよ、もう七十℃になる」
木陰に完全に入ってからそうやって私をからかったリーレニカは、ふん、と変な声をあげて水たまりの表面を震わせてから元の姿に戻った。
「共産党員はみんな教わる、水化魔術。ほんのちょっとだけど涼しくなるのよ」
銀色の髪をゆったりと束ねながらこっちを向いて、青い瞳を細くしてリーレニカは笑った。
美しすぎるリーレニカ。リーレニカは、私の相棒。
冷戦が冷たい戦争のままでは終わらなくて、第三次世界大戦が始まってからというもの、科学に頼るばかりで魔術研究を怠ってきたアメリカ合衆国は、魔術研究に莫大な費用をつぎ込んでいたらしいソ連に大敗に次ぐ大敗を重ねた。爆弾も通らない結界を張ることのできるソ連に太刀打ちできる国はどこにもいなかった。ソ連の結界のせいで合衆国の放った核弾頭は軌道をそれて日本という島国の上に落ちたらしい。生まれる前のことだから知らないけど。科学者たちは追放されて、今まで忘れ去られ迫害をうけていた魔術師や錬金術師が各国の頂点に立った。アメリカも東側諸国に負けることだけは許せないとでもいうように、ぎりぎりのところでソ連にしがみついてその
戦争は、もう五〇年になる。
沢山の人が死んだ。西側諸国の国民も、東側諸国の国民も、誰も戦いたくて戦っているわけじゃない。戦えと言われるから戦う。それだけ。
かつて人々に希望を与える筈だった魔法は世界を血と涙に染めてしまった。もう戻らない命、もう戻らない風景。沢山のものが、西と東の間で消えていった。
戦争をとめなきゃ。
誰もがそう思った。でもどうすればいいのか分からなかった。
そんなある日のこと。私は女学生の勤労奉仕として前線の無線補助にあたっていた。ひたすら味方の無線の暗号を解くだけ。資本主義らしい酷使のされようだった。神経を使う割に給料は雀の涙。もうぜんぶ、何もかも辞めてしまおうか、そう思っていた時のことだ。
「ヘイ、合衆国のお嬢さん? 私と一緒に、この馬鹿みたいな戦争を終わらせない?」
その声こそが、リーレニカ。
美しすぎる、リーレニカ。
私を救い出してくれた女の子。
私の相棒。私のリーレニカ。
彼女は両親がソヴィエト連邦共産党の党員だったこともあって、幼いころから党に忠誠を誓う教育を受けていた。私と彼女が生まれたころには冷戦は始まっていたから、きっとアメリカ合衆国を憎むために様々なことを教えられてきたはずだ。私だってソ連が嫌いだった。ソ連のせいでこの戦争は終わらないんだと言われ続けてきたし、ソ連が魔法なんて使わなければこんな世界はなかったはずだと思っていた。戦争が嫌いだった、そして何よりもソ連が憎らしかった。でもリーレニカは違う。たくさん本を読んで、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、ソ連も合衆国もみんな間違っていることを知っている。人の命や美しい大地を奪うものはそれがどんな大義を持っていたって悪だと言うことを知っている。
だから世界を壊すことにした。
壊して、全部一からやり直して、世界を救うことにした。
それはソヴィエト連邦共産党への裏切り、彼女の生まれ故郷と家族への裏切りだ。両親にはもう二度と会えないかもしれない、見つかれば殺されるかもしれない、死よりも酷い苦痛が待ち受けているかもしれない。計画が成功しても、元の世界を望んでいた多くの人に憎まれ続けるかもしれない。それでもリーレニカは諦めなかった。自分の全てを捧げても世界をやり直してみせることを誓った。
そして私は、その共犯者として選ばれた。
私の相棒。私のリーレニカ。
「オリヴィア?」
リーレニカはぼうっと立ち尽くしている私の顔を覗き込んで笑った。
「熱中症か? 休んでる暇はないよ」
「わかってるわ、そんなこと」
リーレニカは「あの時、なんとなくオリヴィアなら世界を敵に回してくれるかもしれないと思った」と言って笑った。見知らぬ私を、直感で選んだのかもしれない。それでも構わない。彼女は私を選んでくれた。その事実だけが、私には大事だ。私はあのころの彼女に応える。
「私たちには世界を変える使命があるんだから。暑いくらいで、立ち止まらないでしょ」
「わかってるじゃない」
リーレニカは笑う。
今日まで、彼女と走り続けてきたんだ。
二人っきりで世界を相手にして。
魔法技師の彼女と、魔法が苦手な普通の私。
前線で魔導機の作動を止めた。魔導技師として魔動機を設計していたリーレニカにとっては何ともないことだった。魔法攻撃の後遺症に苦しむ人を救った。治癒魔法の苦手なリーレニカに代わって私が彼らを魔法技師たちの医療団体に運んだ。それから、この戦争を終わらせようと働く人々を探した。リーレニカは魔法で世界を駆け、私は電話をかけつづけた。味方は少なかった、というか、ほとんどいなかった。誰だって祖国を敵に回したくはない。祖国には好きな場所があって、好きな人がいる。それを知っていたから私たちは辛くなかった。彼らの分までできることを探すだけだ。体中を汚して、勤労奉仕のころよりも傷だらけになって、私たちは駆け回った。
今までしてきたことは多すぎて全てを振り返ることはできない。積み上げてきた些細な努力を振り返っている暇なんてない。だから私は、今からすることだけに全てを集中させる。
「さあ始めましょう。
それはこの世界から魔法を消す計画。
希望だけではない、もはや地獄の道具となり果てた魔法を消す方法は、たった一つだけある。
花火を、打ち上げるのだ。
核弾頭で沈んだ日本という国の跡地から発見されたそれは、後のソヴィエト魔術師会による研究によって魔術を無効化することが分かっている。もちろんそんな情報をソ連が流すわけがない。せっかく手に入れた東側諸国優位の体勢をわざわざ崩す馬鹿ではない。ソ連はその研究成果を、リーレニカに処分させた。両親とも共産党の、優秀な魔法技師である彼女に。
リーレニカは処分しなかった。
時は熟し、手札は揃い、彼女は私を見つけだした。ベーリング海戦のごたごたをかいくぐって、リーレニカは逃げた。私も無線を放り投げて飛び出した。アラスカの森で出会い、アメリカ合衆国の中を逃げ回った。あの頃はリーレニカの結界魔法があっても寝ることすら恐ろしかった。小さな物音でも誰かが私たちを見つけたのではないかと怯えて飛び起きた。
しばらくすると恐ろしさは消えて、リーレニカの声を初めて聴いたときの胸の高鳴りを思い出すようになる。共犯者。死体を埋めた二人は恋人よりもたくさんの秘密で結ばれるというように、私たちは世界を葬り去るための秘密で結ばれていた。
私達は花火をつくった。毎日毎日、日本語を自動翻訳機にかけながら。火薬と炎色剤を正確に計り取って、慎重に混ぜ合わせる。赤はストロンチウム、緑はバリウム、青は銅化合物、黄はナトリウム。そしてそれらを「星」と呼ばれる大きな球に仕上げていく。「星」を遠くに飛ばすための火薬をさらに用意する。それら全部を、丁寧に組み立てていく。花火を作るのは、想像していたよりもずっと大変だった。私たちは狭くて小さな小屋の中で、毎日毎日花火を作った。どろどろに汚れながら。
「ねえ、リーニヤ」
ある日私は、出来上がった花火の「星」を丁寧に並べながら言った。
リーレニカは炎色剤を注意深く計り取ってから、ややあって、「何?」と訊く。
「軍は本当に私たちを見つけていないのかな」
躊躇いながら、本当は口にしたくなかった言葉をこぼす。
「本当に、戦争は終わるのかな」
リーレニカは私の方を向くと、何事かを言いたげに口をもごもごと動かしていたが、やがて何かを決心したように頷いた。
「私たちが頑張れば、ね」
そうして、「ほら、手を休めない」と笑う。彼女もまた新しい炎色剤を計り取り始める。
リーレニカだって不安だったはずだ。家族を捨てて、国を捨てて、仕事を捨てて、そうして始めたこの計画が全て無駄に終わってしまったら? これから先、なにもかもを失い続ける人生が待っていたら? 私とリーレニカが考えていたことはきっと同じだ。 それでもリーレニカがそう言ってくれたから、二年間を頑張れた。毎日ちょっとずつしか進まなくても、それでもリーレニカの言葉が、私に終わりの希望を見せてくれていた。
五〇〇〇発が完成するころには二年が過ぎていた。夏が来て、冬が来て、また夏が来た。軍に背いた私たちを探す目から逃れていたせいで私たちに自由はなかったけれど、それでも沢山の楽しいことがあった。遅々として進まない花火作りに苛立つ私に、リーレニカが海を見せてくれた。ソヴィエトの雪遊びの話を聞いた。たくさんの簡単な魔法を教えてくれた。私の世界は、二年でこんなにも変わるんだと思った。
それでも、戦争は終わらなかった。二年が経っても、なお。
沢山の人が死んだ。木が枯れた。動物たちがいなくなった。愚かな戦争を始めた愚かな人々ですら、もうこんなことは終わりにしたいと思っていた。でも彼らは、どうやって終わりにすればいいのか分からなかった。魔法は、それを教えてくれなかった。
だから、私たちが終わらせるんだ。
リーレニカは微笑んだ。「夜が来たよ」
リーレニカの言葉につられて空を見上げた。さっきまでは見えなかった一等星が、ちらり、と小さく瞬いていた。梢の間から覗いていた空色は、ゆっくりと濃くなって、紺色に染まっていく。冷たくなってきた風にのって、小鳥がねぐらに帰っていく。無数の羽ばたきが聞こえる。
夜だ。美しい、夜だ。
リーレニカはボタンを押す。
私たちは夜を待っていたのだ。せっかくなら美しく世界を終わらせようよ、そうリーレニカが言ったから。
「ねえリーニヤ」
うん? とリーレニカは振り向いた。
「私ね」
リーレニカが好きよ。
私の声は、花火にかき消されて、届かない。
リーレニカの横顔は赤色に照らされて、よく見えない。
それでもいいと思えた。私達はお墓の中にこの秘密を持っていく。急ぐ必要なんてない。きっとこれからが、もっと大変になる。
ただ今は、こうして二人きりで、花火を見ていたい。
世界は美しく終わる。
戦争は終わる。
私たち、二人の魔法で。
「なんて? オリヴィア」
「ううん、なんでもない」
ほら見て、リーレニカ。
貴方みたいな綺麗な空だよ。
〈戦争の終わりはあなたのように 了〉
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